更新日:

2021.4.17(土)

AM11:00

 

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      日本の文学 葉隠               

   葉隠 聞書第ニ      ●100                                                              

■聞書第ニ

 

1  「奉公人の禁物というのは、どんな事でしょうか」と尋ねたところ、「大酒、自慢、奢りです。うまく行っていない時は心配ありません。少しうまく行っている時、この三箇条が問題なのです。人を見てみなさい。だんだんいい気になり、自慢、奢りが出て、とても見苦しいものです。そういう訳で、人は苦しい目に会った人でなくては根性がすわりません。若い時には、結構うまく行かないというのがよいのです。うまく行かなくて草臥れてしまう人は役に立たないのです。」とお答でした。

 

2  「角蔵琉とはどんなもののことでしょうか」と尋ねた時の答です。

鍋島喜雲の所に草履取の角蔵という者がいて、喜雲がその力量を認めて、剣術者として取手方の一つの流派として仕立て上げ、角蔵琉と名付け、方々で指南をし、今のその手が残っているのです。組打やはらなどと言い、形として仕上がった流儀ではありません。

 

我らの流儀も、そのようなもので、きれいに仕上げたものではなく、げす流で、草履取角蔵の取手の仕方のように、すぐその場での役に立つものなので、少し前から、我らのも、角蔵流と言っているのです。

 

また、この前、寄合の時に話したことですが、最高の恋とは忍ぶ恋のことだと考えていて、逢ってからでは恋の丈が低く、一生忍んで、思い死にする事こそ本当の恋だということです。歌にありますが、

 

 恋死なん後の煙にそれと知れつひにもらさぬ中の思ひは

 

これこそが、丈高い恋と言うものだと言ったところ、4,5人が感心してくれて、煙仲間ということになりました。

 

 

3  多久美作殿が老後に、家中の者に無情、無理のことをされたことがありましたので、誰かが意見したのですが、「長門のためです。自分が死んだ後に枕を高くしてゆっくり休んでください。」と答えたという事です。広い意味で、家中の者の事を考えて、隠居する前に無理の事などがあって、それで嫡子に家を譲るときには、家中の者がすぐに当代に思いが移るものです。これは秘事とされていることだとある人が、言っていました。、

 

4  人に会う時は、その人の気質を早く呑み込み、それぞれに応じて対応することです。

そうして、理に固く、勢い強い人には、よくよく折れて相手をし、角の立たないようにして、その間にも、相手をする中で上手の理で言い負かし、その後は、少しも根に持つ恨みを残さない様にするのです。これは、気持ちの問題、言葉の問題です。ある人(−何某)に、和尚からの人に会う時のことについての意見です。

 

別に、実際の言い方についての話もありました。

 

5  加州の大乗寺の隠居、了為和尚が下国の前のことですが、北山の宗寿庵の普請をしていた時、行寂和尚の上堂の掃除は自分でされました。また、天祐寺の雲門和尚が隠居して、海音和尚へ夏衣を持って行ったところ、新しい物で、良過ぎるので不似合いだと返され、雲門和尚の古衣を望まれました。また、宗寿庵へ水岩和尚が来られる前に、新しく上堂が建ちました。御待設けにと待っていて、壁は了為和尚が御塗りになられました。ありがといことです。

 

北山黒土原の了為和尚の隠居所は長陽軒といいます。正徳二年(1712年)四月十九日に寺号引きも済み、寺の名跡を持ち、宗寿庵となりました。

 

6  夢が正直に試しになります。切り死にや切腹の夢を時々見ますが、勇気が座って来て、だんだん、夢の中でも心持ちが変わって来ました。閏五月二十七日の夜の夢の事の話あり。

 

7  武士について、一言で言うならば、まずは、自分の身命を主人にすっかり捧げるのというのが根本です。その上で何をするかといえば、自分の中では智仁勇を持つということです。三徳兼備ということで、凡人には及びもしないことの様ですが、簡単なことです。智というのは、人に相談すると言う事です。どれだけということも言えない程の智です。仁は人の為に

なるということです。自分と人を比べてみて、人がよい様にすることです。勇は歯噛みです。前後の事は考えずに、歯噛みして踏み破るだけです。それ以上の特別な事は関係ありません。

 

それから、外目としては、姿形、口上の言葉、手跡の筆です。これはどれもいつもの事なので、いつも稽古して、出来るようになります。その主眼とするべきは、閑に強みある様にと心掛ける事です。それができる様になったら、国学を嗜み、その他、気晴らしに、諸芸能を習ってもよいでしょう。よく考えると、奉公というのは簡単な事です。今どき、少し役に立つ人と思って見ると、外目の3箇条までぐらいのものです。

 

8  ある出家の言われた事ですが、淵瀬の深さも知らない川を、うかうか渡っては、向こう岸にも行けず、用事も済まず、流れ死ぬことさえあります。時代の風俗、主君の好悪も分からず、奉公に無分別に熱を入れても役立たずで、身を亡ぼす事さえもあります。御意に添うようにするというのは見苦しいものです。まずは、引き下がり、少し淵瀬を見、調べて、お嫌いなさる事をしないようにするのがよいと考える、のだそうです。

 

9  前の神右衛門、法名は善中、は沓わらじを作るのが上手でした。組の人数をかかえる時も、「わらじは作りますか、その仕事ができない者は足が堪らず、持ちません。」と言っていました。

 

また、一里以上遠くに行く時には、一人に一升ずつの兵糧を袋に入れ持たせました。行き先からすぐに出陣できるようにということです。まず、一升ずつあれば、その後、才覚できるものです。そのために、浅黄木綿の袋を数多く作り置いていました。太閤様が名護屋に御下向の時、朱鞘の大小に足半を懸けて、高木上道を通られました。また、家康公の騎馬を太閤様へ御目に懸けられた時、成瀬小吉は紅の沓を鞘に懸けていたそうです。軍中で第一の用意です。

 

今でも、長崎立ちという時は、上下の人々、数万人の入り用になるので、沓わらじが一束もなくなります。ですから、兼がね心に懸けて用意しておくべき事です。とにかく、作り習って置かなければできない事です。芝原、山道、川中などでは、わらじはすべります。足半がよいそうです。

 

10  丁子を何袋か身に付けていれば、寒気、風気に中らないで済みます。先年、前の數馬が寒中に早打ちで下国した時も、老人ながら少しも身の痛みを言うことがありませんでした。

 

また、落馬しての止血の方法としては、芦毛の馬の馬糞を煎じて飲みます。

 

11  何事もうまく済ませてしまう人は、次第に重きを置かれなくなってしまいます。強くいなければなりません。

 

12  内気で陽気なご主人は、何かと誉めて上げて、そのお役目に落ち度のない様に用意して差し上げるものです。御気を育て申し上げるということです。一方、御気性が御発明なご主人は、自分に少し気遣いする様に仕向けて、この事をその者が聞けばどう思うだろうと思わせる様にすることが大忠節です。

 

そうした者が1人もいないと、御家中を見て、皆、揉み手の者ばかりとお思いになり、御高慢の気持ちが出て来る様になります。上下に拘わらず、いくら善い事をしても、高慢になってしまっては、それも崩れてしまいます。そうした所に目の付く人がいないものです。

 

求馬、吉右衛門などは、しっかりとその様に見知らせて置かれた者たちです。吉右衛門に対しては、その病中や隠居の後も、事によりご相談があったそうです。有難い事です。

 

