[1]☆一段
昔、男が、初冠して、奈良の京(みやこ)、春日の里の知り合いの所に、狩りで出かけました。その里に、とても、年頃の、綺麗な姉妹が住んでいました。この男は、それを、ふと、見かけてしまいました。思いがけなく、この田舎で、とても、周りに気兼ねなく、のびのび暮らしているのを見て、気持が揺れるのでした。男の着ていた狩衣の裾を切り裂き、それに歌を書いて、届けさせ、渡しました。その男は、信夫摺りの狩衣を着ていました。
春日野の若紫の摺り衣
しのぶの乱れ限り知られず
(春日野の若紫の摺り衣の、その模様の様に、忍び乱れるのはこの気持ちで、どこまでも止まらない。)
続けて、追い掛けて、この歌を書いて遣り、渡しました。今の、その場面にぴったりの事と思ったようです。
陸奥の忍ぶ文字摺り誰ゆえに
乱れ初めにし我ならなくに
(これは陸奥の信夫摺り。そういう積りはなかったのに、その乱れ模様の様に気持ちが乱れ初めている、それは、自分からそうなったのではなくて、理由がある。)
という、この歌の気持ちです。昔の人は、こういう、その時のすぐのみやびを出来たのです。
[2]☆二段
昔、男がいました。奈良の京(みやこ)を離れて、新しい京(みやこ)になり、人の家も、まだ、多くはない頃、その西の京に、女がいました。その女は、世の中の人よりもよい、もっと上の人でした。その人の姿、顔かたちがというよりは、心の、上の人でした。一人住みではない様でした。それを、あの、気働きする男が、話し掛け、話をして、帰り来て、そして、何を思ったのか、時は三月の朔日、雨の少し降る時に、歌を送り届けました。
起きもせず寝もせで夜を明かしては
春の物とて眺め暮らしつ
(起きるともなく、寝もせず、夜を明かして、春だからかなと思って、雨を眺めている。)
[3]☆三段
昔、男がいました。好きだと思う女の所に、ひじきもという物を送り届けました。それで、
思いあらば葎の宿に寝もしなん
ひしきものには袖をしつつも
(今の気持ちは、草の伸びた野原の中に宿り寝てもいい、そんな気持ち。敷物は袖で、それがひじきものにして。)
二条の后の、まだ、帝に仕える前の、普通の人で居た時の事です。
※美艇言う:若くて、外で雨風に曝されても平気な頃です。
[4]☆四段
昔、東の五条に、大后の宮が居られました。西の対に、住む人がありました。それを、思う気持ちの深い人がいて、何の為と言うのでもなく、行き尋ねていたのでしたが、睦月(一月)の十日頃の事、他所に行ってしまいました。その行き先は聞いたのでしたが、人の行き通う事の出来る所でもなくて、それでも、忘れられず、悲しく思い、過ごしていました。
次の年の睦月(一月)に、梅の花盛りの頃、去年の事が恋しくて、行ってみて、立って見、座って見、して、どれだけ見ても、去年に似てはいませんでした。ひどく泣いて、あばらとなった板敷に、月の傾くまで、横になり、去年を思い出して、歌を詠みました。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
我が身一つは元の身にして
(月は出ていなくはなくて、春も昔の春でなくはなくて、でも、自分だけは、もう昔の通りではなくている。)
そう、歌を詠み、夜のほのぼのと明ける頃に、泣きながら帰ったのでした。
※美艇言う:世界が、変わったと言う事はなく、同じなのに、同じではない。自分が、もう、今は違う。
[5]☆五段
昔、男がいました。東の五条辺りに、人目に付かない様に、忍び行きました。隠れて、こっそり行く所なので、門から入るのではなく、子供の踏み明けた、築地塀の崩れから入り、通いました。人の多く通る所ではないのですが、度重なり、そこの主が聞き付けて、その通い路に、夜毎に人を置き、守らせたので、男は、行っても、会う事は出来ずに、帰りました。それで、歌を詠みました。
人知れぬ我が通い路の関守は
宵々ごとに打ちも寝ななん
(人が知らない、自分の通い路としている所の関守は、宵の夜毎に寝込むといいのに。)
そう詠むと、とても、心は収まり、落ち着いたそうです。主は赦したそうです。
[6]☆六段
昔、男がいました。女の、近づく事も出来ないはずの人の所に、年を重ねて通い、ようやく、盗み出して、もう、すっかりと、暗い方に出て行きました。芥川という河の所を連れて行くと、草の上に露が降りていて、「あれは何」と、男に聞くのでした。
あちらこちらと行って、夜も更けて、鬼が出るところとも知らず、雷もひどく鳴り、雨も強く降って来たので、あばら家の荒れ果てた蔵に入り、女を奥に移し置いて、男は、弓、やなぐい(矢入れ)を背に負い、戸口に居ました。もう夜も明けると思っていた頃、鬼が、女を、簡単に一口にしたのでした。「ああ、何」と言っていたのですが、雷が鳴り騒ぎ、それを聞きませんでした。ようやく、夜も明けて行き、見ると、連れて来た女も、そこにいませんでした。足もばたばたせて泣くのでしたが、どうしようもないのでした。
白玉か何ぞと人の問いし時
露と答えて消えなましものを
(白玉か何かと、人に聞かれた時に、露だと答えて、消えればよかった。)
[7]☆七段
昔、男がいました。京に居ても面白くなくて、あづまに行く事にして、その途中の、伊勢から尾張への海沿いの道を行くと、浪が白く立つのが見えて、
いとどしく過ぎ行く方の恋しきに
羨ましくも返る浪かな
(ずい分と遠くまで来て、元来た方が恋しくなり、返る浪の、帰るのを羨ましく思う。)
[8]☆八段
昔、男がいました。京は、住んでいても詰まらなくて、あづまの方に行き、住む所を探そうと思い、友とする人の、一人、二人と、一緒に出ました。信濃の国の浅間の嶽に煙の立のが見えて、
信濃なる浅間の嶽に立つ煙
遠ち近ち人の見やは咎めむ
(信濃の国の浅間の嶽に煙が立っていて、遠くからも、近くからも、人が見て、騒ぐと思う。)
※美艇言う:自分たちの事を、京でも言い、今、ここでも、人は怪しみ見る様です。
[9]☆九段
昔、男がいました。その男は、自分を、世の中に要らないものと思いなして、「京にはいない。あづまの方に、住む国を探す」事にして、出て行きました。道を知る人もなく、迷いながら行きました。三河の国の、八橋という所に来ました。そこを八橋と言うのは、水の流れる河が、蜘蛛手に分かれていて、それに渡す橋が八つもあるので、八橋と言うのでした。その沢のほとりの木の陰に下りて、乾飯(かれいい)を食べました。その沢に、かきつばたが、とてもよく咲いていました。それを見て、ある人が曰くで、「かきつばたという五文字を句の頭に置き、旅の心を詠め」と言うのでした。それで、詠みました。
から衣きつつ慣れにしつましあれば
はるばる来ぬるたびをしぞ思う
(唐衣の着馴れると言う、その馴れた妻がいるので、ここまではるばると来た旅の事を考える。)
そう、詠んだので、皆が、乾飯(かれいい)に涙して、それが、ふやけるのでした。
進み進みして、駿河の国に来ました。うつの山に来て、そこに入る道は、とても暗くて、細く、蔦や楓が茂り、心細くて、考えてもいなかった、ひどい事になったと思っていると、俢行者に逢いました。「このような道は、どうされていますか。」と言うのを見ると、見たことのある人でした。「京の、あの人の所に」と、文を書き、渡しました。
駿河なるうつの山辺のうつつにも
夢にも人に逢わぬなりけり
(駿河のうつの山辺に来て、うつつ(現)にも、夢にも、その人と、逢う事がない。)
富士の山を見れば、五月の末に、雪がとても白く降っています。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか
鹿の子まだらに雪の降るらん
(富士の嶺は、時を知らないのか、いつと思い、雪を降らせて、鹿の子まだらにしているのか。)
その山は、こちらの例えで言うと、比叡の山を二十ほども重ね上げた様で、形は塩田の塩尻の砂山の様です。
さらに、進んで行くと、武蔵の国と下総の国の間に、とても大きな河があります。それをすみだ河と言います。その河のほとりで、皆が群れて、何かと考え、「とんでもなく遠くに来たな」と、お互いに寂しくしていると、渡し守が、「早、船に乗って下さい。日が暮れます」と言うので、乗り、渡るところに、皆が、物侘しくなり、京に居る人の事を考えたりしました。そうした時、白い鳥で、嘴と足の赤い、鴫の大きさのが、水の上に遊び、魚を食うのでした。京では見ない鳥なので、誰も見知らず、渡し守に聞くと、「これが宮こ鳥なのです」と言うのを聞き、
名にし負わばいざ言問わむ宮こ鳥
我が思う人はありやなしやと
(その名に、宮こと、そう言うのなら、では、尋ねたい事がある。自分の思う、あの人は、元気でいるのか、そうでないのか。)
そう詠むと、舟の中で、皆が、誰もが、泣くのでした。
[10]☆一〇段
昔、男が、武蔵の国まで、何を思ってか、彷徨い出ていました。そして、その国の、ある女の所に、一緒になるつもりで、よく訪ねて行っていました。父親は、別の人に合わせる、と言いましたが、母親は、高貴な人の方に、気持が傾いているのでした。父親は、普通の人で、母親は、藤原でした。それで、高貴な人の方にと思ったのです。その婿になるはずの人に、歌を詠み、人を遣わし、渡しました。住む所は、入間の郡、みよし野の里なのでした。
みよし野のたのむの雁もひたぶるに
君が方にぞよると鳴くなる
(みよし野の田面(たのも)の雁も、ただひたすらに、君が方に、頼み依り、夜に、鳴く。)
婿になるはずの人が、返し、
我が方によると鳴くなるみよし野の
たのむの雁をいつか忘れん
(自分の事を、頼み依りして、夜に鳴くという、みよし野の、田面(たのも)の雁を、忘れたりはしない。)
[11]☆一一段
昔、男があづまに出て行きました。友達に、その道の途中から、言い寄こしました。
忘るなよ程は雲井になりぬとも
空行く月の巡り逢うまで
(忘れないで、遠く、雲の涯てまで来たが、空を行く月が一巡りして、また同じ形の月に出逢う、その時まで。)
[12]☆一三段
昔、武蔵の国の男が、京の女の所に、「何か言うのは恥ずかしい。言わないと苦しい」と書いて、上書きに、「武蔵鐙」と書いて寄越して、その後、何の便りもなくなり、京から女が、
武蔵鐙さすがに掛けて頼むには
問はぬもつらし、問うも煩し
(武蔵鐙と言うので、それに踏み掛けて頼みとしても、便りのないのはつらいし、あっても煩い。)
そう、あるのを見ては、たまらない気持ちになりました。
問えば言う問わねば恨む武蔵鐙
かかる折にや人は死ぬらん
(何か言うと言い返され、言わないでいると恨まれての、その武蔵鐙で、こうしていたら、人は死ぬもの。)
[13]☆一四段
昔、男が、陸奥の国に、何の考えもなく、どうでもいいと思って、行っていました。そこの女が、京の人を珍しく、特別に思ったのか、強く、思う気持ちが出来ました。そこで、その女は
中々に恋に死なずはくわこにぞ
なるべかりける玉の緒ばかり
(なかなかに、恋に死ぬ事は出来なくて、それなら、この身が蚕になったらよかった、いずれ短い命だから。)
歌さえ、田舎風の鄙びたものでした。でも、さすがに、あはれとも思ってか、行って、寝ました。夜深くに、そこを出ると、女は、
夜も明けばきつに嵌めなでくたかけの
まだきに鳴きてせなをやりつる
(夜が明けたら、あの腐れ鷄は水桶に嵌める、まだ夜なのに、もう夫を遣ってしまうなんて。)
と言うので、それに対しては、「京へ出ます」と、
栗原の姉歯の松の人ならば
都のつとにいざと言わましを
(栗原の姉歯の松の、その人程の人ならば、都へ持ち帰るので、「さあ」と言うのに。)
と言うと、喜び、「好きだったのかも」と、言っているのでした。
※美艇言う:この女は面白い。きっと、ここで幸せになれます。
[14]☆一五段
昔、陸奥の国で、どうという事もない人の妻の所に、通っていたのでしたが、何かよく分からない所があり、そんな風でいるはずの女でもなく見えて、
信夫山忍びて通う道もがな
人の心の奥もみるべく
