更新日:

2022.3.12(土)

AM11:00

 

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      和夫くん、来たのか  ーーー  著者 BTE

   著者略歴                                                                                   

 和夫くん、来たのか (9) アジアの東    ☆⇒ 和夫くん、来たのか (10) 思い出すという事

 

ぼくが「“”(∨)“”⊆⊇」の言葉を見つけたときみたいに。500年後のぼくは、今と全然違った場所に居るとしても、昔の自分と出会ったら、それが自分だと分かるように、今の自分のことを書いて置くんだ。それと、どうでもいいことだけど、ローマっていう国があって、戦争を沢山やって、国を大きくしているっていうこと。これは、歴史っていう本に書くことになっていて、大事に仕舞われるから、ずっと後の時代にも、読まれる可能性は高いよね。大昔の石の板に書いてあるのは、木の実がよく成ったとか、大きな獲物が取れたとか、豆の花が一面に咲いているとか、何でもないことだったのに、今は、王様の名前とか、その子供の名前、その子を生んだ女の名前や、その親の名前とか、大変なことになって来てるんだ。色んな物の大きさとか、どっからどこまでの距離とか、それと、戦争のこと。これは書くことが多くて、本当に大変なんだ。それから、事件がときどきあるんだ。盗みと物の取り合いの喧嘩と仕返し、が代表的なことだけど、よその村では、人殺しもあったりするんだ。普通の事故もあるけど、実は、うまく見つからないで、人のせいだっていうのもあるらしい。書いて置くことって、そんなことも、何かの役に立つことがあるんだろうか。思い出したくないこともあるっていうことだね。ぼくのことを500年後のぼくが思い出したら、どんな気持ちになるのかな。今、ぼくは、あの石の板に書いたもので教えてくれた思い出は、他の人には教えたくない宝物だと言うことは出来るんだけどね。今、そういう石の板を何枚か持ってるんだ。読み方も自分で考えたものもあるしね。自分で書いたものをそれに足してるよ。石の板じゃなく、紙に書いてね。草の汁で線をなぞってね、書くんだ。500年後のぼくがうまくこれを見つけられるかは、そんなに心配にはならないよ。自分のことだからね。

A.D.390年、アジアの東、平らな台地の林に囲まれて、小さな村で、ぼくは生まれた。木の実を集めるのが今日の仕事。栗を集めてるんだ。年中、暖かくて、雪はまだ、手でさわったことはないね。川に鮭が上って来て、それを捕まえて、食べるんだ。干したり、薫製にすれば、ずうっと取っておけるんだ。山の動物の大きいのや小さいのも食べるけど、獲るのは年に一回か二回。ご馳走だけど、獲るのは難しいし、危険もある。噛まれたら、大怪我だし、熊だったら、こっちが死んじゃうよ。今は、森の動物とは平和に暮らしてるんだ。だから、動物の肉は、そんなに好きじゃない。臭いしね。魚や木の実なら、毎日食べても飽きないよ。鳥は、これも、滅多にないけど、捕まえたら食べる。可哀想だけどね。鳥を料理するのは女の仕事だから、自分ではしないけどね。結局、ぼくが一番好きなのは、干したなまこやほや、魚の卵の塊の塩漬け、かな。どれも普段はなくて、海の人がやって来て、お土産にくれるんだ。ぼく達の一番大事な食べ物は、秋にできる、どんぐりなんだ。とにかく、沢山とれるんだ。一本の普通の木でも、背中にしょう、背負子で、10回分は採れるからね。採れたどんぐりは、乾かしてから、その皮を剥いて、砕いて、細かくして、叩いて、出来るだけ粉にするんだ。石臼というのもあって、特別に何かのときは、お正月とかね、それを使うと、一遍に沢山、粉にできるんだ。それを水で捏ねて、団子にして、鍋で野菜と一緒に煮てたべるんだ。そのときに、魚も一緒に煮ると味がよくなるし、塩か、おいしい水を足すと、それで、次の日まで、幸せな一日になるんだ。おいしい水は、ときどきやって来る人が持ってきてくれるんだ。ぼくは、もう少し大きくなったら、この村を出て、山を越えた先にある町に行くんだ。他所から来る人の話で、変わったことが色々あって、行ってみたらって言われてるんだ。暮らしが楽だってね。それに、もともと、ぼく達は、北の方から、ここにやって来たんだ。それも、ずいぶん遠くから旅して来たらしいんだ。ぼくが持ってるお守り袋に、石の欠片がはいってるんだけど、それは、ぼくの遠い祖先が何か書き残したものだ、ということになってるんだ。それは、「“”(∨)“”⊆⊇」って書いてあるんだ。昔のことを書いてあるのは珍しくて、読めなくても、大事にしまっている人もけっこういるんだ。どの家にも石の板が一枚はあって、大事にしてるらしい。ぼくの家では、どこか、物置の中で埃を被っているはず。ちょっと気になった欠片を拾って、持ってるんだ。ハハッ、何でもないけどね。これはきっと、「“”(∨)“”⊆⊇」だけど、「まめ」って読むね。これを書いた人は、もしかしたら、ぼくかも知れない。ずうっと昔、ぼくが、これを書いたのは、後で、昔あったことを思い出すためなんだ。今の自分が、普通に、自分の小さい頃のことを思い出そうとするように、もっと昔の自分を、思い出せるようにするために。どんなことを書いたか、ほんとうに、この一語しか分からないけど、これを書いた手と腕の動きで、思い出せることもずいぶんあるよ。もしかしたら、他の石の板は、この人が書いたものもあるかも知れないしね。この人って、つまりは、ぼく自身なんだけどね。大きくなったら、石の板のことが、色々分かるように、出来るだけ、今、集めておく必要はあるね。今のおとな達は、だれも、石の板のことが分かっていないみたいだしね。