出来ない事ばかり考えるのでできないのです。十年、骨を砕き努めれば、ちゃんと出来るのです。それは自分に覚えがあります。1国に1人という程の大事な宝ですから、そう成りたく思わないのは不甲斐無い事です。まず、学ぶべきは、信方や喬朝のような者たちです。疎まれては、忠を致し、お見せすることも出来ません。ここが大事なことです。多くの人が見つけられない所です。その後に、少しずつ、それと気付く様にさせるまでのことです。

 

13  火事の時に持ち場へ駈け付けるのは、火消しの為ばかりではありません。敵方や逆心の者どもが火を点け、その騒ぎに紛れて攻めに掛かる事があります。その事を考えて置く必要があります。ですから、火事の時、人のすることに不関わりでいるのは不覚悟というものです。普段から、心掛けて置くべきなのです。御門ごとの守りの固めもその為です。

 

また、御法事の時の堪忍番はおかしなことをさせない為です。寸善尺魔と言って、法会には、必ず、邪魔が入るものです。喧嘩や口論など、その他、不意の事がある場合には、御法事の邪魔にならない様にすぐに取り鎮める役と心得て、堪忍番を勤めなければなりません。これは、自分も人もよく知っていることですが、多くの場合、うかうかと出ているので、事に臨み、し遅れるものと思われます。その際の話などを聞いて置くべきものだと言います。助右衛門殿が言っていました。

 

14  諫言や意見などは、悪事が出来てからしていては、その効果もなく、却って悪い噂を広げるようなものです。病気になってから薬を使うような事です。普段からよく養生していれば、結局、病気にはならないのです。病気になってから養生するよりは、普段からの養生が、手間もかからず、し易いのです。

 

未だ悪事を思いつかない内に、普段から、その気持ちになるようなことを、何となく諫言し、意見していれば、普段からの養生と同じようになります、とのことです。

 

15  お役に立ちたいと思う奉公人は、そのまま、引き上げ、召し使われることは間違いありません。上の方では、役に立つ者がいないかと、常日頃お探しになっているのです。たとえば、能囃子にご趣味の御主人は、芸のある者をお探しになっているので、百姓町人であっても、笛でも太鼓でも上手な者がいれば、すぐに召し出す事になるのと同じ事とです。

 

能役者よりは、御国の役に立つ奉公に心掛けている者を、いつの時代でも、お探しになっているのです。また、上の方の好きな事にはその道その道の者が出て来るので、お役に立つ者をこそ好きになられるべきものと思います。昔から、どの位でもその位にあった人が出て来る、ということにはならないものです。下から上り、大功をなしてお役に立つ人は、代々の間に数人はいたとの事です。

 

16  御位牌が釈迦堂から移されていたのを、ある者が見つけて、申し上げた方がいいかどうかと相談されたときに言ったのですが、「そう思わる通りですね。こうした事に気付く人は、今時では、あなた位しかおりません。しかしながら、申し上げるということは必要ありません。その申し分がその通りだということで、元の様に戻ったら、世の中に知れた時に、そちらの評判が上がります。もしも、そうはならなかった時は、さらによろしくない事だという話が広がり、そちらの評判がよくなるだけです。よくない事は自分の身に引き受けてこそあるべき姿なのです。今のまま、まずは、そのままにして置くならば、誰も気付かず、何の問題にもならず済んでしまいます。そうして置いて、その内にいつか、適当な時に何も言わずに、元に戻る様にする仕方を考えるべきです。」と言って、一旦、止めました。

 

こうした事で、上の方のし損ないが世間に知れてしまう事があるのです。気を付けてこそいれば、ちゃんと、よい時期が到来するものです。多くの場合、よくない事は内から言い立てる事になるものです。上の方への批判などは言わないものと覚悟を決めて置くものです。親子兄弟や親しい者の間では、それはまた別と考えて、隠し事なしなどと言い、話しをすれば、やがてそれが広がり、その後、自国、他国、日本国中に漏れ聞こえてしまうのは、本当にすぐなのです。また、下人などやその他にも、内での仕方のよくない人は、いつか、世の中に悪い事を言い立てたりするのです。内輪であるほど、慎みがあるべきものだ、と。

 

17  とにかく正に今、という一念の外はありません一念、一念を重ねて一生となるのです。それに気が付けば、他に忙しくすることもなく、何かを求めるということもありません。その一念を守って暮らすだけです。人は皆、そこの所が分からず、あり様を他に求めて、探し続け、この所を見つける人がいないのです。守りに守って、抜けない様になる事は、功を積まなければならないものです。けれども、一度、そこに辿り着いてしまえば、いつもその気もちでいなくても、もう他の別物にはなりません。この一念を極めるということをよくよく理解すれば、するべ事は少なくなります。この一念と言う事に忠節が備わるものだという事です。

 

18  時代の風というものは変えられないものです。段々と落ち下がる感じなのは、世の中が末になって来ているということです。一年の内に、春だけはとか、夏だけはとしてみても、同じではありません。一日の事でも同じです。そうであれば、今の世を、百年前の美風にしたくてもできはしないのです。ですから、その時代時代で、よい様にする事が大事です。昔風を慕う人に誤りがあるのはここの所です。分かっていないのです。また、当世風ばかりで、昔風を嫌う人は、元に戻って考えるという事ができなくなる、という事です。

 

19  奉公に志があり、工夫や修行などをする時、多くは、高く求めすぎて、本来の意図をを失ってしまいます。ただ、何を理解してということでなく、世間並みに、普通に主人の事を思い、奉公を好んでするだけです。元々の事に立ち返って勤めるのがよいのです。とは言え、始めからそういう気持ちでは役に立ちません。一通り、工夫し、修業して、それを、さっぱりと捨てて、その上で、この様に心掛けるということです。

 

20  今ある思いを守り、気を抜かずに勤めて行く他には何も入りません。一念、一念を思い続けて行くだけです。

 

21  付紙の仕方は、その端を剣先の様に切って、その尖った所に糊を薄く付けて、書物の裏に付けるものだという事です。また、弔い状などの凶事の包物は、両端の折り返しを一度にします。ですから常々は、片方ずつ折ります。その時は左を始めに折り返します。

 

22  古来の勇士は大方は、はぐれ者です。はぐれた事をする気質なので、気力が強く、勇気があります。この辺りの事が不審に思い、質問してみたら、「気力が強いので、平生は手荒く、はぐれた事をして廻るものの様です。自分は気力が弱く、はぐれた事ができません。気力が劣るので、人柄はよくなりました。勇気は別の事です。自分が気力がなくて、おとなしくて、それだからと言って、死に狂いで劣るべき事にはなりません。気力のいる事ではないです。」との事です。

 

23  「奉公は色々と心の持ち方があるようで、大体の所では済ませられないと思います。」そう言ったところ、「そうではありません。生れつきの分別でいいのです。勝茂公の選ばれた御掟に合わせて行くだけの事です。簡単です。その中でも、御家中、下々までの為になる様にと思ってする事が、上に対しての奉公になります。考え違いの役勤めの者などが、上への為になるからと、新しい事を企て、下の者の為にならない事を構わず行い、下の者が困る事をします。これは第一の不忠というものです。御家中、下々まで、全て、殿様のものです。また、上からする事は御慈悲でなされて済むのです。場合によっては、磔も御慈悲のこともあります。」