(信夫山の、忍び、通う、道があれば、そこを行き、人の心の奥を見たい。)
※美艇言う:男には、終に、分かり兼ねる女でした。
[15]☆一六段
昔、紀有常という人がいました。三代の帝にお仕えして、時の勢いもあったのですが、その後は、代が代わり、時が移りして、世の中の普通の人の様にさえも、していられませんでした。人柄は、心美しく、上品で優雅な事を好み、他の人とは違うのでした。貧しく暮らしていても、それでも、昔のよい時の心のままで、世の中の、普通の事も知らないままでした。長く連れ添い、馴れた女とは、ようやく、夫婦の事も終わり、ついには、尼となり、その姉の、自分より先に成りしていた所に行くのを、男は、深く思い合うという程の事はなかったけれども、「これで」と言い、行くのを、とても哀しく思いましたが、貧しくて、何かをして上げる事も出来ませんでした。思い嘆き、親しく行き来していた友達の所に、「こうこうで、『これで』と出て行くのに、何も、少しの事も出来なくて、行かせる事に」と書いて、その奥に、
手を折りて逢い見し事を数うれば
十と言いつつ四つは経にけり
(手の指を折り、二人が逢ってからを数えると、十を数えて、それが四回にもなる。)
その友達が、これを見て、とても哀しく思い、夜の物まで送り、詠みました。
年だにも十とて四つは経にけるを
幾度君を頼み来ぬらん
(年数だけでも、十を四回も数え、過ぎて来て、何度もあなたを頼みとして来たと思う。)
そう、言い遣ると、
これやこの天の羽衣むべしこそ
君がみけしとたてまつりけれ
(これこそはあの天の羽衣なんですね、あなたの御衣なのですか、大事にと、渡しました。)
喜びに絶えずに、また、
秋や来る露やまがうと思うまで
あるは涙の降るにぞありける
(秋が来て、露なのかと間違える程、そこにあるは、降る涙です。)
[16]☆一七段
この年頃、尋ねて来ることもなかった人が、桜の盛りに見に来たので、主が、
仇なりと名にこそ立てれ桜花
年に稀なる人も待ちけり
(すぐに遷ろうものと言われる桜の花が、その年に来たり来なかったりの人をも待つ。)
返しは、
今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし
消えずはありとも花と見ましや
(今日来なかったら、明日は雪の様に散っている、雪ではないので消えてはいなくても、花と見る事は出来ないかと。)
※美艇言う:明日は、お互いに、どうなっているか分からないと思い、来てみました。
[17]☆一九段
昔、男が、その宮仕えの女の方のごたち(御達)の、身分のある女と知合いました。間もなく、別れました。同じ所に居るので、女の目には見えていて、男の方は、「そこに居る」とも思わないのでした。女が、
雨雲の他所にも人のなり行くか
さすがに目には見ゆるものから
(雨雲が離れて行く様に、人も、そうなるのか、それでも、目には見えてしまう。)
と詠んで遣ると、男は、返しで、
雨雲の他所にのみして経る事は
我が居る山の風早みなり
(雨雲が離れて他所に行ったままなのは、その居る所の山の風が早いから。)
※美艇言う:落ち着いて、一緒に居られないのです。
[18]☆二〇段
昔、男が、大和にいる女を見て、通い、逢いました。そうして、少ししてから、宮仕えする人なので、その帰る道に、弥生(三月)頃で、楓の紅葉の、とても面白いのがあって、それを折り、女の所に、道から、言い遣りました。
君が為手折れる枝は春ながら
かくこそ秋の紅葉しにけれ
(あなたの為に、折り取ったこの枝は、今、春なのに、こんな風に、紅葉になっている。)
と遣ると、返事は、京に着いてから、人に持たせて、来ました。
いつの間に遷ろう色の付きぬらん
君が里には春なかるらし
(いつの間に、色が遷り変わるのでしょうか、あなたの所には春はないのかと。)
※美艇言う:男の心変わりを予感する女がいるのです。
[19]☆二一段
昔、男が、女と、お互いに、とても大事に思い交わしていて、気持ちは、いつも、同じでした。それが、どんな事があったのか、何でもない事から、二人の中が、つまらなく思えて、「出て行こう」と思い、こんな歌を詠み、物に書き付けました。
出でて去なば心軽しと言いやせん
世の有様を人は知らねば
(出て行くとしたら、心が軽い、思慮がないと人は言うかも知れない、それは、二人の事を、人は知らないから。)
と詠み置き、出て行きました。その女は、その書き置きを、「どうして、心に思い当たる事もないのに、何が理由で、そうなるの」と、とても泣いて、どこに探しに行けばよいかと、門に出て、あちらを見、こちらを見、見たのですが、何処へとも思い付かないので、家の中に、帰り入りして、
思う甲斐なき世なりけり年月を
仇(あだ)に契りて我や住まいし
(人への思いも甲斐のない事で、この年月も、契りも、意味なく自分は住んでいた。)
と言い、上の空で、眺め暮らしているのでした。
人はいさ思いやすらん玉かづら
面影にのみいとど見えつつ
(人は私の事を思っているのかどうか分からないけれど、その面影の玉かづら、それだけは何度も見える。)
この女が、ずいぶんしてから、寂しく思うようになったのか、言って寄越しました。
今はとて忘るる草の種をだに
人の心に蒔かせずもがな
(今となると、忘れ草の種だけは、人の心に蒔かせないで居られたらと思う。)
返しは、
忘れ草生うとだに聞くものならば
思いけりとは知りもしなまし
(忘れ草が伸びていると聞くのならば、思っていたという事が分かるけど。)
またまた、前よりも、一層、ことさらに深く、言い交して、男が、
忘るらんと思う心の疑いに
ありしより異に物ぞ哀しき
(忘れたかなと思う気持ちがあり、疑いもしていたので、今は、前よりも、いっそうなおさらに、思いが、哀しく、深くなる。)
返しは、
中空に立ち居る雲の跡もなく
身のはかなくもなりにけるかな
(空の真ん中に大きく立っていた雲が、その跡もなく消えて、自分も、はかないものに思えている。)
そう言ってはいたのですが、それぞれが、相手を見つけて過ごすようになり、疎遠になりました。
※美艇言う:二人に何があったのか、少しの事で、そうではなくてという、自分のこだわりがあって、それも、どうしてかは分からない事ですが、自分のしたい事をして、それで過ごすことが出来た、もともと、幸せ過ぎた二人だった様です。最後の女の返しの、「中空に」は、何か、この前にあって、それで、「今度こそ、さよなら」と言っている様です。
[20]☆二二段
昔、短く終わってしまった仲を、なかなか忘れられなくてなのか、女の元から、
憂きながら人をばえしも忘れねば
かつうらみつつ猶ぞ恋しき
(憂鬱な気分、でも、人の事を忘れも出来なくて、恨みながら、でも、恋しく思う。)
と言って遣ると、「それなら」と言い、男が、
逢い見ては心一つをかはしまの
水の流れて絶えじとぞ思う
(逢って、心を交わした、その川の、自分たちの仲は、水の流れで、続いて行くと思う。)
と言ってみたのですが、その夜に女の所に行きました。昔の事、行く先の事など、話をして、
秋の夜の千夜を一夜になずらえて
八千夜し寝ばや飽く時のあらん
(秋の夜の千の夜を一夜として、八千の夜、共に寝れば、ようやく満ち足りるのかと。)
返しは、
秋の夜の千夜を一夜になせりとも
言葉残りて鶏や鳴きなん
(秋の夜の千の夜を一夜としたとても、話したい事はまだまだあって、朝になり、鶏が鳴くと思う。)
昔より、思いは深くなり、通いました。
[21]☆二三段
昔、田舎の暮らしをしていた人の子供たちが、井戸の側に出て、遊んでいたのが、大人になり、男も女も、お互いに、恥ずかしくしていたのですが、男は、「この女を自分のに」と思う。女は、「この男を」と思いながら、親が相手を見つけて来ても、聞かないでいました。そして、この、隣の男の所から、こんな風に、
筒井筒の井筒に掛けしまろが丈
過ぎにけらしな妹見ざる間に
(井戸の筒井に合わせて測り比べした、自分の背も、あなたを見ていない間に、ずっと、高くなった。)
女が返し、
比べ来し振り分け髪も肩過ぎぬ
君ならずして誰か上ぐべき
(比べていた振り分けた髪も、今は伸び、肩を過ぎて、その髪上げは、するのはあなた。)
など、言い交して、ついに、思い通りに結ばれました。
そして、時が経ち、女は、親が亡くなり、頼りとするところもなくなり、「二人して、不甲斐無い暮らしをしていてもよくない」と、河内の国、高安の郡に、行き通う所が出来たのでした。けれども、この元の女は、「嫌だ」と思う様子はなくて、出掛けさせるので、男は、「別に、思う所があって、そうなのか」と、思い疑いして、前栽の中に隠れて、河内に行くような顔をして見ていると、この女は、綺麗に、顔も、身づくろいもして、外をぼんやりと眺めて、
風吹けば沖つ白浪たつた山
夜半(よは)にや君が一人越ゆらん
(風が吹いて、沖の白浪の、盗賊の、立つ、たつた山を、夜、あなたが、一人で越えて行く。)
と詠むのを聞いて、限りなく、哀しく、愛おしく思い、河内には、行かない様になりました。
まれまれに、その高安に来てみると、初めこそは、心の魅かれる様子も作りしていたのですが、今は、打ち解けて、自分で、しゃもじを手に、飯椀の器に盛るのを見て、心が折れて、行かなくなりました。それなので、その女は、大和の方を、目を向けて、見やり、
君が辺り見つつを居らん生駒山
雲な隠しそ雨は降るとも
(あなたのいる辺りを見てい、こうして居たいので、生駒山は、雨が降っても、雲が隠さないで欲しい。)
と言い、見たりしていると、どうにか、まれに、「大和人が来る」と言うのでした。喜び、待つのでしたが、度々、それは、そのまま過ぎてしまうのでした。それで、
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば
頼まぬものの恋いつつぞ経る
(あなたが来るという、その夜が、いつも、来ずに過ぎてしまうので、もう、当てにはしないでいても、恋しく思い過ごす。)
と言うのでしたが、男は、そこに住まなくなったのでした。
[22]☆二五段
昔、男がいました。「逢わない」とも言わない女の、さすがに、はっきり断るでもない人の所に、言い遣りました。
秋の野の笹分けし朝の袖よりも
逢わで寝る夜ぞ泥(ひぢ)増さりける
(秋の野の笹を分けて歩く朝の袖よりも、逢わずに寝る夜の方が、もっと濡れて、ぬかるみになる。)
色好みの女が、返し、
みるめなき我が身を浦と知らねばや
離れなであまの足たゆく来る
(みるめ(海松布)のない浜辺と知らないからなのか、海人が、見る目はない自分の、この浜辺に、いつも居て、疲れた足で歩いている。)
[23]☆二六段
昔、男が、五条辺りに住む女を、どうにも出来なかったと、悲しく思い、嘆いていると、その人からか、何か、の返り事に、
思ほえず袖に港の騒ぐかな
もろこし舟の寄りしばかりに
(思わずに、袖に、港の波が騒ぎ掛ける様に、涙が騒ぐのは、楽しみにもしていた、綺麗な唐船が寄り来ていたのを、その人が尋ねて来ていたのを、後で知ったから。)
※美艇言う:その人は、何も知らずにいて、後から、周りの話で、それと気が付いたのだという事です。
[24]☆二七段
昔、男が、女の元に、一夜行き、それからは、行かなくなり、それから、女が、手洗いの所の、ぬきす(貫簀)を除けて、見て、盥に映る誰かを見て、自分で詠み、
我ばかり物思う人はまたもあらじ
と思えば水の下にも有りけり
(自分程、物思う人は、外にはいないと思っていたら、盥の水の下にも居た。)
と詠むのを、来なかった男が、立ち聞いて、
みなくちに我や見ゆらん蛙(かはず)さえ
水の下にて諸声に鳴く
(水を使う、水口の所に見えるのは、自分かも知れないけれど、蛙も、水の下で、いっせいに鳴いては居るから、その蛙かも。)
※美艇言う:少し、間が空き、行く所に、躊躇う自分を見られては、行きかねて、です。
[25]☆二八段
昔、色好みの女が、出て行ってしまったので、
などてかく逢う期難みになりにけん
