更新日:

2022.3.12(土)

AM11:00

 

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      和夫くん、来たのか  ーーー  著者 BTE

   著者略歴                                                                                   

 和夫くん、来たのか (10) 思い出すという事    ☆⇒ 和夫くん、来たのか (11) エピローグ

 

でも、ほんとに、もうその日に来ているっていうことは、そんなに考えていなかったので、明日もあるような気持ちで、今日を終わり、明日がなくても、それは知らなかったっていう具合に、ぼくの周りの時間が流れて行くっていうことかな。お別れを言う人っていうのも、あるような、ないようなで、

もう、今までの付き合い方の中に、お別れも入っているんだ。それは、一緒に居られて楽しかったし、そのことを、最期のときに満を持して言うんじゃなくて、いつでも言ってきたんだと思ってるんだ。過ぎて行く時間を無駄にすることなく。そういう仕掛けになってたことを気がつかなかったとしたら大成功だね。気がついたとしても、どうしてそうなのか、どういう意味なのかは、分かった人はいないと思う。そういう仕掛けの出来る人って、500年に1人ぐらいだから、分からなくて当たり前だし、それが面白いんだよね。ずっと昔にそんな人を見つけたら、それは楽しいね。もしかしたら、大昔のぼく自身なんだよね。それが分かるためには何か記録を残さないとね。ぼくの持ってる石の欠片の人、手で触れるのは少しだけど、ぼくは分かったよ、これはぼくだなって。今、ぼくが、物語を書いているのは、500年後のぼくが自分のことを、沢山、思い出すためなんだ。それから、今、書いているのは、歌と物語のセットなんだけど、この書き方だと、ぼくの後にも、誰か、何か伝えたいことを書き足して行くことが出来るよね。それは、ぼく以外の誰かの思い出で、500年後のぼくが、それを見たときに、自分以外の誰かの思い出に、そういうこともあるんだっていうことで、参考になるんじゃないかな。

 

ぼくが目を瞑り、もう目を開かなくても、500年後に、ぼくが生まれて、もう一度、いつも一緒だった人たちを見たとき、あれからどんなことがあったか、色々、話したり、思い出したりして、また、楽しく暮らせることになるよ。ぼくはもう、色々、思い出すことを書き貯めたし、きみ達とどんな風にして、また会えるか、説明するのは難しいけど、自分のことを思い出すときに、今、そこにいるのが、昔のあの人だっていうことも思い出すことができるんだ。きみ達が、それぞれの自分のことを思い出しきれなくても、ぼくがこうしているのは、思い出してることがあるからなんだ。それは、ちょっとした、ぼくの楽しみ、ということなんだ。500年後にぼくを思い出してるぼくは、この物語を読んで、ほんとうに、それは昔のことだったんだって思って、ちょっと楽しくなるだろうな。ついでに言っておくと、小野小町くんは、実際、頭がよくて、文学的才能が、ほんとに、あったね。都から離れることになったとき、1つの時代が終ったと思ったね。紀貫之くんとかと一緒に過ごした時代が終わったんだ。小町くんは、老後は普通の田舎生活を楽しんで過ごしたらしいけど、公務員の夫は、身分が安定しないから、その後のことは分からないね。紀貫之くんはいい人だったな。鋭くて、切れのある人だった。古今集の序文は、偉いなと思ったよ。この人たちが、いつかまた、生まれてきて、ぼくもそこにいたら楽しいけど、そこまで一緒になれるかどうか、自信はないね。いい友だちだったけど、また、それぞれの人生を楽しんで欲しいね。ぼく達、歌の競争もしてたから、また会ったときも、気持ち的には、ただ嬉しいだけではないんだよね、きっと。他人を客観的に見るって、いうことかな。さあ、眠くなって来た。明日のお花見は行けないかも知れないね、目を覚ましたら、思い出すことが沢山できたね。

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500年後に、自分のことを思い出しているぼくは、「在五中将日記」を読んでいるよ。それはぼくだし、自分の小さい頃を思い出しながら、自分が今居る時代の楽しみを見つけてるんだ。A.D.1390年、ぼくは、今、「草紙洗小町」を書いていて、大伴黒主が、小野小町の歌を、盗作とする証拠を作り、歌合わせに勝とうとする、それを見事に解き明かす小町の、手に汗握るドラマが眼前に再現される。ぼくが思い出しているのは、昔、平安時代、藤原道長が権勢を振るう前、奈良から京都に都を移して100年後、遣唐使は廃止され、日本語で書くことか自由になって、歌の言葉が花開いた時代のことだよ。ぼくは、世阿弥だけど、世阿って呼ばれてて、能楽の台本を書くときに、とっても助かったって言ってるよ。古今集の歌の言葉を拾ってくれば、それで、いい曲がすぐ書けてしまうんだ。ほんとうに、取り放題で、訳がわからなくなるくらい勝手にできた時代だったんだ。能芸論を書くつもりだよ。ぼくが能についてずいぶん沢山のことを書くのは、後の時代に生まれてくる自分が、今のことを、はっきり思い出すために必要だからなんだ。自分が自分の今居る場所から、もっと進めると思うとき、自分の今の時間はもうないのだ。もう一度生まれて来たとき、自分が誰なのか思い出すとき、自分のことを書いておいてくれたら、すぐに、しようと思っていたことを続けられるからね。ぼくの持っている石の欠片、ずっとぼくの御守りで持たせられたもの、それには何か書いてあるけど、意味の分からない記号で、何かを思い出させてくれるけど、詳しくは分からない。だから、書いてくれてることは役に立つんだ。その中に、ぼくの持ってる石の欠片のことも書いてあったから、きっと、同じ思いだ仕方をしてたんだ。大昔の、そのまた大昔、ぼくは「まめ」の花が咲く広い場所で、やっぱり何かを思いたそうとしてたんだ。