 

24  権之丞殿が見えて、長崎仕組の事を尋ねられた時に、それへの答は、「我らは殿の御側に居たので、あなたの今の必要には合わないのですが、その時分には、皆、人それぞれが御供の準備をし、我らは、ただ、いつもの枕一つで済ませました。というのも、殿様が御立ちの時、御供に出で立つだけの事です。武具も、金銀も、兵糧も、御側に居れば、上からのもので済ますという理解です。御納戸置物の事(口頭)あり。済ますというその際には、上にも申し上げて置きます。御側役人も、その時なっては、何と異議を言い立てられるでしょう。仕組と言っても、そのようにして済ませました。もっとも、夫丸荷付馬などの引き合いは、張り紙をしていましたが、基本的には、殿様と一緒に居れば、済むものと考えていました。」という事です。

 

25  奉公していた頃は、自分の生活の事」などは、何も考えませんでした。もしも、食べる物がないという時は、御側の人たちや上にも申し上げて、江副兵部左衛門の様に、拝領するものと考えていました。先年、京都から国に下り、また、上り行きになった時は、年寄衆へ、「自分は、長く在京して、内の生活に差支えが出て来ました。上方を立ち出でる時に、不具合の事があっては、外聞のよくない事です。考えてみて頂けないでしょうか。全く私欲の事ではなく、お役の為に在京してのことですから、申し上げるのです。」と申し上げ、それがすぐに御前に申し上げられ、銀子を拝領しました。

 

また、病気で服薬しながら勤めていた時に、医師から、「人参を取るように。」と言われましたが、手に余り、できないでいたところ、諸岡彦右衛門が聞き付けて、「神右衛門殿用の人参は、お役費用の中から、どの位でもお渡ししますから、気遣いなく取られて下さい。」と言ってくれて、少しも遠慮せず、受け取りました。彦右衛門が言うには、「御自分は、殿様が特に大事にしている仕事をしている方なのですから、人参などはどれ程取っても問題ないのです。」と言われました。

 

総じて、奉公人は、何もかも、根っから、がらりと主人に任せてしまえば済むものなのです。隔てを作るので、難しくなるのです。

 

26  「直茂公の御軍法は、日頃も御家中の者は何も分からず、その場に臨んで、御一言で、万事がすっかり拉致の開く所が一流なのです。」と内田庄右衛門の話です。もうお亡くなりになろうという時に御家老衆がお尋ねになっても、仰せ出され、聞かせられませんでした、との事です。

 

27  家康公のある時の戦いが不利に終わった時に、後での評判で、「家康は大勇気の大将だ。討ち死にの兵が1人も後ろ向きで死んでいた者がなかった。皆、敵陣の方を枕にして死んでいた。」という話が広がったそうです。武士というものは、日頃の心掛けが死後にまで顕れるもので、それは恥ずかしい事なのだと言われました。

 

28  今時の人たちは、「陣立てなどはなくてよかった。」と言います。嗜みがないもの言いです。僅かの一生の間に、そうした事に出会いたいものです。布団の上で息を引き取るのは、まず、その苦痛は耐えがたく、武士の本意でもありません。昔の人は特に嘆いたものだと言います。討ち死に程よい死に方はありません。

 

そうした事を言う人たちに一言はしても、煩い老人だと言われる時は、何かと紛らせて居ることもありますが、近くで、心ある人がそれを聞いている時は、同意している様に思われますから、差し支えない様に一言するべき時は、そうも紛らわせてはいられないのです。

 

今自分の人たちは、無気力に居れば無事故です。何か事があれば、少し事々しくしがちです。昔の人も変わりはないのです。変わりがあると言っても、昔は昔というだけです。今時の人は、世の中すべて落ち下がりになっているので、劣る理由は何もないなどと、一座の人たちを見計らいして言うべきことです。実に、一言が大事なのです。

 

29  安田右京が盃の終わり方の事を言っていた様に、ただお終いのあり方が大事なのです。一生もそういうものです。

 

客が帰る時、名残の尽きない心持が肝要です。そうでなければ、もう飽きていたかの様に思われて、終日終夜の話も、無になってしまいます。およそ人の交わりというものは、飽きの心が出て来ない様にするのが肝要です。いつでも珍しい思いで居る様にするべきです。これは、少しの心掛けで変わるものです。

 

30  万事、実をもってして行けば済むものです。その中で、奉公人は、御側、外様、大身、小身、古くからの家、取り立ての者など、それぞれ、少しずつ心入れは違います。

 

御前近くの奉公では、差し出がましいのが第一に悪い事です。偉い方は御嫌いなされるものです。御前の仕事は、それなりに自分で引き受け、あれでは埒が明かないが、それでも他に人がいないならばと思われるのでよいのです。そうして置いて、その役の先輩だけでなく、自分と同役の人をそれなりにその御用に立つようにして、もしも、病気、差支え、役替わりなどの時に、事が足りなくなった時には自分が勤めるようにすると心掛けて置くのがよいのです。それが道でもあります。

 

兎に角、忠節を根本に置いて考えればよく分かる事です。役の立身が早い事は、立ち行かないものです。古来、そういう例が多くあります。幼少の頃より御前勤めを致しましたが、尖った一言を申し上げたことはありません。ここは特によく考えなければならない事です。

 

31  身は無相の中に生を受く、と言います。何もない所に居るのが色即是空です。その何もない所で、万事を備えるのが空即是色です。別々の事にならない様にと言われました。

 

32  武勇の事と子供とは、自分が日本一だと大高慢でいなければなりません。道を修行する毎日の事は、知非便捨、非を知るは捨てる便り、の他ありません。この様に分けて考えなければ、どうにもなりません。

 

33  以下の事はこの中でもお聞きしていますが、今回は次のようなお話でした。

 

恋に落ちるその最高は忍ぶ恋です。「恋ひ死なん後の煙にそれと知れ終にもらさぬ中の思ひは」という事です。生きていてそれと知らせるのは深い恋ではなくて、思い死ぬ事は限りなく丈高い事です。たとえ、相手から、「こうではありませんか。」と尋ねられても、「全く、そんな事は考えていません。」と言って、ただ、思い死に切るのが至極の事です。廻り遠いことではないと思います。

 

この前その話をしたところ、理解してくれた人たちがいましたが、その人たちを煙仲間と言っています。この事はすべての心得に当てはまります。主従の間も、この心で済むのです。また、人のいない所での嗜むのが、それが、公の事なのです。1人居の暗がりで賤しい挙動を行わず、人の目には見えない胸の内に賤しいことを思わない様に心掛けなければ、公の場では綺麗に見えませんし、急に嗜みをしても垢が見えるものです、と言われました。

 

34  照庵は連歌好き、素方は俳諧好き、丈があんなに違います。日頃の慰み事にも気を付けて、丈の高いものに眼を付けるべきかと自分は思います。連歌、俳諧よりは、狂歌でも読み、習いたいものだ、と言われました。

 

(私注:腰折などとは武家は言ってはいけない事です。)

 

35  謙信の言葉で、「始終の勝などといふ事は知らず、場を外さぬ所ばかりを仕覚えたり。」と言われたそうです。これが面白い所です。奉公人などは、その場を外しては、口もきけないと言います。昔と同じで、その場その場の働き、挨拶、そこに、心の感じるところが浅くないのです。

 

