更新日: 2021.6.23(水) AM11:00
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日本の文学 伊勢物語
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伊勢物語 解説 (美艇:現代語訳者) 『伊勢物語』は、多数の記事で構成されています。その一つ一つは「段」と言われます。一般には、125段の、短い話で構成された物語集です。 −「伊勢物語」の作者 『伊勢物語』(いせものがたり)は、 在原業平の和歌を中心とした物語になっていて、その意味で、作者は在原業平と言えますが、著作物として現在の形に構成されたのは、在原業平本人ではなく、とある校訂者の作物として成立したものとも考えられます。近い当時の女流歌人、伊勢、872年(貞観14年)生まれ、938年(天慶元年)没、その何がしかの手が触れられた部分もあるのだろうと思うのは自然な事です。その頃、紀貫之、866年(貞観8年)頃の生まれ、945年(天慶8年)没、がいますが、この人は、古今和歌集の編纂などで忙しくて、何か、伊勢物語の本文に手を触れたとは思えないですね。忙しすぎて、人の事は構って居られないのだと思われます。 ちなみに、在原業平が生まれたのは、825年(天長2年)、亡くなったのは880年(元慶4年)とされています。この間に、869年(貞観11年)には、貞観地震がありました。業平が44歳の時です。2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災は、それまで、誰もが知らないでいた 『伊勢物語』の現存原本は、藤原定家の書写した本のようです。藤原定家は、生まれたのは、1162年(応保2年) 、亡くなったのが1241年(仁治2年)という事で、伊勢物語の成立から約200年以上も後の人物です。 伊勢物語をどの様に読んでいたのか分かりませんが、そこに、一人の、高位の人の、官途、宮仕えの物語を見ていたものと思います。 −「伊勢物語」の時代 江戸時代の年表的には、1716年の徳川吉宗の八代将軍就任までには、次ぎの様な事がありました。(『葉隠』関連を補足)
660年 斉明天皇6年 柿本人麻呂、生まれる 724年 神亀元年 柿本人麻呂 没 774年 宝亀5年 平城天皇(桓武天皇 第1皇子)、生まれる 781年 天応元年 光仁天皇譲位、桓武天皇即位 782年 天応元年 光仁崩御 782年 天応2年 平城京から長岡京に遷都 792年 延暦20年 阿保親王(業平の父)、生まれる 794年 延暦13年 801年 延暦11年 伊都内親王(業平の母)、生まれる 804年 延暦23年 遣唐使派遣 空海・最澄・橘逸勢など 806年 延暦25年 桓武天皇崩御、平城天皇即位 809年 大同4年 平城天皇譲位、嵯峨天皇即位 815年 弘仁6年 紀有常、生まれる 816年 弘仁7年 僧正遍照、生まれる 822年 弘仁13年 源融、生まれる 823年 弘仁14年 嵯峨天皇譲位(太上天皇)、淳和天皇即位 824年 天長元年 平城崩御 825年 天長2年頃 (一説に)小野小町、生まれる 825年 天長2年 在原業平、生まれる 826年 天長3年 在原行平、在原業平が、在原姓で臣籍降下 833年 天長10年 淳和天皇譲位(太上天皇)、仁明天皇即位 840年 承和7年 淳和太上天皇崩御 842年 承和9年 嵯峨太上天皇崩御 836年 承和3年 藤原常行、生まれる 842年 承和9年 阿保親王(業平の父)、薨去 844年 承和11年 惟喬親王、生まれる 845年 承和12年 菅原道真、生まれる 850年 嘉祥3年 仁明天皇崩御、文徳天皇即位 858年 天安2年 文徳天皇崩御、清和天皇即位 861年 貞観3年 伊都内親王(業平の母)、薨去 866年 貞観8年頃 紀貫之、生まれる 869年 貞観11年 貞観地震 872年 貞観14年 伊勢(三十六歌仙)、生まれる 872年 貞観14年 惟喬親王、出家 876年 貞観18年 清和天皇譲位(太上天皇)、陽成天皇即位 875年 貞観17年 藤原常行 没 877年 貞観19年 紀有常 没 880年 元慶4年 在原業平 没 881年 元慶4年 清和太上天皇崩御 884年 元慶8年 