水もらさじと結びしものを
(どうして、こんな風に、逢う事が出来なくなったのか、水も漏らさずに、深く、しっかりと、交わりを結び合った事なのに。)
[26]☆二九段
昔、春宮の女御の御方の花の賀に、召され、招かれて、
花に飽かぬ嘆きはいつもせしかども
今日の今宵に似る時はなし
(花を見て、いつまでも見飽きず、満ち足りない嘆きのの思いは、いつもしていたが、今日、今宵の花に程、そういう思いの深い時はない。)
[27]☆三〇段
昔、男が、少しだけしか逢わなかった女の所に、
逢う事の玉の緒ばかり思うほえて
辛き心の長く見ゆらん
(逢ったのも、少しの間の事に思え、辛く、素っ気ない心の方が長くある様に思う。)
[28]☆三一段
昔、宮中の内で、宮仕えの女の方のごたち(御達)の、身分のある女の局の前を通ると、何を恨みに思ってか、「そんな風にしていても、草の葉の、どうなるか、その先を、いずれ、見るもの」と言う。男は、
罪もなき人をうけ(誓)えば忘れ草
己が上にぞ生うと言うなる
(罪のない人を占い呪うと、忘れ草が、自分の身の上に生えるものと言う。)
※美艇言う:何かで、人のこれからを呪い、腐して言うのは、自分が、その人からは忘れられてしまうという事。自分で自分を、世の中から消してしまう、ほとんど自殺だよと、頭に来て、言ってしまいました。
[29]☆三三段
昔、男が、津の国の、兎原の郡に通っていて、その女が、「今度は、帰って行くと、次ぎは来ない」と思っているようなので、男が、
芦辺より満ち来る潮のいや増しに
君に心を思い増すかな
(芦の浜辺に満ちて来る潮の、高くなり、増していく様に、あなたへの心の思いは増して来る。)
返しは、
こもり江に思う心をいかでかは
舟さす棹のさして知るべき
(隠れた水辺の、心の思いを、そこに浮かぶ舟のさす棹では、それと、はっきりとは分からない。)
[30]☆三四段
昔、男が、つれなくて、何の答えもしてくれない人の所に、
言えばえに言わねば胸に騒がれて
心一つに嘆く頃かな
(話し掛ければ、それはそれで、そして、話し掛けないでいても、胸が騒ぎ、心一つをどうしようもなく、ただ、嘆いている。)
※美艇言う:そういう自分がいて、それだけです。その事も書き留めて置きたいのです。
[31]☆三五段
昔、心に、そういう積りはなくて、いつか、行かなくなってしまった人の所に、
玉の緒をあはを(沫緒)に撚りて結べれば
絶えての後も逢わむとぞ思う
(玉の緒を、あわお(沫緒)に組み、結んだので、玉の緒が切れて、それでも、また、逢いたい(逢わむ)と思う。)
[32]☆三六段
昔、「忘れてしまったのよね」と、問い尋ねて来た女の所に、
谷狭み峯まで生える玉かづら
絶えむと人に我が思わなくに
(谷を越えて、峯まで伸びて行く玉かづらの蔓の、途中で、その人との間が、切れているとは、自分は思わない。)
[33]☆三七段
昔、男が、色好みの、魅力的な女に逢いました。気掛かりで、落ち着かなく思ったのか、
我ならで下紐解くな朝顔の
夕かげ待たぬ花にはありとも
(自分以外では、その下紐を解かないで、朝顔の花は、夕ベを待たない花とは思うけど。)
返しは、
二人して結びし紐を一人して
逢い見るまでは解かじとぞ思う
(二人で結んだ、その紐を、一人で、逢わずに、解く事はないと思う。)
※美艇言う:この返しを聞き、男は、いい答えの歌だなと思いましたが、それだけに、やはり、気掛かりで、落ち着かないのでした。
[34]☆三八段
昔、紀有常の所に行ったのですが、どこかを歩いていて、遅く来たので、詠んで遣りました。
君により思い習いぬ世の中の
人はこれをや恋というらん
(あなたに、これで、教えてもらったのは、世の中の人は、これを恋と言うのだと。)
返しは、
習わねば世の人ごとに何をかも
恋とは言うと問いし我しも
(習わなかったので、世の中の人が、何を恋というのか、自分は、尋ね聞いた事があった。)
[35]☆三九段
昔、西院の帝と言われる帝が居られました。その帝の御子で、たかいこと言われる方が居られました。その御子が亡くなられ、御葬儀の夜、その宮のある隣にいる男が、その御葬儀を見ようと、女車に乗り合わせて出ました。ずい分と長いこと、そこに居ましたが、葬送の車は出て来ませんでした。出て来ても、泣くだけで終わるところでしたが、天の下に、色好みで、その様を知られた、源至という人も、また、物を見に出ていたのですが、こちらの車を女車と見て、寄せ来て、何かと、誘い掛ける間に、その至が、蛍を取り、女の車に入れたので、車に居た人は、「この蛍の灯す火で、中が見える。その灯しを消して」と言うので、乗っていた、男が、詠みました。
出でて去なば限りなるべみ灯し消ち
年経ぬるかとなく声を聞け
(葬送の車が出て行けば、それですべてが終わりなので、灯しを消して、もう、ずいぶんと年が過ぎたと、泣くいているのを聞いて。)
その至の返し、
いとあはれなくぞ聞こゆる灯し消ち
消ゆるものとも我は知らずな
(灯しを消し、泣くのが聞こえて、そんな風に、消えてしまうとは、深くあはれに感じられて、それは、自分は、知らなかった。)
※美艇言う:「年経ぬるかと」、こちらは、もう、いい年なので、と断りを言うところに、至も、「分かりました」という事で、離れて行きました。色好みの歌にしては、素っ気なく、簡単でした。
[36]☆四一段
昔、女が、姉妹二人でいました。一人は、身分の低い、貧しい男を、一人は、身分の高い男を持ちました。身分の低い男を持った方が、師走(十二月)の晦日に、男の上の衣を洗い、自分で、洗い張りしました。その気持ちは、痛い程ですが、そうした、卑しい仕事も慣れていないので、上の衣の肩を、張り破ってしまいました。どうしようもなくて、ただ、泣きに泣きました。それを、身分の高い男が聞いて、とても、心苦しくて、この上なく清らかな、ろうそう(緑衫)の緑色の上の衣を、見つけて、それを遣り、
紫の色濃き時はめもはるに
野なる草木ぞ別れざりける
(若紫の色の濃い時に見渡す春の野にある草木に、区別はない。)
※美艇言う:同じ様に育った姉妹の人生の行く路は、それぞれの軌跡を辿って行きます。一人に送った、ろうそう(緑衫)の緑色の上の衣が、野なる草木で、別れ離れたところはないから、そう、何か言い立てるわけでもなくて、とにかく、送る、ということの様です。「めもはる」には、「衣を張る」が含まれています。そして、「別れざりける」で、気にするな、というところでしょうか。紫を持ち出したのは、贈物に添えたみやび心であるようです。
[37]☆四二段
昔、男が、色好みの、人を誘うと女と知りながら、逢い、言い交しました。けれども、憎からずは思うのでした。しばしば行き、それでも、気掛かりで、落ち着かなくて、とはいえ、どうにも、何かするという事も出来なくていました。それでも、そのままに、何もしないでという事も出来ない仲ではあるので、2日、3日程、他の事もあり、行かなくていて、それで、
出でて来し跡だに未だ変わらじを
誰が通い路と今はなるらん
(自分が出て来た、その路の跡が、そのままあるのに、今はもう、誰かが通う路となっているのか。)
※美艇言う:自分から、忙しくしてしまう、男、です。
[38]☆四三段
昔、賀陽の宮という皇子が居られました。その皇子が、ある女に思いを掛けられて、とても大切に、丁寧に、使われていたのを、人が、誘う様に近くを歩き、自分だけと思っていたら、また、他の人が聞き付け、文を渡すのでした。ほととぎすの姿を描いて、
ほととぎす汝が鳴く里のあまたあれば
猶うとまれぬ思うものから
(あのほととぎすは、あちこちの里で鳴いていて、やっぱり、それが嫌なのは、こちらの思う気持ちがあるから。)
と言いました。その女は、その言う所を思い見て、ほととぎすの気持ちで、
名のみ立つしでの田長は今朝ぞなく
庵数多と疎まれぬれば
(噂になって、しでの田長が今日も泣くのは、多くの庵を訪ねていると疎まれるから。)
時は、さつき(五月)なのでした。男が、返し、
庵多きしでの田長は猶頼む
我が住む里に声し絶えずは
(庵の多いのを疎まれる、その、しでの田長を、それでも、頼み、待っている、自分の居る里に声がするから。)
※美艇言う:女は、自分を巡る男たちの鞘当てに、あきれながらも、楽しく暮らしているところです。これは、男、女、男、の順の歌ですが、どうやら、男(女に代わり詠む)、女(男に代わり詠む)、男(女に代わり詠む)、の様です。もしも、この後に、女が、普通に女として、ほととぎすの鳴くのを楽しむ歌を詠めば、一歩前進です。
[39]☆四四段
昔、田舎に赴任して行く人に、馬のはなむけの、お別れをしようと、その人を呼び招き、疎遠な人でもないので、その家の主婦が、盃をさし、勧めて、女の装束を渡すのでした。主の男は、歌を詠み、裳の腰に、結い付けさせました。
出でて行く君がためにと脱ぎつれば
我さえもなくなりぬべきかな
(出て行くあなたのためにと、裳(も)を脱いで、自分さえもで、いなくなってしまう様な気がする。)
※美艇言う:「もなくなる」が言いたかったのです。お互いの記念に。
[40]☆四五段
昔、男がいました。人の娘で、大事にされていたのが、「どうにかして、その男に打ち明けたい」と思いました。言い出す事が難しくてか、もの病みになり、死にそうになってから、「その思いでいた」と言うのを、親が聞き付けて、泣きながら、告げて言うと、驚いて、急ぎ、来たのですが、死んだので、何もする気にならなくて、家に閉じこもっていました。時は、水無月(6月)の晦日、かなり、暑い頃に、宵からは、遊びをし、夜が更けてから、少し涼しい風が吹きました。蛍が、高く飛び上がる。この男は、それを、横になり、見ていて、
行く蛍雲の上まで去ぬべくは
秋風吹くと雁に告げ越せ
(飛ぶ蛍が、雲の上まで行くのならば、もう秋風が吹いていると教えに行ってくれ。)
暮れ難き夏のひぐらし眺むれば
その事となくものぞ哀しき
(暮れるのが遅い夏の日の一日中、ぼんやりと外を見ていると、なぜか、哀しくなる。)
※美艇言う:死んだ。何か、泣いたり、笑ったり、騒いだりして、だったら、違っていたかも知れなくて、ただ、ぼんやりと居るしかないのです。
[41]☆四六段
昔、男が、とても親しくしている友がいました。四六時中、お互いを思っていたのでしたが、人の国に行ってしまうのを、とても、残念に、悲しく思い、別れました。月日が経て、文が来て、「残念な事に、会う事もなくて、月日が経ちました。忘れられたかなと、辛い程、思い嘆いています。世の中の、人の心は、会わないと、忘れてしまうものなのかと。」と言っているので、詠んで、遣りました。
目離るとも思ほえなくに忘らるる
時しなければ面影に立つ
(会っていないと思えないのは、忘れる時がないからか、面影を、よく見ている。)
※美艇言う:友の行った先の国は近くて、でも、会う機会を求める事もなくて過ぎたのかと思います。そういう事はあります。
[42]☆四七段
昔、男が、親しく、どうにかしたいと思う女がありました。けれども、この男は、まじめでないと聞くので、いっそう冷たくして、言いました。
大幣の引く手数多になりぬれば
思えどえこそ頼まざりけれ
(大幣の引く手が多くあるので、思う気持ちはあっても、頼みとする気持ちになれない。)
返し、男が、
大幣と名にこそ立てれ流れても
ついに寄る瀬はありというものを
(大幣と言われる、それが流れても、最後は、どこかの川岸の瀬に、寄り着くと言う。)
※美艇言う:最後の行き先はあるのです、というのですが、あまり、積極的なアプローチではないですね。
[43]☆四九段
昔、男が、その妹の、とてもきれいでいるのを見て、
うら若み、寝よげに見ゆる若草を
人の結ばむことをしぞ思う
(今、萌え出でて、若くて、寝ると気持ちのよさそうな若草を、人が手にする事になるのかと思う。)
と言うのでした。返しは、
初草のなどめずらしき言の葉ぞ
うらなく物を思いけるかな
(見慣れた、いつもの初草に、どうして、思いがけない事を言うのか、言いたい放題ね。)