36  病気を養生するというと、第二段に落ち下がります。難しい所です。

 

佛教で有相について論じる様に、病気以前に病気を切断する事を、医師も分からないようです。これは、自分ははっきりと理解しました。

 

どういう事かと言うと、飲食、淫欲を断ち、灸治治療を欠かさず行う事です。自分は老人の子で、水気が少ないと思っています。若い時、医師などからは、「二十歳を越えない。」と言われていたので、「たまたま生まれ出て、御奉公も果せず、死んでしまうのでは無念の事なので、それならば、生きてみよう。」と思い立ち、七年、不淫して、病気にも終にならず、今まで命があります。薬を飲んだ事もありません。また、少しの煩い加減には、気持ちを強くして、押し倒しました。

 

今時の人は、生まれつき弱い所に、淫事を過ごすので、皆、若死にをするものと思います。馬鹿なことです。医師にも聞かせて置きたい事ですが、今時の病人を半年か、一、二年か不淫させれば、自然と煩いは直ります。大方は虚弱なのです。それをできないのは不甲斐無いというものです。

 

37  貴人や老人などの前では、うかつに、学問の話、道徳の事、昔話などをするのは遠慮するべきです。聞き苦しいものです。

 

38  上方には、花見の手提げ重箱があります。一日使うだけです。帰りには踏み潰して捨ててしまいます。さすがに都の思い付きです。万事、片付けが大事なのです。

 

39  武士は、武勇に大高慢で、死に狂いの覚悟が肝要です。普段の心掛け、物言い、体の使い方、すべてに於いて綺麗にと心掛け、嗜むべきです。奉公の人は、そのあるべき姿を、気の置けない人とよく話し合い、大事の事は、聞いて構わない人に相談し、一生の仕事は、人の為になるようにとばかり考えて、細かい事は知らない方がよいです。

 

40  謂われなく同僚に位階を越され、身の置きどころが低くなった時、少しも気に懸けずに奉公する人もあり、また、それを不甲斐無いなどと言って言わなくてもいい事を言い、出て来なくなる人もあります。それについてはどうかと言えば、時により、事による、です。

 

41  「水増されば船高し」ということがあります。器量者、または、自分が得意の事は、難しい事に出会うほど、一段と心が進むものです。迷惑がるなどは、まったくの心得違いです。

 

42  梁山の話で、上方で教えられて、書き物は残る物で、手紙一つでも、それは送り先では掛物になると思って、嗜みを持って書くべきです。多くは、恥を書き置くだけです、との事です。

 

43  奉公人は、その姿形、物の言い方、手跡で上に立つものです。姿形の本となるのは、その時に合うということです。見るべきものです。今時、少し目に立つ人は書き読みだけでの事で簡単な事だと、人は油断している、という事です。

 

44  道すがらのお話ですが、何とよく作られた人形ではないか。糸も付けずに、歩いたり、跳んだり、跳ねたり、ものまで言うとは、上手の細工だ。来年のお盆には客となってお迎えされるのだ。随分とはかない世界なのだ。それを忘れているのだ、と。

 

45  柳生殿の教えですが、道で牛に会い、恐ろしがっているのは見苦しいものです。牛が人を突く時は、普段の様子でいて、そのまま突くものではありません。きっと角を構えてから突くものです。そう心得て居れば、その脇を通っても怖れることはありません、という事です。こうした事までも、武士は嗜みが要るのだと言われました。

 

(私注:馬の跳ねるのを何度も見ましたが、跳ねるのではありません。足を引き上げて、それを伸ばし、踏むのです。馬に近寄らなければ、跳ねても当たらないはずです。一足でも離れて立っていれば当たらないはずです。)

 

46  奉公人はよい手本が必要なものですが、今時は、手本がないのです。姿形、もの言いは石井九郎右衛門などがよいです。律義な事では村岡五兵衛です。物を書き調べる事は原田殿以後は見つけられません。どうも、人がいないのです。あれこれと寄せ集めても、昔の一人前にもなりません。もっとも、昔も少なかったのですが。若い人は、少し頑張れば、人より上手になる時節なのに、油断しています。

 

47  権之丞殿への話なのですが、今がその時、その時が今です。二つを別に考えているので、その時の間に合わないのです。今この時に御前に召し出され、「これこれを、その場で言って見よ。」と仰せつけられた時、たぶん、迷惑に思ったりするでしょう。二つを別に考えている証拠です。

 

今がその時と、一つにして置くというのは、終には御前でものを申し上げる奉公人ではなくても、奉公人となるからには、御前にても、家老衆の前でも、公儀の御城で公方様の御前でも、さっぱりと言って済ます様に、寝間の隅で言い習いして置くということです。

 

万事そういうものです。これに倣い、吟味すべきです。槍を突く事も、公儀のお勤めをすることも、同じことなのです。このように、詰めて考えてみれば、日頃の油断、今日の不覚悟、すべて分かると思います。.

 

48  公儀方での事は、失敗しても、不調法、不慣れ、などと言って、済んでしまうでしょう。今、思いがけない事の場に居合わせた者の場合、その後れを取ることは何と言い訳すればいいのでしょう。善忠様はいつも、「武士は曲者一種にて済む。」と言われていたのも、そうした事です。

 

もしも、無念だと思うならば、武運が尽きて即座の働きもせず、悪者になったのですから、身の置きどころはありません。それでも生きて、恥を曝し、胸を焦がすよりは、せめても、腹を切ったらよいでしょう。それさえも、命が惜しくて、無駄死になどと言って、生きる方に理を付けて、その後、5年か10年か生きて後ろ指さされ、恥をさらし切って、死に失せ、骸の上に恥を塗り付け、子々孫々の咎もなき者までも、縁により生まれ来て、恥を受け、先祖の名を下げ、一門親類にも傷を付け、無念千番の次第という事になります。ただただ、日頃の心掛けなく、武士とは何か夢にも思わず、うかうかと日を過ごしては、罪というものです。

 

出し抜けに切られた者は、力及ばずで、武運に尽きた者ということです。切った方は、どうしようもない行掛りで、後の事を考えず、命を捨てての事ですから、どうという事も思わないでしょう。短気で、心得違いの者ということでしょう。向き合う相手となった二人は臆病者とは言わず、その場の者達が、生きて恥を掻き、武士ではありません。その時が今だと、常日頃から吟味工夫して、直し直しして置かなければならないはずです。

 

皆、人が、油断のままそれなりに一生を過ごすことになり、不思議な巡り合わせと言うならば、武道は毎朝毎朝、死に習い、何かに付けて、死んでみて、また、死んでみてして、切りを付け、切りを付けして置く事が一つです。そうは言っても、大変なことですが、やれば出来ることです。してはいけない事ではありません。

 

また、言葉の勢いが武辺の大事です。その時も、それで終わらせられれば、上の事です。手に余れば、打ち捨て、取り逃がした時は、「誰それ、止まれ、卑怯者、逃げるのか。」などと、時に応じて、変に応じて、言葉を掛け、その勢いで、済ませてしまいます。ある人(−何某)は、目も心も利く者と、日頃、人の目に映っている者ですが、仕留めたのです。今がその時の証拠です。横座の槍もそうです。日頃の事が必要なのです。とにかく、日頃から、吟味して置くべき事は数多くあるはずです。

 

