ジャズを日本語で歌う 戻る
 

 バートンクレーン氏日本語でジャズを歌う


        1931年(昭和6年)頃

 

 

戦前の日本に来て日本語でジャズを歌いました。傾聴に値するものです。


(YouTube)

"ニッポン娘さん / バートン・クレーン..."この動画に関連付けられていた YouTube アカウントは、著作権侵害に関する第三者通報が複数寄せられたため削除されました。
ニッポン娘さん
http://www.youtube.com/watch?v=r56416EVXVI

家へかへりたい
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=NPIaMXB0okA&NR=1

威張って歩け
http://www.youtube.com/watch?v=G1RTsW4hOCo&feature=related

"ジョッキビール / バートン・クレーン..."この動画に関連付けられていた YouTube アカウントは、著作権侵害に関する第三者通報が複数寄せられたため削除されました。
ジョッキビール
http://www.youtube.com/watch?v=hANNHvwJH-Q&feature=related


(閑話休題)
近年、CD全集も出ているようです。日本語でジャズを歌うことに疑問を持たないでいられた人、来歴、時代でした。

YouTubeにアップされた演奏も、ビジネス上の理由で、よく、なくなります。復刻版とか、そういうものが出ている場合もあります。アップして頂いている方には感謝します。YouTubeになければ知らなかったでしょう。少し前に、川畑文子をアップされた方にも、改めて敬意を表します。その後、川畑文子はYouTubeから消えましたが、CDセットが出ました。その時代を堪能された世代は幸せでしたが、戦争があったので、それも帳消しになりました。

と思ったら、川畑文子は、YouTubeに再度、見られるようになっていました。びっくりです。当時の演奏は伴奏のピアノなんかもジャズの味わいがありますね。

 

ウィキペディアより...

バートン・クレーン(Burton Crane, 1901年1月23日 - 1963年2月3日)は、昭和初期に活躍したアメリカ出身の歌手、ジャーナリストである。

森岩雄の協力で1931年(昭和6年)1月、吹き込んだ第1作『酒が飲みたい』は同年4月にリリースされ大ヒットした。

日米開戦後は日本通ということで重用され、1945年(昭和20年)戦略局極東班に所属し、中国の昆明に渡り諜報関係の任務についた。終戦後は特派員として再来日。日本の友人たちと旧交を温める一方では「コレスポンデンツ・クラブ」(現日本外国特派員協会)を立ち上げ初代会長に就任、在日の海外特派員のまとめ役を行った。

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