※美艇言う:返しの歌は、それを聞いて、気が利いていると思い、この物語に、書き加え、書き入れたくなったのです。
[44]☆五〇段
昔、男がいました。恨み言を言う人が、憎らしく、思われて、
鳥の子の十づつ十は重ぬとも
思わぬ人を思うものかは
(とりの卵を10個重ね、さらに、それを、10回重ねられたとしても、思っていない人を思う事はない。)
と言うと、
朝露は消え残りてもありぬべし
誰かこの世を頼み果つべき
(朝露が消え残る事はあっても、誰も、この世に、いつまでもと、頼みとする事はできない。)
また、男が、
吹風に去年の桜は散らずとも
あな頼み難人の心は
(吹く風に、去年の桜が、まだ散らずに残っている事があっても、人の心は、頼みにならない。)
また、女が、返しで、
行く水に数書くよりもはかなきは
思はぬ人を思うなりけり
(流れる水に数を書くよりも無駄な事は、自分を思っていない人を思う事。)
また、男が、
行く水と過ぐる齢と散る花と
いづれ待ててふ事をきくらん
(流れる水、過ぎ行く年令、散る花、どれも、待つという事は、聞かない。)
※美艇言う:お互いに言い合って、「恨む」とか、「頼む」とか、「思い」、「思わぬ」を言っていても、このやり取りを、遊んでいますね。最初の歌は、男が詠んだのですが、自分事のを思っていない人を思う事はない、と言う所から始まります。そして、最後、男が、自分のどうする事も出来ない事は、どうにもならないのっです、と締め括ります。男の論理は、いささか、勝手な言い草ですが、どうなのでしょう。
[45]☆五一段
昔、男が、人の庭の前栽に、菊を植えて、
植えし植えば秋なき時や咲かざらん
花こそ散らめ根さえ枯れめや
(植えに植えたので、秋がなら咲かないけれど、それはなくて、必ず咲くし、その咲いた花の散る事はあっても、その根は枯れる事はない。)
※美艇言う:何もない短いお話しですが、人を考えさせる複雑さがあります。秋があるのかないのか、あるなら、花は咲くけど散って、それでも根が残るとか、秋がないなら、花は咲かないけど、それなら、何のために植えたのか、面倒くさい事言うんじゃない、と言われそうです。
[46]☆五二段
昔、男がいました。人から、かさなりちまきを送って来て、その返事に、
あやめ刈り君は沼にぞ惑いける
我は野に出でて狩るぞ侘しき
(ちまきのあやめを刈りに沼をあちこち歩き回ったとか、自分は野に出て、やりきれなく、侘しい気持ちで、狩りをしていた。)
そう言って、雉を送りました。
※美艇言う:ちまきを貰ってうれしくて、この歌を詠み、それから、人に頼んで、雉を手に入れたというのが真相でしょう。
[47]☆五三段
昔、男がいました。逢うのが難しい女と逢い、物語りなどしている内に、鳥が鳴き、
いかでかは鳥の鳴くらん人知れず
思う心はまだ夜深きに
(どうして、もう、鳥が鳴き、朝だと言うのか、人に知られず思う心は、深いままの夜でいるのに。)
※美艇言う:鳥が鳴き、もう去らねばならず、「人知れず思う心」と言うのが精いっぱいの事でした。
[48]☆五五段
昔、男が、好きになった女が、どうにもできないと分かってから、
思わずはありもすらめど言の葉の
折節ごとに頼まるるかな
(自分の事を思うなどはないだろうけど、言葉を交わす折々には、ちょっと期待しないでもない。)
[49]☆五六段
昔、男が、寝ては思い、起きて思いして、思い余り、
我が袖は草の庵にあらねども
暮るれば露の宿りなりけり
(自分の袖は、草の庵ではないけれど、日が暮れると、露に濡れる。)
※美艇言う:これは、普通ですね。余りに簡単に、言葉が出て来て、その状況も、考えても、簡単なものになりました。
[50]☆五七段
昔、男が、人知れず、物思いして、相手にしてくれない、つれない人の所に、
恋い侘びぬあまの刈る藻に宿るてふ
我から身をも砕きつるかな
(恋をして、思い患い、海人の刈る藻に住むわれから虫の様に、われから、自分一人で、身が細る、砕ける思いをしている。)
※美艇言う:われからという名の、海草に付いているのを目にする虫は、身を護る殻もなく、いかにも、頼りなく、人も言う、我からの有り様に、それで思い付いたこんな歌、いつか使えるかもしれないと思うのでした。
[51]☆五八段
昔、意識して色好みの風流をしたい男が、長岡という所に、家を作り、住んでいました。その隣の宮様の関係の方が居る所の、どうということもない女たちが、田舎の事で、田の稲刈りがあり、その男の居るのを見て、「素晴らしく風流な人がいる」と、集まり、入って来て、その男は、逃げて、奥に隠れると、女が、
荒れにけりあはれ幾世の宿なれや
住みけん人の訪れもせぬ
(荒れていて、いったいどのくらい経った家なのか、住む人も来なくなっている。)
と言って、その宮に集まり来ていると、その男が、
葎(むぐら)生いて荒れたる宿の慨(うれ)たきは
かりにも鬼の集くなりけり
(草葎(むぐら)が伸びて、荒れた宿の嫌なのは、まさかに、田を刈るにも、鬼が集まったりするから。)
と、そう詠んでやりました。
その女たちが、「落ち穂拾いしましょう」と言うので、
うち侘びて落ち穂拾うと聞かませば
我も田面に行かましものを
(ひどく貧しくて、落ち穂を拾うと言うのなら、自分もその田に出てくのだけど。)
※美艇言う:一人の田舎住みを楽しもうと思っていたら、鬼の様な女たちが沢山いて、そこに、一人で出て行くのは、何もなく、ただ面倒に思うだけですが、暇つぶしにはなります。
[52]☆五九段
昔、男が、京を、どう思ったのか、「東山に住む」と思い決めて、
住み侘びぬ今は限りと山里に
身を隠すべき宿求めてん
(住む所に居てもつらくなり、もうこれで終わりでいいから、山里に身を隠す宿を求める。)
そうして、ひどく、もの病みして、死にそうになったので、その顔に水を掛けたりすると、生き返った様になり、
我が上に露ぞ置くなる天の川
門(と)渡る船の櫂の雫か
(自分の上に露が置くのは、天の川を渡る船の櫂の雫かな。)
と言い、生き返りました。
※美艇言う:天の川を渡る船の櫂の雫の露が置いたと思うと、自分もまだ捨てた者でもないという希望が湧いて来たのです。
[53]☆六〇段
昔、男がいました。宮仕えが忙しくて、心の思いやりもなくていて、その家刀自(妻)は、「いつも大事にする」と言う人に付いて、人の国に出て行きました。男は、宇佐の使いで出た時に、ある国の祗承(しぞう)、接待の役の官人、の妻でいると聞いて、「女の主にも、盃をさせてくれ。そうでなければ、飲まない」と言うと、盃を持って出て来たので、肴に出ていたたちばなを取り、
五月待つ花橘の香をかげば
昔の人の袖の香ぞする
(さつき(5月)を待つ花橘の香りは、昔の人の袖の香りがする。)
と言って来たので、思い出し、尼になり、山に入って行ってしまったのでした。
※美艇言う:女が思い出した時、もう、時は過ぎていて、その時の思いでは、後悔というよりは、今の自分を振り返りして、次の決断をした事が、その人らしい事ではあります。
[54]☆六一段
昔、男が、筑紫まで行っていた時に、「あれは、色を好むと言われる好きもの」と、簾の中の人が言うのをふと聞いて、
染め河を渡らん人のいかでかは
色になるてふ事のなからん
(染河を渡る人は、色に染まる、染め色にならないはずがない。)
女が、返し、
名にし負わば仇にぞあるべきたはれ(戯れ)島
浪の濡れ衣着ると言うなり
(名前が、浮気な、たはれ(戯れ)島なので、浪に、濡れ衣も着るのだと言う。)
※美艇言う:染河を、いつも渡ってるあなた達、と言われて、「たはれ(戯れ)島は、あなたね」という女房がいて、その場は事なく収まりました。大宰府まで来ると、気が利く女もいるものです。
[55]☆六二段
昔ですが、何年も、尋ね、訪れずに過ぎていた女が、考えが足りなくてか、当てにならない人に釣られて、人の国の人に使われていて、昔、逢っていた人の前に出て来て、何か食べる世話などしました。「夜に、この、今いる人を下さい」と、主に言うと、寄越しました。男は、「自分を覚えてないか」と、
いにしえの匂いはいづら桜花
こけるからともなりにけるかな
(桜の花の昔の匂いはどこに行ったのか、ずいぶん姿は変わってしまったようだ。)
と言うのを、「恥ずかし過ぎる」と思い、それに答えもせずに居ると、「どうして、答えない」と言うと、「涙が零れて、目も見えず、物も言えなくて」と言う。
これやこの我にあふみを逃れつつ
年月降れど勝り顔なき
(ここにこうして、自分に逢うのを避けて、近江を離れ来ていて、年月が過ぎ、でも、顔を見ると、よかったというわけでもなく見える。)
と言い、衣を脱ぎ、取らせたのですが、それを捨てて、逃げました。どこに行ったかも分からなくなりました。
※美艇言う:その時、ふとした、行き違いで、離れてしまった人が、たまたま、また会った時に、どうなのか、自分にできる事はなかったかなと思うのでした。
[56]☆六三段
昔、恋心に目覚めた女が、「どうにかして、心の思いの深い男に逢いたいもの」と思いましたが、それを言い出す機会もなくて、作った夢物語をしました。二人の子は、つまらなく答えるだけでした。三男の子は、「よい男が、きっと、出て来る」と、話を合わせると、この女は。機嫌が、とても、よいのでした。「他の人では、全然、つまらない。どうにかして、在五中将に逢わせて上げたいもの」と思う気持ちがありました。狩りをして歩く内に、行き合う事があって、道で、馬の口を取り、「こういう事を思っています」と言うと、あわれに、感じ入りして、来て、寝ました。それから、その後、男が逢いに来ないので、女は、男の家に行き、覗き見ると、男は、それに気が付いて、
百年に一年足らぬつくも(九十九)髪
我を恋うらし面影に見ゆ
(白髪の髪の女が、自分を思い慕うのか、その面影が幻に見える。)
と、出で立つ様子なのを見て、とげのある、むばらやからたちに懸かり、払いして、家に来て、伏せり、横になるのでした。男は、その女のした様に、忍び、隠れて立ち、見ると、女は、ひどく悲しんで、寝ているという様にして、
さむしろ(狭筵)に衣片敷き今宵もや
恋しき人に逢わでのみ寝む
(さむしろ(狭筵)の上、そこに、衣を片敷きして、今夜も、恋しい人に逢わずに寝る。)
と詠んだのを、男は、心を動かされ、その夜は、行き、寝ました。
※美艇言う:下の男の子が手引きしてくれて、男が、すぐに逢いに来てくれたのを、他から、あれこれ言うのは、もう、その時代、時が過ぎただけで、人に分かってもらう事ではないのです。それに、女の歌は、心を動かされるものがあります。
[57]☆六四段
昔、男が、秘密に文を交わすという事もせずにいて、その住む所がどこなのか、疑問に思い、知りたくて、詠みました。
吹く風に我が身をなさば玉簾
ひま求めつつ入るべきものを
(吹く風になれるなら、玉簾の隙間を見つけて、そこから中に入りたい位だ。)
返しは、
取りとめぬ風にはありとも玉簾
誰が許さばかひま求むべき
(風は、どこでも自由に行き来するけど、誰の許しもなく、玉簾の隙間を見つける事は出来ない。)
※美艇言う:男が思うのは、「許さない」とは言っていない、「許せば」、いいんだよね、という事で、しばらくは忘れられない筈。
[58]☆六五段
昔、上の覚えで使われる女で、着るものの決まりの色、禁色の、許されたものがいました。大御息所でおられる方の従姉妹でした。殿上に仕えていた在原の男で、まだ、ごく若ていたのを、その女が、逢い知る事になったのでした。男は、女方の出入りをを許されていたので、女のいる所に来て、向かい合わせに座っているので、女は、「まともでなさ過ぎる。身を滅ぼす。そんな事しないで」と言うと、
思うには、忍ぶる事ぞ負けにける
逢うにし替えばさもあらばあれ
(この思いには、忍ぶという事は負ける、逢う事が出来さえすれば、それでいい。)
