ジャズを日本語で歌う 戻る
 

 淡谷のり子舶来流行歌を歌う


        1930年(昭和5年)頃

 

 

淡谷のり子 舶來流行歌を唄ふ

01 Doña Mariquita
02 Poema
03 Crying For The Carolina
04 À Paris Dans Chaque Faubourg
05 Sombre Dimanche
06 Amapola
07 Sigh And Cry
08 Se Fue Sin Decirme Adiós
09 Tu Nu Sais Pas Aime
10 Rumba Tambah
11 La Cumparsita
12 Parlez-moi D'Amour
13 Les Feuilles Mortes
14 September Song
15 Tango Notturno
16 Jalousie
17 Padam...Padam...
18 Hymne À L'amour
19 Mes Tristes Amours
20 Il Pleut Sur La Route
21 Adieu

(YouTube)

(閑話休題)

いつまでYouTubeにあるかわかりませんが。昔見た淡谷のり子ではなく、まだ知らないその前のとき、声がコロラトゥーラと言われるものらしく、とても印象的です。彼女はジャズ歌手ですね。シャンソンとかタンゴとかであるらしくても。戦争の時代を生きた気概がよく分かります。とび抜けた実力の持ち主だったようです。日本語で歌うことができた人でした。

2014.3.5 上記YouTubeは削除されていました。やっぱりね。おそらく、復刻版が出ているのでしょう。前にも、戦前のジャズ歌手のYouTubeが削除されたときに、その復刻版が出ました。または、その音源の保持者が高齢で隠居し、後継者が引き継いだという可能性もあります。

 

ウィキペディアより...

淡谷 のり子(あわや のりこ、1907年8月12日 - 1999年9月22日)は、青森県青森市出身の女性歌手。

淡谷はコロムビアでは映画主題歌を中心に外国のポピュラーソングを吹込む。1935年の「ドンニャ・マリキータ」はシャンソンとしてヒットし、日本のシャンソン歌手の第1号となる。

日中戦争が勃発した1937年に「別れのブルース」が大ヒット、スターダムへ登りつめる。ブルースの情感を出すために吹込み前の晩酒・タバコを呷り、ソプラノの音域をアルトに下げて歌う。

 

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