殿中の殺害人は、もしも取り逃がせば、切り回り、御次の、殿様の近くまで行かないとも限らないので、切り捨てて当然です。それも、後での御咎めや、同類、意趣の有無の御詮議もあるのかも知れませんが、それは、ただ、仕留める事だけを思い、それでの科の事は考えていませんでした、そう言うべきです。

 

49  日頃の心掛けのある程、仕果たすものだと言う事の証拠は、この前の何だったかで、男仕事でさえあれば、三谷千左衛門の手に廻り来て、仕果たした事です。軍神の加護なのです。

 

50  殿中では、抜き掛けられても手向かいせず、それを御目付に断り申し上げれば、非議の事でも、理を付け頂けるはずと、伝え聞いております。「後々の利運と考えて、当座の恥を堪えるというのはどうなのか。」と言うならば、元心師の教えでは、言葉の働きが必要な所です。相手を召し連れて行くか、自分だけでも御目付に面談して、このような事になったのは、本当に我慢できない事ですが、殿中の憚りが多く、御上の事を考え、当座の恥辱を我慢したもので、心底を御推量下さい。自分の一命はもう捨てています。この事をお届け致しますが、その時の様子をそのままに申し上げ、お知らせするものです。もし、相手が御構いなしという事であれば、初めに捨ててある命ですから、何も考えず、討ち果たすのです、との事。

 

51  「武道奉公のあり方について、少しずつ、心得が変わったりします。ある時、その気持ちになり、こうでなくてはならないと考えたことも、しばらくして、いやいや、それは危ない事だと変わってしまう事があります。その時々で、心得が変わって行く事を、もし書き付けて置くならば、若い時よりの事では、百度や二百度という事では済まないものです。本当に、埒の明かない事です。何とか仕上げてしまいたいものです。」と言ったところ、「そうしている内がよいので、仕上げてしまったら、それはもう違っています。一生の事と考えてください。」との事です。

 

52  出し抜けに首を打ち落とされても、何か一働きはできるはずです。義貞の最後がその証拠です。心甲斐なくて、そのまま打ち倒れたものの様です。大野道賢の働きなどは、最近の事です。これは、何かするという、ただその一念です。武勇の為、怨霊悪鬼となると大悪念を起こしたなら、首が落ちても、死ぬものではない。

 

53  正徳三年八月三日、夜の夢の中の騒動の事の話。

 

54  ある人が言った話ですが、上の地位の人が名言をものされる事は不思議な事と思っていましたが、ふと、思い当たる事がありました。下々は、欲得を初め、日頃、穢い事ばかりを思い、胸中を汚しているので、急に何か思いつこうとしても、また、詩歌などの作品も、出て来難いのです。上の地位の人は、元来、汚れた事は胸中に出て来ず、清浄心に自然と叶っているからなのだろう、と思ったそうです。

 

55  貴賤を言っても、老少を言っても、悟っても死に、迷っても死にで、とにかく、死ぬのです。自分も人も、死ぬという事を知らないわけではありません。

 

ここに奥の手があります。死ぬと知っていますが、人が皆死んでしまってから、自分は最後に死ぬように考えて、今のここではないと思っているのです。はかない事ではないのか、何もかも役に立たず、夢の中の戯れ事だ、そんな風に考えて、油断していてはだめです。足元に来ることなので、随分と働き、精を出して、何事もするのです。

 

56  思いがけない事で動転する人に、お気の毒などと言えば、ますます気が塞がり、物の理も見えなくなります。こうした時に、何もなさげに、却ってよかったなどと言い、気を逸らすという事があります。そこに始まって、よい理が見えて来るものです。定まらぬ世界の中で、愁いも悦びも、心に留めたままにして置く事はできません。

 

57  悪逆の者のすることは、人の非を見つけ、聞きだしして、それを言いふらして面白がることです。また、「誰それはそうした悪事のせいで、問い質され、閉門蟄居になった。」などと、無い事まで言い囃し立て、世の中に広く噂にし、その人の耳に入るようにし、さてはその事が表に出たと思い、まず、病気ということで引き下がった時、「自分の悪事のせいで、自分から引き下がったのだ。それを詳しく糺すべきだ。」と言い出して、御歴々の耳にも入れ、どうしようもなく悪事になる様に作り出すものです。このやり方を知らずに狼狽える者を笑い、悪事にしなして面白がり、また、自分の為に利用したりするものです。度々あったことです。弁財御下り、袋酒盛、二法師江戸頭人断り、これらのお話あり。御家中は広いので、そうした侫悪の者は、いつの世にもあるものです。覚悟すべきことです。

 

58  同座している中で、若い人が欠伸をすると、欠伸は見苦しいものです。欠伸、くしゃみはしないものと思えば、一生しないものです。気の抜けた所で出るのです。ふと欠伸が出たら、口を隠します。くしゃみは額を押さえれば止まるものです。また、酒を飲む人はあっても、酒盛りを上手にする人はありません。公の事柄です。気を付けるべきです。こうした事は奉公人の嗜みでもあり、若い間にしつけをするのがよいと思い、箇条書きを百あまり作りました。

 

さらに考えて、書いて置きなさい、との事です。

 

59  「帯のし方、裃の付け方はこの御国(佐賀)の仕方よりよいものはない。」と加賀守殿が申されました。すべて、加賀守殿のなされ様です。帯の結び目を挟む事は他ではありません。とりわけよいと思います。

 

60  山ア蔵人が、「見え過ぎる奉公人はよくない。」と言うのですが、これは金言です。ただただ奉公を好きになるのが、あるべき当家の職柄です。ある場合には、理非の詮索を強く行い、または、無常を観じ、隠者を好み、濁れる世の中、煩わしい都などと見なし、仏道修行で生死を離れ、詩歌の楽しみ、風雅を好むなど、よいことの様に思うものです。これは、自分の身一つを安楽にして、心を清く持つというだけです。隠居した人、出家など、世を離れた人はそれでよいのです。奉公人には第一の禁物の事です。そうした者は、皆、腰抜けです。武道の奉公は、骨を折り、し辛いものなので、そこを離れて、安楽を好むのです。世の中に、無学文盲で、奉公一途に勤め、または、妻子以下を養い育てるのに心を尽くす者は、一生を見事に暮らします。奉公人でありながら、座禅を勤め、詩歌に心を寄せ、身の周りを風雅に、別の趣にして暮らす人は、たぶん、身上を持ち損ない、無力に責められて、俗でも僧でもなく、公家、隠者でもなく、見苦しいことになります。

 

また、一つの事にはまるのではなく、家職の隙に、気晴らし、慰みに、その他の事をするのは問題ないという場合もあります。それは差し障りにまではならないでしょう。そうは言っても、家職の事のみ心に懸ければ、およそ、少しの隙も出て来ません。隙のあるのは、未だそれにはまり切っていないからなのです。老巧の士の一言は深みがあります。

 

蔵人が年寄役の時、俳諧が流行り、殿中で俳諧をする人も多かったのですが、蔵人一人だけは終に、それを習う事をせず、「御用が済んだら、皆様、俳諧をされて下さい。」と言って、帰ったという事です。隠居してからは、連歌三昧で日を暮らしていたそうです。

 