と言い、女が自分の居場所に下がると、いつもの、その部屋に、人が見るのも知らずに、上がり来て、居るので、その女は、思い悩み、自分の里に帰りました。そうすると、「それは、よい事」と思い、行き通うので、人は、聞いて、笑うのでした。次の日の朝、主殿司が見ると、沓は脱ぎ、奥に投げ入れ、宮中に上るのでした。
こうして、まともではない振舞いで、自身も、全てを失う事になるものと思い、「最後は破滅だ」と、この男は、「どうするべきなのか。自分の、この心を止めて下さい」と」、仏、神にも、申し、頼みもするのですが、思いは、一層と増すばかりで、なおも、どうしようもなく、恋しく思うばかりなので、陰陽師、神薙(かんなぎ)を呼び、「恋をしない」という為の祓えの物を持って、そこに行きました。祓えをする内にも、さらに、悲しみの数が増して来て、前よりも、怪しい程、恋しくとばかり思うので、
恋せじとみたらし河にせし禊ぎ
神は受けずもなりにけるかな
(恋はしないと、みたらし河に禊ぎをしたのに、神はそれを聞き入れもしないという事になってしまった。)
と言い、立ち去りました。
この帝は、顔形よくて居られて、仏の御名を、御心に入れ、御声の貴く唱えられるのを聞いて、女は、激しくなきました。「この君に仕えずに、宿世拙く、悲しい目に会うのは、この男に、情に引かれて」と、泣くのでした。こうした中で、帝は、御聞きになられて、この男を流してしまわれたので、この女の従姉妹の御息所は、女を下がらせて、蔵に籠め、閉じ込め、それで、蔵に籠り、泣くのでした。
あまの刈る藻に住む虫のわれからと
音をこそ泣かめ世をば恨みじ
(海人の刈る藻に住む虫の、我(われ)からと思うと、声に出しては泣いても、こうなった事を恨む積りはない。)
と泣いていると、この男は、人の国から、夜毎に来て、笛を、とても上手に吹いて、声を、美しく、心に響く調子で歌いました。それで、この女は、蔵に籠りながら、そこに居るとは聞こえても、お互いを見る事も出来なくて居るのでした。
さりともと思うらんこそ悲しけれ
あるにもあらぬ身を知らずして
(それでも、と思っているらしいのが悲しい、あっても、ないのと同じ、この身の事を知らないから。)
と思って、そこに居るのでした。男は、女が逢わないので、こうして行き来して、人の国を歩き、こう詠みました。
徒(いたづら)に行きては来ぬるもの故に
見まく欲しさに誘われつつ
(空しく、行っては、帰るを繰り返す、逢いたい気持ちに誘われて。)
※美艇言う:一つのエピソードが完結しました。それで、よかったのかなとも思わせます。登場人物のそれぞれに次の物語が用意されていた様です。悲恋の物語ではなく、後年、そのそれぞれが、懐かしく思い出して、ほっとして、笑い合う、鮮やかさが消えない、思い出です。
[59]☆六六段
昔、男が、津の国に、知っている所もあり、兄、弟、友達を連れて、難波の方に行きました。渚を見ると、舟が多くあり、それを見て、
難波津を今朝こそみつの浦毎に
これやこの世をうみ渡る舟
(難波の浜を、今日、朝に、来て見ると、そのみつの浦の、至る所に、この世の海を、草臥れて、倦み、嫌になり、のろのろと渡る舟が居た。)
この歌を、しみじみと思い、人々は帰りました。
※美艇言う:とても、楽しい気分にはなれなかったと。たぶん、何もしないで。
[60]☆六七段
昔、男が、遊びで、旅に出て、気の合う人達を誘って、和泉の国へ、きさらぎ(二月)頃、行きました。河内の国、生駒の山を見れば、曇ったり、晴れたり、雲が、止む事なく、立つのでした。朝から曇りで、昼に、晴れました。雪が、とても白く、木々の梢に降り積りっているのでした。それを見て、その一行の中で、一人だけ、歌を詠みました。
昨日今日雲の立ち舞い隠ろうは
花の林を憂しとなりけり
(昨日、今日と、雲が休みなく立ち、隠そうとしていたのは、花の林と見られる有様が辛いから。)
※美艇言う:まだ、花の代わりに雪を載せている枝々を見て、誰も歌を思い付かない時に、この男は、いち早く、花に託けて、歌を詠むのでした。他の人は、花に見まがう雪、などと考えていたのでしょう。
[61]☆六八段
昔、男が、和泉の国へ行きました。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜を行くと、とても面白くて、浜に降り、そこに座って見たりしながら、行きます。ある人が、「住吉の浜を入れて詠め」と言う。
鴈鳴きて菊の花咲く秋はあれど
春の海辺に住吉の浜
(鴈が鳴き、菊の花が咲く秋もあるけれど、春の海辺の住吉の浜だ。)
と詠むと、皆、他の人は詠まなくなりました。
※美艇言う:春の住吉をと思っているのに、秋の風情まで詠まれては、他の人は嫌になってしまいます。
[62]☆六九段
昔、男がいました。その男が、伊勢の国に、狩の使で、行ったのですが、その伊勢の斎宮となっている人の親が、「いつもの使いよりも、この人を、よく、大事にお迎えしなさい」と言い遣わしていたので、親の言葉なので、ずいぶん、丁寧に、お迎えしました。朝には、狩りに、その準備をさせ、出してやり、夕方には、狩りの帰りに、来させて、お迎えしました。そうして、心を込めて、お世話したのでした。二日目という夜、男は、「どうしても、逢いたい」と言う。女も、それに対して、まったく、逢わない積りにも思っていない。けれども、人目が多くて、逢う事が出来ない。使いの中心の人なので、宿は遠くはない。女の寝屋の近くにあったので、女は、人を寝静めてから、子の刻一つ(午後11時から11時半)頃、男の所に来ました。男は、まったく、寝られないでいたので、外の方を見て、横になっていると、月の朧な中に、小さき童を先に立てて、人が立ちました。男は、ほんとに、嬉しくて、自分の寝ている所に、手を引き、連れて入り、子の刻一つから丑三つ(午前2時から午前2時半)まで、そうしていて、まだ、何事も語り合わない内に、帰ったのでした。男は、とても、悲しくて、寝られませんでした。翌朝、様子が知りたかったのですが、自分から人を遣わす事も出来ないので、とても、落ち着かない気持ちでいて、何もできずに、待つしかなかったのですが、夜が明けて、暫くしてから、女の許から、詞はなくて、
君や来し我や行きけむ思ほえず
夢かうつつか寝てか醒めてか
(あなたが来たのか、自分が行ったのか、思いは定かでなく、夢か現実か、寝ていての事か、醒めての事かも、分からない。)
男は、とても、激しく泣いて、詠みました。
かきくらす心の闇に惑いにき
夢、うつつとは今宵定めよ
(一面に暗い心の闇の中で、迷いました、その夢かうつつかは、今夜、決めて。)
と詠み遣り、狩りにでました。野を歩いても、心は上の空で、「今夜こそ、人を寝静めて、できるだけ早く逢いたい」と思うのに、国の守で、斎宮の上でもある人が、狩りの使が来ていると聞き、夜通し、酒飲みして、そのために、もはや、逢う事も出来ず、夜が明ければ、尾張の国に発つ事になっていて、男も、人知れず、血の涙を流しても、逢う事は出来ないのでした。夜が、ようやく明けかかる頃、女方から出された盃の皿に、歌が書かれていて、出して来ました。それを取り、見れば、
徒歩(かち)人の渡れど濡れぬえにしあれば
(歩く人の渡るのにも濡れない程の江(縁)だったので)
と書いてあり、その末の句がないのでした。その盃の皿に、松明の炭で、歌の末の句を書き付ける。
また、逢う坂の関は越えなん
([縁があれば]、また、逢う、逢坂の関を越える事がある。)
と、夜が明けて、尾張の国へ越えていくのでした。
※美艇言う:「えにしあれば」と詠まれた時、それに続く末の句は、こうでなければならない、その通りに、男は答えて、この話は終わりました。隠れて読む文字の物語として、読む本の始めの時代に、この話の印象の強さは、後世の、いろいろなメディアの雑音に囲まれた中にいる人たちの想像を越えるものがあったと思われます。読み耽る、という事が、始まりました。他の物語にも、手が出て、それで、本の良し悪しの議論も始まり、ベストセラーなども始まります。それにしても、「月の朧な中に、小さき童を先に立てて、人が立ちました」の所は、映画にできたら、「ローマの休日」の「真実の口」のシーンに負けず劣らずの、人の記憶に残るシーンが撮れるはずです。
[63]☆七〇段
昔、おとこが、狩の使から帰って来る時に、大淀の渡しに宿を取り、斎宮に仕える童に、言うのでした。
見るめかる方やいづこぞ掉差して
我に教えよあまの釣船
(海で海松布(みるめ)を刈る、それは、どの辺りでか、海人のつり舟の人は、その持つ棹を海に差し、海松布(みるめ)を刈る動きで、見る目を離(か)れた、その人の、居る場所を、ここにいる、自分に教えて。)
※美艇言う:もう、遠く離れて来てしまった人が、狩の使で行った伊勢の方を、眺めていたい、という気持ちです。
[64]☆七一段
昔、男が、伊勢の斎宮に、宮中の内の御使いで行っていた折に、その斎宮の宮で、何でも遠慮なくもの言う女が、秘かに、人に聞かせずに、
千早振る神の斎垣も越えぬべし
大宮人の見まく欲しさに
(千早振るという、怖ろしい、神の囲みに巡らす垣根も越えて行く、大宮人が見たくて。)
男は、
恋しくは来ても見よかし千早振る
神の諫むる道ならなくに
(恋しいのなら来てみて、千早振るという、怖ろしい神の、その禁じる道ではないから。)
※美艇言う:この女のアンテナの中には、写るものがあった。
[65]☆七二段
昔、男が、伊勢の国の女に、またと逢う事もなく、隣の国に行く事になり、女を、ひどく恨むので、女が、
大淀の松は辛くもあらなくに
恨みてのみも返る浪かな
(大淀の松は、待つだけ、辛くした訳でもないのに、浦を見て、恨み、沖に返る浪って何。)
※美艇言う:男にとっては、女が、女にとっては、男が、何考えてるの、という事でしょうか。
[66]☆七五段
昔、男が、「伊勢の国に連れて行きたい」と言うので、女が、
大淀の浜に生ふてう見るからに
心は和ぎぬ語らわねども
(大淀の浜にあるという海松(みる)の、見るだけで、心は和む、特に親しくしなくても。)
と言い、いっそう、つれなくて、冷たいので、男が、
袖濡れてあまの刈り干すわたつうみの
見るを逢うにてやまんとやする
(袖を濡らし、泣いている、海人の狩り干す渡津海の海松(みる)の、見るを、逢うという事にして、それで終わりにしようとする。)
女は、
岩間より生うるみるめしつれなくは
潮干潮満ちかいもありなん
(岩の間に生える海松布(みるめ)がつれなくて、相手にされないのなら、潮の干満のくり返しの内に、貝もあり、その甲斐もあり、何とかなるかも。)
男が、また、
涙にぞ濡れつつ絞る世の人の
辛き心は袖の雫か
(涙に濡れて絞る袖の雫は、その人の、つれなく、辛い心がそうさせている。)
まったくもう、逢う事の難しい女です。
※美艇言う:「涙にぞ濡れつつ絞る 世の人の辛き心に 袖の雫を」と、読むところです。「に」を、「は」に、そして、「を」を、「か」に、替えるのは、あり得るところで、そもそも、語順が、歌の句の文字数、リズムの事もあるのか、散文のそれではないので、文法的に変形されています。それにしても、女の歌は、読み易く、説得力があり、余裕があると言うか、実力が、この男には、まだ追い付けない様です。
[67]☆七六段
昔、二条の后が、まだ、春宮の御息所と申された頃に、氏神にも詣でられて、近衛司に出仕の翁が、人々が禄を賜る折りに、御車から賜り、それで、歌を詠み、差し上げられました。
大原やをしほの山も今日こそは
神世の事も思い出ずらめ
(大原の小塩の山も、今日こそは、神世の、昔の事も、思い出している。)
※美艇言う:少し、僻みっぽくなっていて、歌の姿も古めかしく、輝きはもうないです。
[68]☆七九段
昔、氏の中に、皇子が生まれました。その御産屋に、人々が歌を詠みました。御祖父方の翁が詠みました。
我が門に千尋ある影を植えつれば
夏冬誰か隠れざるべき
(我が氏の一門の中に、千尋も陰のある樹を植えたので、夏冬、いつでも、そこに隠れないという人は誰もいない。)
[69]☆八〇段