陽成天皇譲位(太上天皇)、光孝天皇即位 890年 寛平2年 僧正遍照、没 895年 寛平7年 源融 没 897年 寛平9年 惟喬親王薨去 (9世紀後半から10世紀前半頃 竹取物語 成立) 900年 昌泰3年頃 (一説に)小野小町 没 903年 延喜3年 菅原道真 没 905年 延喜5年 古今和歌集 成立(推定 伊勢物語 成立) 938年 天慶元年 伊勢(三十六歌仙) 没 945年 天慶8年 紀貫之没 949年 天暦3年 陽成太上天皇崩御 966年 康保3年 藤原道長、生まれる 970年 天禄元年頃 紫式部、生まれる 978年 天元元年頃 (一説に)和泉式部、生まれる 1008年 寛弘5年 源氏物語(文献初出) 1019年 寛仁3年頃 紫式部 没 1028年 万寿4年 藤原道長 没 1156年 保元元年 保元の乱 1160年 平治元年 平治の乱 1162年 応保2年 藤原定家、生まれる 1221年 承久3年 承久の乱 1241年 仁治2年 藤原定家 没
−「伊勢物語」解説 「伊勢物語」は、その成立時期、作者の問題が、まだ、はっきりとは解決し切ってはいない、平安時代に成立した、日本の古い著作物です。和歌を中心にして、その物語の文からなる、文学作品です。「むかし、男(ありけり)」の冒頭句で知られています。歌人在原業平の和歌を多く採録し、主人公には業平の面影があるのです。 契沖の「勢語臆断」で、すでに、この本の成立過程について、考察されています。 「伊勢物語」という書名の由来も諸説ある、という状態です。現在『伊勢物語』の本文として読まれているものは、藤原定家が天福2年(1234年)に書写した「天福本」と呼ばれる系統の写本をもとにしたものです。それは、全体が125段に区分された、125の挿話で構成されているものです。( 「伊勢物語」の、著作者の原典と言えるものは、今は確認できていないのです。) そうした、現在の「伊勢物語」という本のあり様を踏まえて、改めて、本稿、現代語訳の訳者、美艇の、現代語訳に際しての基本的な立場は、次のようなものです。 「伊勢物語」は、在原業平の著作となる段本文と、業平以外の人物の手に成る、書き加えられた段本文があります。また、段本文の最後に、業平ではない、読み手のコメントが付記されているものと、考えます。この、業平以外の人物で、特に名前を上げて置かなければならないものとするのは、伊勢(三十六歌仙)です。この人は、いくつかの段を書き加え、また、ある段では、その最後に、訳知りの、小さな声での囁きを残し、段本文の理解を助けてくれます。伊勢(三十六歌仙)以外の、段本文を書き加え、コメントを残した人物は、いささか、業平への敬意に欠けて居り、自分の拙い段本文を、全体の中に紛れ込ませて、知らないふりをして、この物語から離れて行きました。それが、誰かは、到底、誰にも分からないのです。 そういうわけで、本稿、「伊勢物語」現代語訳では、業平の段本文を選び、それだけで、新たに、「伊勢物語」を、校訂、構成しようとするものです。段末に附け加えられた、誰かのコメントは、それを詠まないで済むとなると、物語がすっきりし、明るく、楽しくなります。定家がそれに気が付かないはずはない。世の中に公表する定家公式本では、それを残したまま、自分は、自分の伊勢物語本を作っていたはずです。 補足的に、伊勢(三十六歌仙)の書き加えた分は、それを付記して置きます。伊勢(三十六歌仙)以外の、段本文への書き加え、コメントは、本稿では、取り上げず、削除します。そうして、この私に再構成した「伊勢物語」は、業平が、考え、思い、感じた事を、業平自身が話すのを聞くような事になるのを目指すものです。定家や貫之を通して聞くのではなくて。伊勢(三十六歌仙)が、知ってるよ、と得意げに言うのを聞くのも、それは楽しいけれど。
また、本稿の現代語訳を取り掛かりながら、本居宣長の「古今和歌集遠鏡」を見る機会があり、同じ事をしていると、思いました。本稿をご覧の方にも一読をお薦めします。また、本稿訳者には、「葉隠」の現代語訳があり、同じ考え方でなされた試みえであり、そちらへも、目を向けて頂ければ幸いです。それは、本稿と並び、同じサイト上にあります。
2021年(令和3年)5月26日 美艇 |
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