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自分を思い出すのは、昔あったことが、どんな意味だったのか分かるためだし、今のしていることに意味を与えるためなんだ。意味っていうのは、少し違うのかも知れないけど、つまり、方向があり、動いているってことなんだ。そうでなかったら、ぼくらは点で、自分のことは、丸っきり、訳が分からなくなってしまうはず。それでもいいんだという人もいるけれど、自分を思い出すことができるっていうことが、そうではない、点ではないっていうことを現しているのだから、点であり続ける生き方は無理があると思うんだけど。後で、このことを考えてみるよ。うちの村の年寄りに聞いたら、いろいろ考えることはいいことで、哲学っていうことで、ありもしないことを考える遊びが昔からあるんだって。例えば、物を半分に切って行って、どこまで半分にできるか、とか、夢で見る場所や人は、どこにあり、いるのか、とか、火はほんとうはどんな形をしているのか、火と水ではどっちがつよいか、とかね。何でもすらすら答えられるようになると、王様からご褒美がもらえるかも知れないんだ。そうなると、一生楽に暮らせるから、みんながそんなことを考えるようになって、それで、考えるのが禁止になったんだ。もう、それは昔のことだから、今は、考えても、考えなくてもいいんだ。ぼくは、昔の自分はどこにいるのか、っていうことを考えているんだ。まずは、「昨日の自分はどこにいったのか」だね。「昨日の自分は今日はいない」。「昨日の自分を覚えている」。「昨日の自分は、覚えられて、今日の自分のなかにいる」。こんなことを考えても、すぐに何かの役に立つことはないけど、それ自体が面白いんだ。役に立つことなら、数を考えることかな。問題っていうのがあって、「10人でそれぞれが魚を10匹獲ったら、50人で食べると1人何匹たべられるか」とか、有名な難しい問題に「星の数を星の数倍したら、幾つか」なんていうのがある。相当な知識がないと分かるはずもないし、実際、まだ答えはだれもだせていないんだ。それから、「一番遠い場所はどこか」なんていうのもある。世界の涯まで行ったら、底の見えない崖か、空の始まりの、上に延びる、やっぱり崖、かな。