61  奉公人は心入れ一つあればよいのです。物事の判断、芸能までもしようとすれば、事は難しくなり、心が落ち着かないものです。また、その業務で御用に立つのは、居るところが下段です。物事の弁えもなく、無芸無能の男で、何の役にも立たず、田舎の片隅で一生を朽ち果てるか、それとも、自分は殿の第一の家来で、親しくされようが、情けなくあろうとも、知りもしないとしても、そういう事にはいっさい構わず、常日頃、御恩の有難い事を骨髄まで思い、涙を流して大切に思い奉るだけです。これは簡単なことです。これが出来ない生れつきというのはないはずです。

 

こう思わない事でもないでしょう。しかし、この様な志の人は稀なものです。ただ心の中で思うだけの事です。役を勤めるに丈高い人です。恋の気持ちのような事です。

 

情けなく、つらい程、思いは増します。偶に何かで会う時は、命も捨てる程の気持ちになり、忍恋などこそ、よい手本です。一生、言い出すこともなく、思い死にする気持ちは深いものです。また、時には、偽りがあっても、その時は一入喜び、偽りと分かれば、一層深く思うのです。君臣の間はこの様にあるべきです。奉公の大意はこれが全てです。理非の問題ではありません。

 

(私注:)君臣の間と恋の心と同じだという事は、宗祇の言葉にあります。

 

62  御側での奉公は、なるべく出過ぎない様に、ぶらぶらして年を重ね、自然と御用に立つようでなければ物になりません。一つ家の内のようなものだからです。御側から離れての奉公は、それでは追い付かず、随分と外れない様に心掛け、上の人の目に付くようにと言う気持ちが要ります。

 

63  何のよい点もない自分なので、大した奉公もせず、虎口前の、危険に対しての仕事をしたこともないのですが、若い時から、ただひたすら、「殿の家来のたった一人の者と言うのは自分だ。武勇と言えば自分一人だけだ。」と骨髄に徹して思っていたからか、大変な聡明な人、御用に立つ人がいても、押し下げられる事はありませんでした。却って、色々な人にお世話になり、勿体ない事です。今だから言いますが、いつまでも人に語り聞かせたりするのではありませんが、一念大地を動かすということなのか、人に認められて来ました。御子様方を始め、いろいろな方に親しくして頂き、痛み入り、有難く思っています。

 

主人を思い申し上げる事は、御譜代の士は、奉公する、しないによらない事ですが、勤める時は、また、そのあり様があるのです。知行の御加増、金銀を多く拝領する事程有難い事はありませんが、それよりは、ただ一言が畏れ多くて、腹を切る志は起きるものです。

 

火事の場合の御仕組みの事で、江戸での御書物の役目と申し上げられたところ、「若い者だから、供を申し付けるように。」と仰せ出されて、その時、それですぐ、身命を捨てる心になりました。また、大坂で、御夜の物、御布団を拝領した時、「遊びの事で召し使う者に加増は遠慮するところなので、志までに与える。年寄どもへの礼もする必要はない。」と仰せられた時、本当に、昔ならば、この布団を敷き、この夜具を被って、追腹もするべきと、骨髄に有難く思い申し上げたものです。

 

64  帰り新参などは、ずいぶん鈍になったと見えるぐらいでよい。しっかりと落ち着いて動じない位の高さがあります。御譜代の臣で居ることの有難さ、御国のよさは、それに気が付く程に、御恩を重く受け止められます。その様な心境に行きつけば、浪人なども何でもありません。ここでの主従の契りの外は何もいらないのです。それはまだまだだとして、釈迦、孔子、天照大神が出現して誘われても、ぎすと、少しも動くことではありません。地獄にも落ち、神罰にも当たり、こちらは主人に志を立てることの外は要らない事です。下手をすれば、神道のとか、仏道のとかの、大変な大がかりの道理に動かされてしまいます。佛も神も、これをよくないとは思われないと思います。

 

65  ある方のところにお見舞いに、人と一緒に行き、暫く話をして、帰る時のことです。行った先の人が、「もう暫くお話下さい。晩までとは思いますが。来客がありますので。」と言われました。その後、やがてすぐ、自分たちは帰りました。都合の順番を言われては、追い立てられるようなものだ、とのことです。

 

66  写し紅粉を持って歩いたらよいです。なんでもない時で、酔い覚めか寝起きなど顔色が悪い事があります。その様な時に紅粉を出して、引いたらよい、と。

 

67  相良求馬ほどの聡明な人は、二度とは出て来ない様に思います。少し見ても、ずいぶん頭のよさそうな人と見え、何か考えるほどに、その頭のよさが顕れるのです。光茂公が歌道に一辺倒の熱心さで、そのために、勝茂公から御意見があり、年寄役が蟄居を申し付けられました。その時、御側の者は召し出され、お叱りを受けました。求馬の若年時で、末座に居たのですが、申し上げた事は、「丹州様の御気質を、自分意外の方はよく存じ上げないようです。御気質が和らぐ為には、御歌学は、それ以上ない事です。御器量が抜群で、短気で手荒くいらっしゃいます。ですから、歌を好きにされていらっしゃるのは、御家長久の為の基になるものと考えます。」と申し上げたそうです。その後もそのように言っていました。後日、勝茂公がおっしゃったのですが、「丹後守の側の者を呼び出し、叱ったのだが、それに対して一言も言う者がなかった。たわけ者ぞろいだ。末座に若輩者がいたが、顔付は器量あるように見えた。」そう言われたそうです。

 

この話は、別に聞いた所では相違の事もあり、もっと聞いてみる必要はあります。

 

68  新しい事は、たとえよい事であっても、どうなのかという事があります。中野又兵衛の元祖の者の言った事で、我らが御主人が御苦労なされ、我々の弓組25人を作り上げて置かれましたが、それも散り散りになり、せめてもの形見にと思い、腕の立つ10人を選んで、澤野組に入れられましたが、その組中の肝を潰し、御恩に報いることが出来たと思っています。残りは鉄砲組になったので、弓を折り切り、今から火縄を使うなどあり得ないと、やる気を失くしていました。一人は、一石組の押さえに回るはずだったのですが、承知しないでいたので、ある者が言ったことですが、弓は我々に続く程の人はいませんが、老年になり、業を果たすことも出来なくなり、上様のお命じになられたのを、出来ないなどと言うのはあり得ない事なので、自分たちは一石組に出ることを願い出て、今では、弓は手に取ることもしません、そう言って涙を流して話すのでした。

 

こうした事は、上には知られず、下の者の間では不和が出来て、困ったことです。そもそも有難い御家なのですから、どこまでも承知しないという事はあるべき事ではありません。直茂公は一和することが大事とされています。

 

また、有馬の軍の功の第一、第二を入れ札にされました。要所要所に御目付を置かれていたそうですが、その時、誰も納得できていなくて、敵と向かい合ってのところでの働きをどうして明白に見分出来るのか、その御目付は武功の人でなければ間違うというのです。江戸の御屋敷の式台で石井彌七左衛門がその話をしていた時、門田市郎左衛門がやって来て、ちょうどよい機会ですので、一番乗りが自分たちより先だという者があるのか、言ってみてくれと言うので、それは乗口が違うことだと言ったそうですが、こうした事で多くの手柄が隠れてしまい、残念い思っている者は多くある、ということです。

 

69  ある人(−何某)が、ある方の所で笄を失くしたことをあれこれ言っていたのを、一緒に居た人たちが意見して、何もなく帰りました。その盗んだ人が分かり、処罰されました。その家の主人に恥をかかせる事を、当て所もなく言い出して、見つけられなかった時は、一層、興ざめなことになります。刀の拵え様、置き場所、失くしたときの事も、日頃から考えておくべきだ、との事です。