昔、衰えた家で、藤の花を植えた人がありました。弥生(三月)の晦日に、その日、雨が、ずっと降る時に、人の許に、折って、献上するという事で、詠みました。
濡れつつぞ強いて折りつる年の内に
春は幾日もあらじと思えば
(雨に濡れながら、敢えて、折りました、春は、もう、何日もはないと思い、それで。)
※美艇言う:藤の花の風情として、なるほど、ですが、これを献上された人が、どう思ったかは、ともかく、詠みました。
[70]☆八一段
昔、左大臣という方が、いました。賀茂川の辺、六条辺りに、家を、とても、面白く作り、住んでいました。神無月(十一月)の末に、菊の花の色が移ろいして、盛んな頃、紅葉が色とりどりに見える頃に、皇子達をお招きになり、ある夜、夜通し、酒飲みして遊び、夜が明けて行く頃に、この御殿の面白さを誉める歌を詠む。その場に居た、乞食(かたい)翁が、板敷の下に這い歩き来て、人の皆に詠ませ終えてから、詠みました。
塩竃にいつか来にけん朝凪に
釣りする舟はここに寄らなん
(塩竃に、いつの間にきたのだろうか、朝凪に釣りする舟は、ここに寄って見るとよいのに。)
と詠んだのは、陸奥に行った時に、不思議に面白く、魅力的な所々が多くありました。我が帝の六十余国の中に、塩竃という所に似た所はないのでした。それでこそ、その翁が、この場所を、いっそう誉めて、「塩竃にいつか来にけん(塩竃に、いつの間にきたのだろうか)」と詠んだのでした。
※美艇言う:乞食(かたい)翁にしてみれば、皆さん、ここの、何がよい、あれがよいと誉めるでしょうが、聞き飽きました。塩竃と言われても、分からないでしょうが、それはそれは、美しい所で、今いるここが、その位のものだと、知らない人には分からないでしょうが、自分と、左大臣なら、分かるのです、などと言っているのが聞こえるようです。
[71]☆八二段
昔、惟喬親王と申される皇子がおられました。山﨑の先の、水無瀬という所に、宮がありました。年毎の桜の花盛りには、その宮へと、行って居られました。その時、右馬頭だった人を、いつも、連れて行っておられました。今は、時も世も過ぎ、その人の名は忘れました。狩りは、それほど身を入れてもせずに、酒を飲みながら、大和歌に、掛かりっきりになりました。今、狩りをしている交野の渚の家、その院の桜は、特に面白いのでした。その木の下に、馬を下り、座り、枝を折り、頭に、簪に差し、位の、上、中、下、皆が歌を詠みました。右馬頭だった人が詠みました。
世の中に絶えて桜のなかりせば
春の心は長閑けからまし
(世の中に、桜が一切なかったら、春の気持ちは、長閑な事だ。)
などと、詠みました。また、他の人の歌で、
散ればこそいとど桜は愛でたけれ
憂き世に何か久しかるべき
(散るのでこそ、桜は見事なので、この憂き世に、長く留まる必要はない。)
そして、その木の下を立ち、帰り、日暮れになりました。
そこに、御供の人が、酒を持たせて、野の中を出て来ました。「この酒を飲もう」と、よい場所を探して行くと、あまの河という所に来ました。親王に右馬頭が御酒を差し上げる。親王の言われたのは、「『交野を狩りして、あまの河の辺に来る』を題にして、歌を詠み、それから、盃を差せ」と言われるので、その右馬頭が、詠み、献げられました。
狩り暮らし棚機女(たなばたつめ)に宿借らん
あまの河原に我は来にけり
(一日中、狩りをして、今は、七夕の織姫に宿を借りよう、あまの河の河原に来たので。)
親王は、この歌を、繰り返し、繰り返し、吟じられて、その返しは、出来ないでおられました。紀有常が御供に仕えて居られました。それが、返しをされました。
一年に一度来ます君待てば
宿貸す人もあらじとぞ思う
(一年に一度だけ来る人を待っているのに、その宿を貸す人はいない。)
帰って、宮にお入りになられました。夜が更けるまで、酒飲みし、物語して、主の親王は、酔い、内にお入りになろうとします。十一日の月も隠れようとしていて、あの右馬頭が詠みました。
飽かなくにまだきも月の隠るるか
山の端逃げて入れずもあらなん
(まだ物足りないのに、もう、月が隠れるなら、山の端が逃げて、月を入れないで欲しい。)
親王に代わられて、紀有常が、
押しなべて峯も平になりななむ
山の端なくは月も入らじを
(押し並べて、峯も平になってしまうとよい、山の端がなくなれば、月も入るところがない。)
※美艇言う:思う存分、楽しい、忘れられない一日です。この様な歌のやり取りも、受けてくれる人があればこそです。
[72]☆八三段
昔、水無瀬に、よく、行かれていた惟喬親王が、いつもの狩りをしに出られました。御供に、右馬頭の翁がお仕えされてました。何日かして、宮にお帰りになられました。御送りして、「すぐに、帰る」と思っていたのに、「御酒を賜い、禄を賜う」という事で、行かせませんでした。この右馬頭は、どうしようと思い、
枕とて草引き結ぶ事もせじ
秋の夜とだに頼まれなくに
(枕に草を結んでの旅寝はしない、秋の夜の夜長ではなく、それを頼みにはできず、もう、帰りたいので。)
と詠みました。時は、弥生(三月)の晦日でした。親王は、御寝みにならずに、夜を明かしました。
そんな風にして、詣で来ては、お仕えしていたのが、思いの外に、御髪を下ろされたのでした。睦月(一月)に、「お目に懸かりに」と、小野に詣で来ると、比叡の山の麓なので、雪がとても高くありました。何とか、御部屋に詣でて、お目に懸かると、所在なさげに、物悲しくしていらっしゃったので、少し、長く、御側に居て、昔の事など、思い出して、御話などされました。「そのまま、御側に居たい」と思いましたが、公務の仕事の事もあったので、そこに居る事も出来ず、夕暮れに、帰る時、
忘れては夢かとぞ思う思いきや
雪踏み分けて君を見むとは
(現実を忘れて、夢かと思うのは、雪を踏み分け、親王に御目に懸かるとは、思ってもいなかった。)
とて、泣く泣く帰るのでした。
※美艇言う:昔の、政治の現場で起きていた事の、当事者の思いが、直接、語られています。一方では、時に逢い、日の目を見る人たちのざわめきが、遠く、聞こえて来る様な、新しい社会の向かう先が、明るく見えるのです。
[73]☆八四段
昔、男がいました。身は卑しくても、母は宮様でした。その母は、長岡という所に住まれていました。その、子は、京に宮仕えしていたので、お目に懸かろうとしても、しばしばは、出来ないのでした。一人子だったので、とても可愛がっておられたのでした。そうしたところ、師走(十二月)になった頃に、急の事として、御文がありました。驚き、見ると、歌がありました。
老いぬればさらぬ別れのありと言えば
いよいよ見まく欲しき君かな
(年を取り、必ず来る別れもあると言う事を思うと、より一層、あなたに会いたい。)
その、子なので、とても激しく、泣いて、詠みました。
世の中にさらぬ別れのなくもがな
千代もと祈る人の子の為
(この世に、必ずの別れがなければよい、千代もと祈る、人の子の為に、)
※美艇言う:母の歌に答える歌は、何も考えられない、という有様です。業平が生まれてすぐ、阿保親王の子として、在原姓で臣籍降下されているので、それを思い、見る、子への視線は、一層、特別です。
[74]☆八五段
昔、男がいました。子供の頃から仕えていた親王が、御髪を下されたのでした。睦月(一月)には、必ず、御目に懸かりに参られていました。公の宮仕えがあったので、いつもいつもは、行く事は出来ませんでした。けれども、以前の心を失わず、参られていたのでした。昔、仕えていた人、俗の人、禅師の僧など、多く、参り、集まり来て、「睦月(一月)なので、事の始め」と、御酒をが出されました。雪がこぼれる様に降り、一日中、止みませんでした。人は、皆、酔い、「雪が降り、閉じ込められた」という事を題に、歌を詠みました。
思えども身をし分けねば目離れせぬ
雪の積もるぞ我が心なる
(思いはあっても、この身は二つに分けられず、どこをみても雪で、降り続く雪が積もって行くのが、ここから離れる事のない、自分の心を表している。)
と詠むと、親王は、とても、しみじみと思われて、御衣を脱ぎ、賜りました。
※美艇言う:情景を詠み、それを、そのまま、自分の内面に重ね、言い表します。自分の体を2つに分ける事は出来ないので、普段、ここに居る事は出来ないのですが、心は、今の雪の様に、ここに、一杯になり、積もっているのです。
[75]☆八六段
昔、まだ若い男が、若い女と、お互いに、気持を伝えあいました。それぞれ、親があり、それで、その事は隠していて、気持ちを伝えただけで、そのままで、終わりました。何年かして、女のところに、なおも、その思いを果たそうという気持ちなのか、男が、歌を詠み遣りました。
今までに忘れぬ人は世にもあらじ
おのがさまざま年の経ぬれば
(今も忘れないでいる人は、世の中にいないと思う、それぞれの年月が、いろいろ過ぎたので。)
と言い、それだけで、終わりました。男も女も、宮仕えに出ましたが、そこは、お互いにそれほど離れてはいない所なのでした。
※美艇言う:男が、歌を伝えた時、それが、どういう気持ちなのか、女には測りかねるのでした。年月が経ち、忘れるかどうか、それはそうだけど、もっと、何か、言い方はなかったの、とか、男の逃げ腰の様子に見えたのかも知れません。男としては、顔を合わせる事さえありで、さすがに、何か一言なしでいるべきではない、という事だったでしょうか。
[76]☆八七段
昔、男が、摂津の国の兎原の郡、芦屋の里に、知っている所があり、行って、住みました。昔の歌で、
芦の屋の灘の塩焼き暇なみ
黄楊の小櫛も挿さず来にけり
(芦屋の灘の塩焼きは忙しくて、ここに来るのにも、黄楊の櫛を挿す時間も取れずに、来た。)
と詠んだのは、この里の事です。ここが、芦屋の灘なのです。
この男は、宮仕えしていて、その繋がりで、衛府の佐などが集まって来ました。この男の兄も衛府の督でした。その家の前の、海の辺りを遊び歩き、「さあ、この山の上にあるという、布引の滝を見に、登ろう。」と言い、登り、見ると、その滝は、他とは違うものでした。長さは、二十丈、広さは、五丈程もある石の上を、白絹で岩を包む様に、あるのでした。その滝の上に、藁の円座の大きさで、突き出た石があります。その石の上に走り懸かる水は、小柑子や栗の大きさで、零(こぼ)れ落ちます。そこにいた人に、皆に、滝の歌を詠ませます。あの衛府の督が、まず、詠む。
我が世をば今日か明日かと待つ甲斐の
涙の滝といづれ高いけん
(自分の時が来るのが、今日か明日かと待つ甲斐もない涙の滝と、この滝と、どっちが高いかな。)
主が、次に詠む。
貫き乱る人こそあるらし白玉の
間なくも散るか袖の狭きに
(白玉の緒を貫き乱れさせた人がいるのか、次々落ちて来るその白玉を受け止めるのに、袖は狭くて、溢れてしまう。)
と詠んだので、近くにいた人たちは、笑っていいかどうかと思い、この歌を誉めて、それ以上、歌を詠むのは止めになりました。
帰る道は遠くて、亡くなった、もちよし宮内卿の家の前に来て、日が暮れました。宿の方を見ると、海人の漁火が沢山見えて、先の、主の男が詠む。
晴るる夜の星か河辺の蛍かも
我が住む方の海人の焚く火か
(晴れた夜の星か、河辺の蛍か、それとも、自分の家の近くの海人の焚く漁火か。)
そう詠み、家に帰り着きました。
その夜は、南の風が吹き、浪が、とても高いのでした。翌朝、家の女の子たちが、出て、浮き海松の、浪に寄せられたのを拾い、家の中に持ってきました。女の方から、その海松を高坏に盛り、柏の葉を被せて出して来て、その柏の葉に書かかれていました。
渡津海の簪(かざし)に挿すと斎(いわ)う藻も
君が為には惜しまざりけり
(海の神が髪に挿して、その場を清め払う、この藻をも、あなたの為には、惜しまず、分けてくれた。)