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海っていう、どこまでも続く水の上でも、もしかしたら、その涯は、空に繋がって、真っ直ぐ上に延びてるかも知れないね。それは、見てみたいな。だから、冒険だけど、海をどこまでも行くっていうのはいいね。こんな風なことを、ずうっとしてから、例えば、500年経って、実際に行ってみることができるようになったら、いいね。自分が忙しくなくて、元気なら、行ってみるかも知れないね。500年後、ぼくのことを思い出してくれる人がいて、ぼくのことが分かったら、世界の涯について考えてみてほしいね。それは、ぼくが持ってる、石の欠片、それに書かれた文字を見て、今、ぼくが、昔の人のことを、思い出すのと似ているところがある。今、ぼくは、昔の人が見た「まめ」の花を思い出している訳だけど、500年後の、ぼくを思い出す人は、世界の涯とか、いろんな問題とか、一緒に考えてくれるような気がするね。実際に、世界の涯を見たりもしてるんだろうか。聞いてみたいな。そして、この、「“”(∨)“”⊆⊇」まめの石の欠片を見つけて、ぼくが思ったのと、同じ「“”(∨)“”⊆⊇」まめの花を思い描けたら、いいね。それはもう、きっと、ぼく自身で、ただ、自分のことを思い出しているのかも知れないな。ぼくは死んで、500年後に、また、ぼくがいるっていうのは変だけど、ぼくの村の年寄りの話では、それは昔からある考え方で、ちっともおかしくはないんだそうだよ。今の普通の考え方は、死んだら、人の魂は鳥になって、どこかに飛んで行くっていうことなんだ。その後、どうなるかは分からないんだ。500年後に生まれてきたぼくが、昔のその人だっていうことは、その人が自分を思い出すことで、明らかにするしかないんだ。飛んで行った鳥の行方は分からない。目で追いかけても、遠くの空に、それとも、川に立つ波とぼんやりした霧の陰に隠れて、見えなくなる。ぼくは。そんなふうにして消えた自分を思い出す。そのために、手がかりになるものを残しているのだ。粘土の土を底のある器に作り、火を使って焼くと、お碗ができる。それに蓋を付けたり、壷にすれば水運びの入れ物になる。模様を付けるのもあって、草の葉とか、蔓でぐるぐ

る巻いて模様にしたり、草の葉を編んでから巻き付けたりするんだ。人の形に拵えて、人が死んでお葬式のときに、そばに置くっていうのもあるね。そのときは、粘土は造ったままで、焼かないで、生のままで、置くんだ。そして、お葬式の火で一緒に焼くんだ。死んだ人の体は灰になり、粘土の人形は残る。そういうこと。西の方の国では、土に埋めてしまうのが正式なお葬式のところもあるんだ。遠い国の話しは、変わった話が多いんだ。山のように大きい猪とか、人喰いの竜、水の中に住む河童、海っていう、どこまでも続く水の国の人魚、とかね。この辺りだと、河童はいるね。あとは、変なのはいないね。熊や羚羊、大きな蛇、何ていうのはいるけど、普通にしていれば、特にどうっていうことはないよ。毎日、きちんと過ごしていれば、平和で、楽しく暮らせる場所だよ、ここは。ぼく達の先祖は、昔、ずっと北の方から移って来たんだ。そのもっと昔は、よく晴れて、甘い果物が年中実っている、そんな場所に暮らしていたんだって。それが、何かの理由で、そこから、旅に出ることになったんだって。今でも、知り合いの知り合いとか、辿って行くと、ずっと遠くの、先祖がやって来た、本の場所までもどれるはずだって言われてるよ。一生に一回あるかないかで、見慣れない人が来て、ここに住み着いたりするんだ。隣の村のヘライっていう老人も、そんな人だって言うね。普通に暮らしてるんだけど、石の板に字が書かれているのを見つけるのが趣味なんだって。ぼくの持ってる石の欠片も、きっと昔の石の板だったんだよね。その字を書いたのは自分で、それを書いたときのことを思い出そうとしてるんだ。それは、つまり、ぼくが死んで、その500年後に、ぼくのことを思い出すぼく自身がいるっていうことなんだ。ぼくの作った粘土の焼き物の欠片から、思い出せることがあるようになってるといいね。