 

70  興に乗った時は、口に出るまま話をすることがあります。自分の心が浮ついて実がなく、人にもそう見えます。その後で、本当の所を、思い返し、話をするべきです。自分の心に実が出来ます。軽い挨拶をする時にも、そこに居る人たち全体を見渡して、人の気に障る事がない様に、少し考えてから話をするべきです。

 

また、武道の事、御国の事を難じる人が居れば、愛想を尽かし、きつく話をするべきです。日頃から覚悟するべき、との事です。

 

71  談合事などは、まず一人と話し合い、その後に、聞くべき人たちを集め、一気に決定するべきです。そうでなければ、恨みが出ます。また、大事の相談は、関係のない人、世の中から外れた人などに、秘かに、問題点を言わせたりするのがよいのです。贔屓ということがないので、よく、理が分かるものです。同じ仲間の人たちに相談すれば、自分の気持ちから、得になるように言う事になります。それでは役に立たない、との事。二法師の事のお話あり。

 

72  一芸のある者は芸敵ということがあるものなのに、左仲は、先の年、正珍に連歌の師匠を譲りました。立派な事で、珍しい事です。

 

73  湛然和尚が、風鈴を懸け下げて、「音を好むのではなくて、風を知り、火の用心をする為です。大寺を持つ上での気遣いは、火の用心だけです。」と言われました。風が吹く時には、自分で夜回りをされ、一生、火鉢の火は消さず、枕元に行灯、附木を揃えて置かれ、「急の時、狼狽えて、火を早く立てる者がいないものです。」と言っていました。

 

74  公と寝間、虎口の急と畳の上、二つ、別物になり、急に何かをしようとするので、間に合わないのです。ただ、常日頃の事なのです。畳の上で武勇の顕れる者でなくては、虎口の急にも、選び出されることはないのです。

 

75  剛億というものは平生の事で見ても分からないものです。別の事です。御留守居二度についてお話あり。

 

76  主人にどうともなく思われていては、大事の奉公はできないものです。それは、ただ心の覚悟で分かるものです。お叱りの時は悪口ばかり言われるのでしたが、自分は、終に、悪口には会いませんでした。若殿様は、この自分の事を主人を見限りそうなものとお思いになられておられ、本望と思っておりました。光茂公が亡くなられる時分には、我らが申し上げる事は少しも疑われなかったそうです。

 

77  「今でも、御家の一大事の起きた時は、進み出て、一人も先にはやらない思いを致し、いつでも涙が零れます。今は、何事も身に入らず、死人と同じと思い、全てを捨て切っていますが、この一事だけは、若い時から、骨髄まで思い込んでいるから、そうなのです。何とか忘れようと思っても、心に任せず、天下に自分一人こそ居なければならない事と思っています。家老の方々を始め、御家中の皆様が、この様に御家を思って上げられないものだろうかとの思いです。」そうお話になり、涙が落ち、声が震えて、暫くは、お話もできませんでした。「いつも、この事さえ思いに上がるならば、こうなってしまうのです。自分はこんな風な者です。夜半、暁、独居、対座で居る時も同じです。本当に、し様のない事です。」という事です。

 

この話での落涙は何度か見ました。

 

78  一鼎に会って、「御家の崩れるなどという事は末代までありません。その訳は、生々世々に生まれ変わり、この御家に生まれ出て、御家は、自分一人で抱き留め申します。」と言ったところ、「大胆な事を言う。」と笑われました。24、5才の頃です。卓本和尚に一鼎が言われたのですが、「この御国に変わった者が出来ています。昔が恥ずかしくなります。」と話されたと聞きました。出家の話ではありますが。

 

79  湛然和尚が言った事ですが、「常に氏神と心をよく合わせて居るべきです。運が強く居られるでしょう。親同然にする事です。」と教えられたとの事。

 

80  「この御国に生まれて、日峯様を拝み申しあげないのは、そういうものなのでしょう。その御存命の内にも、日峯様に願懸けを立てる者がいたという事です。大切な事と思った時に、宿願を懸け、叶わない事は一度もありませんでした。前の神右衛門が常々そう話していました。

 

81  神は穢れを嫌うとのことですが、少し思う所があり、日拝を怠らずしています。その訳は、軍中で血を切り被り、死人を乗り越え乗り越えしての働きの時に運命を祈る為にこそ、日頃信心をするのです。その時に、穢れありとして、そっぽを向く神ならば、し様がないと思い極めて、穢れの事を構わず拝み申し上げています、との事。

 

82  大難、大変の時も一言です。うまく行っているときも一言です。当座の挨拶を話の内にするのも一言です。工夫して言うべき事です。きちんとなるものです。これについては、自分に覚えがあります。心を尽くして、常日頃、心掛けておくべき事です。この事は、めったには話せない、話し難い事です。すべて、心の仕事です。心に覚えのある人でなければ分からないでしょう、という事です。

 

83  ある所で、話の最中に、出家の方が見舞いに来られました。自分は上座にいたのですが、末座に下り、一通りの挨拶をして、その後はいつもの通りにしました。前にも教訓で言った、礼儀の事です。

 

84  権之丞が、長崎御仕組の時、仮物頭を命じられました。そのことで、心得の為、書き付けにしました。すぐに出立するときのあり方、人夫に宿元を見せて置くという事などがあります。また、組の者を呼んで、ご馳走などして、挨拶して置くなどの気遣いも要ります。一言の事で、そういう寄親だなと思うものです。御家への御為の志がしっかりしていれば、次は、物頭を命じられるはず、などです。

 

85  人間の一生は、本当に僅かの間です。好きな事をして暮らすべきです。夢の間の世の中、好きでもない事をして苦労して暮らすのは愚かな事です。この事は、間違った聞き方では害になるので、若い人には、決してそうは話しさない奥の手です。自分は寝ることが好きです。今の境遇相応に、いっそう出歩かず、禁足して、寝て暮らそうと思います。

 

86  正徳三年十二月二十八日夜の夢の事。志が強くなる程、夢の様子も次第に変わります。今のあり様は夢に出ます。夢を相手に、懸命にするのがよい事です。

 

87  慙愧とか懺悔と言うのは、器に入れた水を打ち返すようなものです。ある方の、笄盗人白状の事を聞くと、不憫になります。すぐ改めれば、その後は、たちまち澄み渡ります。

 

88  少し眼の見える人は、自分の長けを知り、非を知ると思い、ますます自慢になるものです。実際に、自分の長けを知り、非を知るのは出来難いものです、との事。海音和尚がそう話されました。

 

89  見た所のそのままで、その人の長けの威のある所が見えるものです。引き嗜む所に威があり、調子の静かな所に威があり、言葉の少ない所に威があり、礼儀深い所に威があり、行儀の重い所に威があり、奥歯を歯噛みして眼差し鋭い所に威があります。これらはすべて、外に顕れたものです。つまりは、気を抜かさず、思いを正しくする事が基なのです。

 

90  貪、瞋、痴と、よく区別したものです。世の中の悪事が起きた時に、引き合わせてみると、この三箇条の外にはありません。よい事を引き合わせみるならば、智、仁、勇、この外にはありません。

 