※美艇言う:兄の行平が、思いっ切り嘆いてみせたのを、業平は、大粒の白玉が零れ、それを追い駆ける子供を見る様なイメージで、笑わせ、気分を変えます。亡くなった人を偲び、穏やかな気持ちで、一日の楽しいの遊びを終わり、帰りました。次の日、豪華な御馳走ではないけれど、海の神が簪(かざし)に挿すという海松布を、いくらでも、持って行っていいと言うのです。明日は明日の、何か、よい事がありそうです。
[77]☆八八段
昔、とても若いという程でもない、此れ彼れの友達が集まり、月を見て、その中で一人が、
大方は月をも愛でじこれぞこの
積もれば人の老いとなるもの
(そんなには、月を見事と思はない、それは、積もる年でもあり、人が老いる事だから。)
※美艇言う:誰かが、こんな事をいってたよ。そうだよね。それで、話は終わりました。昔ほど、あれもこれもと思う事はなくなったのです。
[78]☆八九段
昔、卑しいという程でもない男が、自分より身分の高い人に思いを掛けて、年が過ぎました。
人知れず我恋死なば味気なく
いづれの神になき名負ほせん
(人知れず、自分が恋に死んだとしたら、どの神のせいで死んだのかと、ありもしない、なき名を神に負わせる事になるのかと思うと、つまらない。)
※美艇言う:自分が、その人に恋をしていたと知っていて欲しい、という事です。
[79]☆九〇段
昔ですが、つれなく、相手にしてくれない人を、「どうにかして」と思い続けていて、それを、何を思ったのか、「では、明日、物越しにでも」と言うのを、限りなく嬉しく、また、疑わしくも思い、趣のある桜に歌を付けて、
桜花今日こそかくも匂うとも
あな頼み難明日の夜の事
(桜の花が、今日は、こんなにも、匂い、輝いていても、明日の夜まで、そうなのかは、分からない。)
※美艇言う:すでに終わっていますね。
[80]☆九一段
昔、月日の巡り動くのさえ嘆く男が、三月の末頃に、
惜しめども春の限りの今日の日の
夕暮れにさえなりにけるかな
(惜しんでいても、春の終わりの今日という日の、その夕暮れにさえなり、今、終わるのだ。)
※美艇言う:月日の行くのを嘆く、この男は、月日の動く中で、自分が、同じように動いているのか、それとも、動いていない、もとのままでいるのかを、考え始めています。(第四段の「月やあらぬ」の事です。)
[81]☆九二段
昔、恋しさに、来ては帰りして、女に文を伝える事も出来ず、詠みました。
芦辺漕ぐ棚なし小舟幾そ度
行き帰るらん知る人もなみ
(芦の生える岸辺を漕いで行く棚なし小舟が、知る人もなく、何度も、行き帰りする。)
※美艇言う:誰にも知られず、そうしている自分がいる、という事です。
[82]☆九三段
昔、男が、身は卑しく、自分の身には過ぎた人に思いを掛けたのでした。少し、気持ちの通じる所がある様にも思ったのか、寝ては思い、起きては思いして、悲しい気持ちになり、詠みました。
相(あふ)な相(あふ)な思いはすべし準(なぞえ)なく
高き卑しき苦しかりけり
(それぞれの相応の思いをするべきで、その違いを無視して、高い低いの間での恋は苦しい。)
※美艇言う:それってどういう事と疑問に思う若い男の頭の中では、個人主義しかない、という事です。身分があるから出来ないと考える前に、自分がまずいて、出来ない事はないと気付いた、千年前の人の報告です。
[83]☆九四段
昔、男がいました。何があったのか、その男は、女の所に通わなくなりました。女は、その後、別の男がいたのですが、前の男とは、子がある仲なので、しばしばではなくても、時々、物を言い、送りなどしていました。女は、絵を描く人だったので、絵を描いてもらいに人を遣ったのですが、今の男が来ているという事で、一日、二日、返事はありませんでした。前の男は、ずいぶん冷たいと思い、「自分がお願いした事を、今も、頂けず、それも理と思いますが、でも、人を恨みたくなる事ではあります」と、からかい半分で、詠んで遣りました。時は、秋なのでした。
秋の夜は春日忘るるものなれや
霞に霧や千重勝るらん
(秋の夜は、春の日を忘れるものなのか、霞よりも霧が、何倍も勝っているのか。)
と詠みました。女が返し、
千々の秋一つの春に向わめや
紅葉も花も共にこそ散れ
(多くの秋も、一つの春に敵わないもの、紅葉も花も、どちらも散るだけ。
※美艇言う:何を言ってんだか。当時としては、世の中、そんな所でしょう。霞だ霧だ、花だ紅葉だと言っても、だから何、ですね。
[84]☆九五段
昔、二条の后にお仕えする男がありました。女で、お仕えしているのを、いつも、目を合わせていて、通い続けていました。「どうにかして、物越しにでも顔を合わせ、はっきりせずにいる思いを、少し、晴らしたい」と言うと、女は、ほんとに秘かに、物越しに逢いました。話を交わして、男が、
彦星に恋は勝りぬ天の河
隔つる関を今は止めてよ
(彦星よりも、恋する気持ちは勝っていて、天の河の、二人を隔てる関をなくして欲しい。)
この歌に心惹かれて、逢いました。
※美艇言う:歌は悪くはないけれど、女の返しを待つまでもなくという、押しの強さもあります。
[85]☆九六段
昔、男がいました。女を、あれこれと話し掛けていて、月日が経ちました。木石ではないので、女も、「心苦しい」と思ったのか、ようやく、思う気持ちになって来ました。頃は、水無月(六月)の十五夜で、女は、体に、瘡(かさ)が一つ二つ、出来ました。女が言って来たのは、「今は、何をという事もありません。身に瘡(かさ)が、一つ二つ、出ています。とても暑い時です。少し、秋風が吹いて来たら、必ず、お目に懸かります。」と言って来ました。秋を待つ位の頃に、あちこちで、「その人の所に行く様だ」と、人の噂になりました。それで、女の兄が、急に、迎えに来ました。それで、この女は、楓の初紅葉を拾わせ、歌を詠み、それに書きつけて寄越しました。
秋懸けて言いしながらもあらなくに
この葉降り敷く縁にこそありけれ
(秋を約束していたのに、そうならないで、木の葉の散り、降り敷くだけの縁だった。)
※美艇言う:本文は、まだ少し、この後に続きますが、この話を、心穏やかならず見た人が、思いっ切り、書き足し、書きなぐったものの様です。「あまのさかて」まで持ち出す様では、何事ならんと言うしかありません。こういう事ってあるし、それを、どうこうする事ではないと思います。女の歌も、しっかりしています。男も、何か、一言あって然るべきですが、その行き先も分からず、歌を詠む事もできなかったのでしょう。
[86]☆九七段
昔、堀河の大臣と申される方がいらっしゃいました。四十の賀を、九条の家で取り行われた日に、中将でいた翁が、
桜花散りかい曇れ老いらくの
来むと言うなる道紛うがに
(辺りをかき曇らせる程も、桜の花は散れ、老いが来るという道が見えなくなる程に。)
※美艇言う:やっぱり、嫌みでしょ。「老いらくの来む」などと言わなくても、分かってるし、他の言い方はなかったのか。自分の事だと言うなら、それは、人に詠む歌じゃないでしょ。
[87]☆九八段
昔、太政大臣という方がいらっしゃいました。お仕えしている男が、長月(九月)というのに、梅の作り枝に、雉を付けて、奉ると、
我が頼む君が為にと折る花は
ときしも分かぬものにぞありける
(自分がお頼みしている主の為にと折る花は、時を、とき(と雉)しも、分かたず咲いているもの。)
と詠み、差し上げると、とても大いに、面白く思われて、使いに褒美を取らせたのでした。
※美艇言う:雉を贈るのに、梅の花の作り枝に結ぶ所が、人には出来ない所です。おそらく、「雉」で、「ときしも」を思い付き、「分かぬ」と思い付いて、そこから、一気に、「梅の花」に飛ぶのです。
[88]☆九九段
昔、右近の馬場の、ひをり(引折)の、騎馬での試射の行事の日に、向いに立ち、そこに居る車に、女の顔が、下簾から、透けて、うっすらと見えたので、中将の男が、詠んで遣りました。
見ずもあらず見もせぬ人の恋しくは
あやなく今日や眺め暮らさん
(見ないではなく、見てもいないその人を恋しくて、どう考えていいかも分からず、ぼんやり、空を眺めて暮らす。)
返しは、
知る知らぬ何かあやなく分きて言わん
思いのみこそ標(しるべ)なりけれ
(知っているとか、知らないとか、何を、わざわざ、取り立てて言うのか、思いだけが道しるべになる。)
後で、誰かは分かりました。
※美艇言う:女の勝ちですね。男の歌にただ感心するだけの、何も知らない女じゃないですよ、こちらは、です。
[89]☆一〇〇段
昔、男が、後涼殿の渡り廊下を歩いていると、ある身分の高い人の御坪(つぼね)から、忘れ草を、「忍ぶ草とも」と、出して来られたので、それを頂いて、
忘れ草生うる野辺とは見るらめど
こは忍ぶなり後も頼まん
(野に、忘れ草が生えているものと見られていても、これは、忍ぶ草で、これからも、自分は、忍びつつ、その人の思いだけを頼りにする。)
※美艇言う:「忘れてるわよね」、でも「忍んでいる」と言うかも知れないけど、と言われては、しかも、相手は、やんごとなき、畏れ多い筋であれば、「はい、そうです」と答えるしかないですね。
[90]☆一〇一段
昔、佐兵衛督でいた在原行平という人がいました。その人の家に、よい酒があると聞いて、上の役の左中弁の藤原良近という人が、御客になり、その日、招待の宴がありました。主は、情趣を解する人で、甕に花を挿して置きました。その花の中に、見事な藤の花がありました。花のしなりが三尺六寸ばかりありました。それを題に歌を詠みました。皆が詠み終わった頃に、主の兄弟が、招待の宴をしている聞いて来たので、捕まえて、歌を詠ませました。もとから、歌の事は知らないので、断りを言い争いましたが、無理に詠ませると、それは、
咲く花の下に隠るる人を多み
ありしに勝る藤の陰かも
(咲く花の下に隠れている人は多く、以前よりもさらに見事な藤の花陰になっている。)
※美艇言う:「ありしにまさる」が引っかります。人が不審に思ったらしく、本文は、この続きが少しありますが、それは、後日談ですね。面白くもない解説は、言わずもがなで、この話は終わりです。ところで、甕に挿す藤の花は、もちろん分かっての事で、人の気持ちをくすぐり、からかう意図もあり、です。主の兄弟は、すぐ分かり、というか、それしかないという、この歌になりました。また、後年、「瓶に挿す藤の花ぶさみじかければ...」の子規の思いも、この辺りを2、3周したのではと思います。
[91]☆一〇二段
昔、男がいました。歌は詠みませんでしたが、世の中の事はよく知っていました。身分の高い女が、尼になり、世の中の事が嫌になり、京にも住まず、遠くの山里に住みました。もとは、同じ氏の親族なので、歌を詠み遣りました。
背くとて雲には乗らぬものなれど
世の憂き事ぞ他所になるてふ
(世を背き、それで、雲に乗る事はないけれど、世の中の憂鬱事からは離れられるそうだ。)
と詠み、遣わしました。
※美艇言う:「雲には乗らぬ」で少しは、笑って欲しい、そんな気持ちもあります。
[92]☆一〇三段
昔、男がいました。とても、よく働き、実直で、浮ついた心はありませんでした。深草の帝にお仕えしていました。気の迷いからか、親王達の使われている人と、言い交す仲になりました。それで、
寝ぬる夜の夢を儚(はかな)み微睡(まどろ)めば
いや儚(はかな)にもなり勝るかな
(共に寝た夜は、夢の様で、儚く思い、微睡んでいると、ますます、儚さが身に染みる。)
と詠み遣りました。
※美艇言う:これを読んだ、後年の読者が、何を思ったか、歯噛みする様ないらいら感を覚えた様です。微睡んでいて、儚い感じでいる、余韻があるので、読む人によっては、いらつく事もあります。
[93]☆一〇四段
昔、特別な理由という事もなくて、尼になった人がいました。姿形はやつしても、ものを見聞きはしたくて、賀茂の祭りを見に出かけたのを、男が見て、歌を詠み遣りました。
世をうみのあまとし人を見るからに
めくわせよとも頼まるるかな
(世の中を、倦みの尼、海の海人と見えるので、海松布(みるめ)を食わせの、目を交わす事があればいいのにと思う。)
※美艇言う:もう、分かられていて、その上、失礼過ぎるのは、せっかく見たいと思って来た賀茂の祭りも台無しで、最悪です。この男は呪われて死ね、です。