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ぼくは、業平くん。A.D.890年、今年、貞観7年、大きな地震があって、北の国は、陸奥ね、海の方は全部波の底になり、海から離れた山の方でも、建物は全部壊れて、潰された。京都も揺れて、倒れた家、というより、小屋はあるけど、よくある揺れだった。ただ、何かと騒がしくなったので、軍勢が、出向くことになったんだ。常陸、相模あたりから行くので、その監督で、ぼくも行くことになったよ。東下りとは風流なことになりそうだよ。この頃、少し、自分の思い出を、物語に書いてるんだ。いつも見慣れたことばかりになるから、今度の冒険は楽しみにしてるんだ。ちょうどぼくのお祖父さんの頃には、陸奥の国と戦争みたいになって、勝ったんだけど、あんまり行きたくないところだから、どうでもよかったんだね。勝ったことにして、あとは放っといたんだね。そんなこんなで、どうやら、ぼくの母方には、東国の血が入ってて、1/8のハーフらしいね。ハーフって、つまり、混血ということだけどね。京都の北っていうと、敦賀とか、越前や越後、になるから、陸奥は東国ということになってるんだけど。ほんとは、北の涯なんだ。ぼくの思い出を書いている物語は、ぼくが15歳の頃、初めて一人で遠出したときのことから始まるんだ。そういえば、そのときの歌は、「みちのくの しのぶもじずり だれゆえに」で始まってて、無意識に、自分の中の古い記憶を意識してたのかも知れないね。ちなみに、下の句は「みだれそめにし われならなくに」って言うんだ。心が騒いだのは、ほんとに自然にそうなったんだ、ていうことで、自分でもびっくりしたんだ。これが恋っていうことかな、って思ったりもしたね。例えば、お祭りの日の踊りに出るのに、朱鷺色の足袋を履かせられて、それを見たときに、自分が自分でないものに、否応なく変わっていくような、自分の知らない自分に出会ってしまった、そんな感じだったんだ。その、とりとめなく、胸騒がしい気持ちを、信夫文字摺りの模様に例えてみた訳だけど、上手すぎて、初々しさに欠けるなんて言われたよ。歌の先生にすれば、褒めすぎるのも癪に障って言ったことなんだろうけどね。昔、能因法師というひとが、「みやこをば かすみとともに いでしかど あきかぜぞふく しらかわのせき」って歌った、その東国へ、ぼくは行くんだ。能因は、実際に東国に行った訳じゃなくて、行った振りをするために、1年位、人に会わずに隠れていたって言うね。ぼくも、出発はまだだけど、旅の心を歌にしてみたよ。旅の途中、夏の初めの杜若の花を見て行くことになるから、「からころも」ってね。「かきつばた」の5文字を歌の57577の各句の頭において読んだんだ。「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもう」ってね。長く連れ添った妻と離れと、こんなに遠くまで旅に出ているのを考えてみると、一生、もう会えないことにもならないとも限らなくて、旅に出たことを後悔するときもある。そういう気持ちです。「きつつ」は、「旅に来て」というのを「唐衣」で、ちょっとおしゃれに飾って、それに、衣を「着慣れた」という意味繋がりで、妻の装い姿を導き出すという高度な技を織り込んでるんだ。もう、旅に出る前から、一緒に行くみんなは泣いたね。ぼくは、妻っていうほど決まった人ってないから、自分で作って自分で泣いたりはしなかったけどね。これから、時間は沢山あるから、ぼくの物語もかなり書き込めるはずだよ。