 

ぼくが思い出してる昔の人、業平くんは、やっぱり、色々、書いておいてくれてるんだ。ぼくってすごい。ぼくが書くのは、それが信じられてるからなんだ。ぼくのお父さん、観阿は、何にも名前を残さなかったけど、ぼくの書いたもののほとんどは、お父さんの思い出でもあるんだ。誰か他の人、「批判に曰く」とか、諺的に紹介される自分以外の人の言葉は、お父さんの観阿の教えてくれたことなんだ。花鏡の最後にある、その「批判に曰く」の言葉、「出きはを忘れて能を見よ、能を忘れて人を見よ、人を忘れて心を見よ、心を忘れて能を知れ」となり、と言ってます。「...能を忘れて人を見よ、..」と目を、自分の主題である「能」から、転じることができたのは、能を自分の主題とするからであり、それができたところに、この人の芸の卓越したところがあるのだ。

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ぼくは能をずいぶんよく知りました。観阿が心配したのは、能を演じる人のことなんです。能の曲が演じている人と、現にその能を演じている人が、同じ人であるという、普通、理解し難い技を伝えようとしたんです。「出きはを忘れて能を見よ」。演能の技、動きとか所作と言われるものについて、目や耳に訴えて来るもの、「出きは」ですね、の中に、能の修練がきちんと表現され切っていることが大事です。能の技の方法論は、観阿が教えてくれました。演能の場で、人の耳目を惹き付け、喝采を得るものの中でも、能として伝えられて来たものがなければならない、ということですね。人の楽しみとする芸能に、色々な要素があってよいわけですが、能の方法論の中で目指すものがある、ということです。舞台で面白く、楽しませる芸があります。それは、あきます。どうしてあきるかというと、自分でないからです。自分を思い出し続けること、その方法論がなければ、一時は面白くても、やかて、あきます。そういう芸があること、それが始めです。「能を忘れて人を見よ」。この最初の段階に到達するのに、修練と才能により、人に違いが出ます。そして、改めて、その芸の進む先があります。演じる人の、演能に携わっているとき以外の生活における、過ごし方です。それは、その人の世界観であり、文化的価値観です。それが、さまざまな職業の観客のそれぞれの最善の価値観と共鳴しなければなりません。そして、さらにその先に進むべきところがあります。「人を忘れて心を見よ」。そうした人の、「心」というものを見て、量ることになります。「心」と言われても分かりませんが、「人」というものと別の判断基準として、また、より上位の概念として考えられています。「人」という場合は、それについて、見者の判断を、なを、待つところがありますが、「心」というと、判断のない、我々の存在を直接的に伝える、感覚的事象ということにでもなるのでしょうか。こう言うと、まるでとらえどころのないことですが、「心」と言って、通常、人が理解しているものではある訳です。それを感じるのは、いわゆる、表現、ではなく、「表現」したときに、得てして逃げていくものの後ろ姿みたいなことです。それは、そのときの、眉間の幅の拡がりや、

手の動きの高さの1ミリ、速さの1/100秒で、人が捉えてしまうものです。

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そして、それは、この上なく微妙な、幽玄なことに思われますが、さらに決定的な見所を「批判」は指摘してくれます。「心を忘れて能を知れ」ですね。「批判」の言葉は、「能を見よ」から始まりました。観客としての芸能鑑賞が、認識する主体としての自分自身を見つけることで、芸術的経験の意味を完結させています。「心」という認識の成果における最高峰も、認識する存在の影として、捨てられるものであるのです。このようにして伝えようとされるものは、誰の経験の中にもありながら、それに面と向かって対峙するのが困難なものであり、それを掴み取ることは、人が、その人のみの発明によりできることのようです。思い出すということで、人がしていることは、自分を深く満足させることです。ぼくは今、昔の人を、その歌の言葉で思い出します。小野小町や業平が思い出しているものも、自分には親しいものです。業平くんが思い出しているものは、また、その、ずっと昔の自分です。書いたものはなくて、もしかしたら、文字を描いてある石ころを大事にしていたかも知れません。確かに、古い神社とか、切り立った崖や洪水で削られ、流された川の土砂の中に、変わった石の欠片が顔を出してたりします。字が描いてあるものもあったりします。お父さんの観阿も、何かそんなものを持ってました。たぶんどっかにあるはず。思い出しているのは自分自身だっていうことを、秘事口伝で聞いてはいるんだ。ぼくが今書いているのは、そんな思い出なんだ。「隅田川」や「弱法師」で思い出しているのは、業平くんであり、さらわれた子供なんだけど、それはぼく自身で、一緒に旅に出た友だちや、自分の母親を思い出しているんだ。大事なのは、そこに自分がいることで、今の自分は、昔の自分を思い出しているという点で、思い出の中の自分と区別できる、そういう自分なんだよね。

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