[94]☆一〇五段
昔、男が、「このままでは、死にます。」と、言って遣ると、女は、
白露は消なば消ななん消えずとて
玉に貫くべき人もあらじを
(白露は、消えるなら消えればいいし、消えなくても、それを、玉の緒に貫き、大事にする人もない。)
と言って来たので、「ずいぶん、生意気な」と思いましたが、気持は、ますます、好きになりました。
※美艇言う:年の差過ぎる事だったのか。昔の女はこんな言い方しなかった。「人もあらじを」って、もっと、言葉使いを考えなさい、と言い懸けて止めました。
[95]☆一〇六段
昔、男が、親王達の遊び歩きする所に詣で、龍田河の辺で、
千早振る神世も聞かず龍田河
唐紅に水括るとは
(千早振るの神世にも聞いた事がない、唐紅色に水を括り染めするとは。)
※美艇言う:業平の代表作歌と言えます。
[96]☆一〇七段
昔、身分が高く、見た目も優しい男がいました。その男の所にいる人に、内記の仕事をしていた藤原敏行という人が、望み、通いました。けれども、まだ若くて、文もきちんとしなくて、言葉も知らずで、まして、歌は詠まないので、そこの主の人が、案を書いて遣りました。分けが分からなくなる程、嬉しがりました。その、男の詠んだのは、
つれづれのながめに勝る涙河
袖のみ泥(ひぢ)て逢うよしもなし
(この長雨(ながめ)に何もせずにいて、その雨がひどくなり、それよりも、自分の涙の河が溢れ、袖もぐしょぐしょになり、あなたに逢いに行くことが出来ないでいる。)
返しは、その男が、女に代わりで、
浅みこそ袖は泥(ひづ)らめ涙河
身さえ流ると聞かば頼まん
(涙河が浅いものだからこそ、袖が濡れるので、身が流される程と聞くなら、頼りにするのに。)
と言って来たので、男は、まったく、大そうな感激で、今も、それを巻いて、文箱に入れているのだという事です。
男が、文を寄越しました。女を得る事が出来て、その後です。「雨が降りそうで、見ながら、どうしようかと迷っています。この身が幸いならば、この雨は降らないもの」と言うので、例の男が、女に代わり、詠み、遣りました。
数々に思い思わず問い難み
身を知る雨は降りぞ勝れる
(色々と、思う、思わない、どちらなのかを聞くことは出来ず、自分の身の定めを知るのは、雨が降り勝り、あなたが来ない、それは、思われていない、という事。)
と、詠み遣わすと、男は、蓑、笠も付けられずに、ひどく濡れて、どうしたらよいかも分からず、散々な様子になりながら、来るのでした。
※美艇言う:「身を知る雨」と言われて、すぐに、それに反応して、体が動く、この男、散々な様子も、見どころありとなったのでは。これで、ずいぶんと、和歌の勉強をさせられたのでしょう。三十六歌仙の一人です。
[97]☆一〇八段
昔、女が、人の心を恨み思い、
風吹けばとわに浪越す岩なれや
我が衣手の乾く時なき
(風が吹き、いつも浪が越して行く岩の様に、自分の衣の袖は乾く時がない。)
と、いつもの事で言っていたのを、自分の事を言っていると思った男が、
宵毎に蛙の数多(あまた)鳴く田には
水こそ増され雨は降らねど
(夕方になると多くの蛙が鳴きだす田んぼは、雨は降らなくても、水はいっぱいある。)
※美艇言う:男が言いたかったのは、「蛙が沢山いるよね」という事のようです。女の歌は、悪くありませんが、この男にしてみれば、「きれい過ぎる」、敢えて言えば、「これでも喰らえ」というところです。
[98]☆一〇九段
昔、男が、友達の、大事な人を亡くした人の所に、歌を遣りました。
花よりも人こそあだになりにけれ
いづれを先に恋んとか見し
(花よりも先に、人が空しくなった。どちらを先に、遠く思い慕う事と思っていたのか。)
※美艇言う:人と花、散るのは同じですが、先になるのは、思ってもいなかった、人、の方ですが、ちょっと、理屈っぽいように思います。歌が先に出来て、物語は、後になりました。
[99]☆一一〇段
昔、男が、隠れて通っている女がいました。その女のところから、「夜に、夢にみました。」と言って来たので、男は、
思い余り出でにし魂のあるならん
夜深く見えば魂結びせよ
(思いが過ぎて、魂が出て行ったかと思うので、夜遅くに見えたのなら、魂結びをして、その魂が、帰る所を忘れ、ふらふらする事のない様にして。)
※美艇言う:女が、たまむすびをしなかったら、自分は死ぬかなと思うと、自分がどれだけ深く、女を思っているかを言って、よろしく、と言うしかないです。その夜に、行かなかった自分が悪いと、責められているように思うのかも知れません。
[100]☆一一一段
昔、男が、ずっと上の身分の女の所に、亡くなった人を弔う様にして、言い遣りました。
いにしえはありもやしけん今ぞ知る
まだ見ぬ人を恋うるものとは
(昔はあった事かも知れないが、まだ逢ったこともない人を恋すると、今、初めて、知る。)
返しは、
下紐の徴(しるし)とするも解けなくに
語るが如(ごと)は恋ずぞあるべき
(下紐がその徴となり、教えてくれるはずで、それが解けないのは、言われる様には思っていないから。)
また、男が、返し、
恋しとは、さらにも言わじ下紐の
解けんを人はそれと知らなん
(思いがあるとは、もう、言わないけど、下紐が解けるとき、それと知れる。)
※美艇言う:もう少し、品よく行きたかったのに、今はこれだよと、男は嘆き、昔を懐かしむのでした。
[101]☆一一二段
昔、男が、親しく言い交していた女が、急に変わってしまったので、
須磨の海人(あま)の塩焼く煙風をいたみ
思わぬ方にたなびきにけり
(須磨の海人の塩を焼く煙が風が強くて、思ってもいない方向にたなびいて行った。)
※美艇言う:何があったのか、分かりませんが、驚く事も、いつか、出て来るものです。今とは違う社会の中で、その当時の人、男が、驚く位ですから、今の人が、この話に、何を考えるか、それも、想像に過ぎません。
[102]☆一一三段
昔、男が、一人身でいて、
長からぬ命の程に忘るるは
如何に短き心なるらん
(長くもない命の、その間にも、忘れてしまうというのは、何て短い心だろう。)
※美艇言う:忘れたというのは、自分の事ですね。
[103]☆一一四段
昔、仁和の帝が芹河に行幸なされた時、今、それは、似合わない事だと思いましたが、元々、その役に就いていた事なので、大鷹の鷹飼いで御供をさせました。その男が、摺り模様の狩衣の袂に書き付けました。
翁さび人な咎めそ狩衣
今日ばかりぞと田鶴も鳴くなる
(老人となっての、この狩衣を、人は咎めるな、今日だけしかないと、鶴も鳴く。)
上の御様子は、悪かった。詠む人は、自分の年令を思ったのですが、若くもない人は、自分の事かとも思たのです。
※美艇言う:これを聞いて、機嫌が悪くなるのは、下の句が、不吉ではあるので、もう少し考えてもよかった様に思います。摺り模様の狩衣は、第一段の、「忍ぶ文字摺り」を思い出させます。この物語も、終わりに近づいているのです。
[104]☆一一五段
昔、陸奥国に、男と女が住んでいました。男は、「都に行くつもり」と言う。この女は、とても悲しくて、お別れの宴だけでもしようと、おきのいで、みやこじまという所で、酒を飲ませ、歌を詠みました。
おき(燠)のいて身を焼くよりも悲しきは
みやこしま辺の別れなりけり
(おきのいで、の燠の火で身を焼くよりも悲しいのは、この、みやこじまでの別れだ。)
※美艇言う:そういうものなのでしょう。男に酒を飲ませ、女の親や、一族が、餞別をくれて、都に出してやる、その後は、田舎での生活が、また始まるだけなのです。男の歌がないのは、女と住むのは、単身赴任の、業務の、その当時としては、ただ、当たり前の事で、何も、考えもしなかったのかも知れません。女の歌は、とても丁寧な、お別れの挨拶に聞こえます。
[105]☆一一六段
昔、男が、当てもなく、陸奥国まで、踏み迷い、行きました。京の思う人に、言い遣りました。
浪間より見ゆる小島の浜庇し
久しくなりぬ君に逢い見で
(浪間から見える小島の浜の屋の庇しの、久しく、あなたに逢っていない。)
「何事も、全て、どうでも、よくなりました」と、言い遣りました。
※美艇言う:京に居場所がなくて、陸奥国まで来て、寂しい田舎暮らしをしている内に、以前、居場所がなくて、どうしよう、どうしようと思っていた事も、何でもなく、よくなりました。京に帰るでもなし、田舎の暮らしに、別の居心地のよさを見付けたかも知れません。
[106]☆一一九段
昔、女が、移り気な男が形見として置いて行ったものを見て、
形見こそ今は仇なれこれなくは
忘るる時もあらましものを
(形見が、今は、嫌だ、これがなければ、忘れる事もできるのに。)
※美艇言う:形見となったものを捨てられない気持ちも、あっていいのでは。ところで、この段は、「女が」で、始まります。誰かが、書き加えた段、という事でしょうか。
[107]☆一二〇段
昔、男が、女の、まだ、そんなに、何も知らないと思える、その人が、他の誰かに、ひそかに言葉を交わしていて、それを知り、後で、しばらくしてから、
近江なる筑摩の祭り疾くせなむ
つれなき人の鍋の数見ん
(近江の国の筑摩神社の祭りを、早く見たい、つれなくした人の鍋の数が見たい。)
※美艇言う:これは、歌が先に出来ていて、その物語を考えようとしたようです。何かと誘っていたのに、つれなくて、それなのに、です。なるほど、筑摩神社の物語にはなっていて、後年、この歌に共感した誰かが追加した段なのでしょう。
[108]☆一二一段
昔、男が、梅壺から、雨に濡れて、人が出て行くのを見て、
鶯の花を縫うてふ笠もがな
濡るめる人に着せて返さん
(鶯の着る、梅壺の梅の花を縫い作った笠があればよい、濡れて行く人に着せて帰す。)
返しは、
鶯の花を縫うてふ笠は否(いな)
思いを点けよ干して返さん
(鶯の着る、花を縫い作った笠はいらない、それよりは、思いに火を点けてくれたら、その火で干して帰すのに。)
※美艇言う:梅壺から出て行く人がいたからと言って、笠の心配をしてくれなくてもいい、余計な事です。と言う事でしょうか。テニスで言えば、リターンエースで、きれいに決められました。
[109]☆一二三段
昔、男がいました。深草に住む女を、この頃には、飽きて来たのか、こんな歌を詠みました。
年を経て住み来し里を出て去なば
いとど深草野とやなりなん
(何年も住んで来た里を出て行けば、この深草の里は、もっと、草深い野となる。)
女が、返し、
野とならば鶉(うづら)となりて鳴き居らん
狩りにだにやは君は来ざらん
(野となったら、鶉になり、鳴いている、あなたが狩りに来ない事もない。)
そう詠んだので、その歌に心を動かされ、「出て行く」と思う気持ちはなくなりました。
※美艇言う:歌もそうですが、女の方が、賢くて、一枚、上手ですね。
[110]☆一二四段
昔、男が、何を思った時にか、詠みました。
思う事言わでぞただに止みぬべき
我と等しき人しなければ
(思う事を言わずに、それで、終わる、自分と同じ人はいないのだから。)
※美艇言う:自分の思う事を言って来たけれど、終わりにしたいです。自分と同じ思いで、話しの出来る人はいませんから。言っても、もう、それで、終わりです。
[111]☆一二五段
昔、男が、病気になり、死ぬのかなという心持になり、
終に行く道とは兼ねて聞きしかど
昨日今日とは思わざりしを
(最後には、そこに行く、その道だと聞いていたけれど、昨日、今日の事とは思わなかった。)
※美艇言う:「えっ、もう終わりなの。」と、そう言った人という事で、思い出したのは、フランク・シナトラ、前段の、「終わりにしたい」で、思い出したのは、本居宣長を書いた小林秀雄、です。
[112]☆一二六段
雲隠れ。
※美艇言う:終わりの印に、追加しました。源氏物語の最終の巻名です。読者の、個人的な特権と言う事で、勝手に。
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