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京都を出て、隅田川まで来たら、確かに、季節はもう夏の盛り。川の入り江に水鳥が何羽も飛び交っていた。聞いたら、「みやこどり」だって。名前から、京都のことを少し思い出したけど、その鳥を、どうして「みやこどり」なんて名前にしたのか考えたら、黒い羽の、その水鳥に、興醒めする思いがして、ただ、明日の行き先と旅の行程を準備をして、早めに寝てしまいました。赴任地は多賀城の姉哈。朝は午前10時から役所に出て、午後3時まで、書類を作り、目を通して、あとは、そのときどきの現地視察があるんだ。出勤は三日に一日位になるね。都に戻るまでは、のんびりできるね。今、役所の仕事を手伝ってくれてる女の子に通ってるんだ。その子は、お父さんは受領で、とても眺めのよい、広い家に、一緒に住んでるんだ。お父さんと飲んだりもするよ。もし、都に帰れなくても、ここで暮らすのは悪くないと思う。彼女は、物語の草紙を結構読んでて、話は合うしね。食べ物が美味しいんだ。お米、酒、海のもの、山のもの、川の魚、木の実、百合根、とろろ芋、納豆、蜂蜜。栗の花の蜂蜜は最高だよ。ぼくは、1/8のハーフだからかな、この辺のものがけっこう美味しいんだ。それと、ここからもっと北に行くこともできるらしいよ。ずっと遠く、平らな草原に、甘い、大きな木の実ができる所があって、赤紫の豆の花が、春には、いっぱい咲くんだって。それは、彼女のお父さんから聴いた話だけどね。古いものが伝わってて、ご神体とか言って、神社に仕舞われているものがあるんだ。彼女が御守りにしてるのもそうで、石の欠片で、線が刻まれてて、字みたいに見えるんだ。一回だけ、見せてもらったけど、見たことのない石だと思ったよ。決して見てはいけないものらしくて、見ていいのは、一生に三回だけなんだって言ってた。ぼくが見たのがその三回目で、もう次は、子供に渡すだけなんだって。ぼくが思ったのは、何かの思い出だなっていうことだね。その石の模様は「“”(∨)“”⊆⊇」と書かれていた。その線の強弱で、意図的に書かれたと分かるし、伝えたかったことがあるって分かるんだ。ぼくの、今、書いている物語も、今のぼくを伝えたいっていうのは同じだね。それは、ぼくがもう一度生まれて来たときに、自分のことを、よく思い出すためなんだ。だから、あの石の欠片も、ずっと昔のぼくが書いたものかも知れないんだ。そのときの自分がどんなだったのか、思い出してみたいんだ。少なくとも、何か楽しかったような気がするね。ぼくが今、書いている物語を、500年経って、そのときの自分が見たら、ずいぶんよく、自分のことが分かることになるね。自分のことを思い出してみると、小さい頃、楽しく遊んでいたことは、記憶として、まとまった形、ラベルを付けて記憶するということはない。「楽しくチャンバラをする」とか、そういう記憶の仕方はなくて、それは、ただ、小さい頃の自分で、それは、今も継続して生きている自分自身だ。一方、自分の好きなべったを理不尽に取られて泣いたことは、「晴れた日の玄関の前で泣いたこと」という名札、ラベルを付けて記憶されていた。それは、今の自分には関係のない、骨董品だ。少し面白く、売れるかもしれない。今の自分にあるのは、その傷跡。何でもないことであっても、その傷跡のない人と比べたら、ない方がいいのだろうか。それ自体が、今、どうこういうことはなくても、その結果の何かが、今の自分にあるかも知れない。その場合、名札の付いた思い出は、記念品、戦利品、勲章だ。人に見せなくてもいいものだ。そうした、名札の付いた思い出でない、今の自分である思い出は、普通、思い出されることはなく、どういう風に思い出したらいいのかも分からないのだ。

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自分とは、1つの思い出だ。整理されていない生の思い出だ。それが死んで、ミイラにして、綺麗な棺に入れられ、博物館に展示されるとき、それは、ぼく達のよく知っている「思い出」になる。昔のぼくが、石の欠片に、「“”(∨)“”⊆⊇」って書いて、ぼくに伝えてくれたことは、名札のない、ぼくの思い出だ。今日、ぼくは、都への召還通知が渡されたことを言わなくちゃいけないんだ。これも、ぼくの物語の1つになるんだ。ぼくか詠んだのは、こんなこと。「栗原の姉哈の松の人ならば都のつとにいざと言わましを」。ちょっと冷たい、もっと心を込めて言わなければならないのに。彼女がほんとうに幸せなのは、ぼくと一緒に行くことなのか、ここで暮らして行くことなのか、そんなことを考えるんだ。だから、これは、彼女に聞きたいことなんだ。「どう思ってるの」って。勿論、彼女も、ぼくの聞きたいことは分かってるんだ。彼女は返歌をしなくちゃいけないんだ。それで決まる。今年の夏が終わったら、雪で道が閉ざされる前に、ぼくは行く。ここで、ずっと暮らすには、まだやるべきことがあって、そのための、文化と言葉と習慣が必要なんだ。ぼくの物語は、そういうもので出来ている。彼女の歌が知りたいけど、それがぼくの人生を変えることはなくても、1つの思い出にはなるのだ。それで、彼女の歌は、もうなくて、「おもひけらし」と言っていたという事だけを聞いたんだ。楽しい思い出で、それ以上は考えなかったらしい。それでよかった。そして、今、京都に還り、自分のことを思い出して、歌を添えて、物語を書いている。物語は思い出、歌は自分だ。どういう風に思い出したらいいのか分からない自分自身だ。

 

雨が降る日、来るはずの男が、この雨で外に出られずにいると伝えて来たときに、女から、返し、「眺むれば 降りみ降らずみ 知るを難み 身を知る雨は 降りぞまされる」。同じ雨をずうっと見ています。人の気持ちは、雨が降っても、降らなくても、人には分からないものに決まっています。でも、雨は降っていて、それは、降っていないのではなく降っていて、人でなく空には、人の心を隠すことはできなくて、だから、今日は雨を降らせて、あなたの思い通りになるようにしてくれています。私はそれで、自分がどういう存在なのかが分かります。雨はどんどん降ってきて、あなたの心の思い通りに必ずなるようにしてくれています。この雨に感謝すべきですね。こんな風に言われて、男は、雨の中を濡れ鼠になって走って女のところに来ました。

 

都に出ていった男の子の、少し田舎の都のはずれに住んでいる母親がいて、季節の変わり目にか、その子に送る衣服など取り出し、片付けていて、子どもへのものに付けて歌を詠み届けました。「老いぬれば 去らぬ別れの ありと言えば いよいよ見まくほしき君かな」。私も年を取りました。人が、別れの言葉を交わすことなく、離ればなれになってしまうこともあるということは、当たり前のように聞いていましたが、それが自分のことに思えて来ると、いつもいつも、あなたに会いたい気持ちが、大きくなって来ています。男は、これを見て、仕事もあり、その母のところを尋ねたかどうか、そのまま、日を過ごしてしまったか、分かりません。母のところを尋ねたとも、そのときの、母か、男の歌もなくて、それは、そのまま、日が過ぎてしまったようです。それでも、その後に、母のもとを訪ねる機会があればよかったのですが。男の返し、「世の中に 去らぬ別れのなくもがな 千代もと祈る 人の子のため」。この調子では、母のもとをすぐに訪ねるということではなかったようです。仕事が忙しい過ぎたのかも知れません。年末か、お盆には、いつものように、母のもとを

訪ねているのでしょう。

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若い頃、こんな歌も詠みました。「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身一つは 元の身にして」。月が輝く、春の今、それは、昔の春、昔見た月でないはずはなく、自分は、昔の自分であるはずはなくても、そう思います。そんなつもりで歌ったんですが、人には、この歌は何だか分からないって言われました。「心あまりて、言葉足らず」って言う人もいます。理解してくれているようですが、難しいんだそうです。ぼくの頭には、その昔の柿ノ本人麿が歌を捧げるその時の立ち居振舞いを念頭に、歌も、今の姿の、新しく、心映えも劣らぬものを選び出して、その場に掲げたつもりです。人と、歌のことなど、論じあったりします。「思うこと 言わでぞただに 止みぬべき 我と等しき人のなければ」。思っていることを言わないままにしてしまうことが多いですね。自分と同じ考え方で、話し合って行けることはないんです。自分が話したいことって、人とは違っているんです。それは、時間がなかったり、興味がなかっりで、だからといってどうということはないんですけど。政治とか、絵画、詩文、彫刻、塑像、建築、などの芸術、文化についても、思うことはありますが、そんなことの話をする機会はないですね。書き出しておくには、今書いている物語と違い、長くなり過ぎて、紙がすぐなくなるのでできないんです。役所にいれば、融通がきくので、今度の除目には、期待しています。

 

これまでの人生の最後に思うのは、「ついに行く 道とは かねて聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしを」。もう終わりにします。やがてはその道に辿り着くということでしたが、ついに、その道に来たんですね。その道を目の前にして、「ここまで来たのか」という感じです。振り返ってどうこうというのはなくて、「これで終わりかぁ」という感じです。もう少し先があっても、またそんなに疲れてなくて、楽しんで行く余裕もあるけど、終わりなら終わりでもいいかなって思います。道の途中の人には、「元気でね」って言うぐらいかな。病気したり、怪我したりは、つまらないから気をつけて、っていうことだね。あと、隕石の衝突はしようがないね。

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