91  五郎左衛門が言うのですが、奉公人の心構えは、いつの時でも、根本は変わらないのですが、時代時代で、その趣は変わります。直茂公と勝茂公は、粗くも、細かくも、何事についても、人に聞かれることなく御存知なされていたので、すべて、御命令に従い、勤めて居れば間違いはなく、疑問に思う事はお尋ねして、御指示を受けるのでした。これは、奉公がしやすいと言えます。

 

また、もし不案内の御主人の時は、随分と工夫思案して、御国を治めて申し上げなければならず、これは大変な事だ、との事。

 

92  中野數馬(利明)が言った事ですが、茶の湯で古い道具を使う事を、面白くない事とし、新しい綺麗なものにするべきだという人がいます。あるいは、古い道具は、親しみがあり、懐かしくて使うという人もあります。どれも違います。

 

古い道具は、下々の者も使った物であっても、その徳とするところがよくよくあるので、上の方の手にも触れられることになる物なのです。その徳を貴み、尊んでいるのです。奉公人も同じです。下の者で居て、高位に上った人は、その徳があるのです。それなのに、氏もない者と同役はできない、昨日まで足軽だった者を上にするのはできない、そう思うのは、以ての外の間違いです。最初からその位にある人よりは、下から上がって来た人には、その徳を貴んで、一層、崇敬するものです。

 

93  前の神右衛門の言い付けで、幼い頃、町の風に吹かせ、人に慣れさせる為ということで、唐人町出橋辺りに、折々、使いに行かせていたという事です。五歳よりは、色々な先様方へ名代として出していたそうです。七歳よりは、きちんとさせる為にという事で、武者草履で、先祖の寺参りをさせていたそうです。

 

94  主人にも、家老、年寄にも、少し、隔てある様に思われていなければ、大業はなりません。どうとも思われず、腰に付けられているようでは、働きはならないものです。こうした気持ちを持つように、との事。

 

95  御家の事、御家中の事、昔からのその根源をよく知らないで居てはだめです。とはいえ、時により、その知識が邪魔になる事もあります。考えの要る所です。平生の事でも、内情を知って、それが差支えになる事もあるものです。考えが要ります。石井新五左衛門の山本紛れの事(口達あり)。

 

96  春岳の話という事で、「そこを引くなと言うままに、そこに二人張る。」と紙に書いたとあります。これは面白いと思います。その場ですぐに済まない事は、一生、どうもならないのです。その時は、一人力ではできず、二人力で片付けるものです。後でと思えば、一生、怠ります。

 

また、左足を踏ん張り、鉄壁を通れ、というのも面白いです。直ちに飛び込み、踏み破るのは、左足の一歩です。また、大一機を得た人は、日本開闢以来、秀吉一人と思われていたそうです。

 

97  ある人(−何某)は、まず、面の皮が厚く、器量があり、利発で、役に立つ所もあります。この前、「あなたは、利発さが全部、表に出て、奥深い所がない。少し、鈍になり、十のものの内、三つ四つは残すようには出来ないか。」と言ったところ、「それはできません。」と言われました。

 

囃し立てて、公儀の事などさせれば、どこまでも、仕上げて行く所があります。しかしながら、殿の御身辺、御国家の事、重大事は、全く、させられないだけです。誰かと同じような者です。利発や知恵で、何でも済むものと考えているのです。知恵、利発程、汚いものはないです。まず、人が認めず、帯紐解いての親しい付き合いもできないものです。ある人(−何某)は、よく分かっていないように見えますが、実があるので、奉公人として立って行くのです。

 

98  殿参りして、よく近付くのも奉公人の疵です。すべて、御内縁とか、殿御贔屓で、口が利けるものではありません。折角、骨を折って奉公しても、引きがあるから、うまく行くなどと後ろ指をさされて、奉公が無になるものです。何の引きの縁もない奉公は、気持ちよく出来ます、との事。

 

99  大した事でもない事を、念入りに詳しく話す人は、おそらく、その裏に、言いたい事があるのです。それを、紛らわし、隠すために、何となく、あれこれと話すのです。それは、聞くと、不審な気持ちが出てくるものです。

 

100  僉議の事、または、世間話でも、その理屈を、その通りだとか思って、そこにばかり気を回していては、その上にある理がみえません。人が、黒いと言ったら、黒いはずはない、白いはず、白い理由があるはずと、その上の理を考えてみれば、一段上の理が見えるものです。そのように目を付けなければ、人の上手に出る事は出来ません。

 

そして、その場で言う相手ならば、差し障りのない様に言うべきです。その場では言えない相手ならば、差し障りのない様に応対して、心に、その理を見出して置くというのがよいです。人の上を行く理の見えるというのは、この様なものです。

 

ある人(−何某)の縁切りの事(口達あり)。悪推量、裏廻り、もの疑いというのとは違う事です。

 

101  ある人(−何某)に意見した事ですが、「生活の仕方、気持の持ち方は、今時に、人より優れていて、よい事です。その上で言えば、人より上の所に眼を付けられて下さい。今の分だけでは惜しい事です。芸事を好かれているのも、位が低いと思います。もしも、その名人になり、お役に召し出された時、先祖以来の侍の分を外し、芸事の功者になってしまいます。この御国の侍は、芸は身を亡ぼすと、常日頃見ておりますが、その事です。ただ、低い丈の事ならば、それはそれでよいのです。人より上の所というのは、その人(−何某)は武士だ、さすがの奉公人だと見られ、御家老が必要な時に選び出される事になります。人がいない時には、昔の失敗も消えて行きます。御国を治め申し上げる忠節の外に何があるでしょう。たとえ召し出されなくても、一分の、その分の覚悟はお役に立っているのです。おそらく、大事の時は、秘かに相談に来られるものです。それに対して教えるのは、一層の忠義です。外には求められない事なので、少し上の所に居る人は、人が捨てて置かないものです。こうした辺りに眼を付けてください。」そう言ったところ、「それは、稽古、鍛錬ができるでしょうか。」と尋ねられたので、「簡単です。今の事に気を抜かず、上手の理を見つけ出すまでの事です。少し、気を入れてすれば、きっと出来るものです。

 

また、十日で国中に、その器量を広く知れ渡らせる方法もあります。ある和尚(−何和尚)と前に話した事です。人が皆怖れる和尚です。上手の理が得意で、人に知られる仕方を分かっている人です。明日にでも、何事か言われている事を打ち崩し、責めて、上手の理で言い負かし、理詰めで押し、人は胆を潰し、その話を人に言い言いして、やがて世の中に知られる事になります。大犬を噛み倒さなければ、世の中に広く知られる事はできないと言いますが、本当に頭のよい和尚だと言われたので、そんな風に人のする事を阻むので、大業はならずで、何の感心すべき事がありますか。誰にも、少しも何もさせないと懸かるのでなければ、攻め手は伸びないとか、また、義経の「勇・智・仁」と言ったのも面白く思います。

 

今でも、40歳までは、勇・智・仁、です。世に埋もれた人たちは、40歳を過ぎても、勇・智・仁でなければ、聞こえが取れない事でしょう。あの和尚などは、ただ、勇・智・仁で世に知られ、名高いのです。

 

また、殿様の事、御家老、年寄衆の事については、たとえ、上手の理を見つけても、人に、その批判をしたりしないものです。違うと思っても、それにその通りと理を付け、人がそのことで思い付く様に、褒め、崇めて置くのが忠義です。人が不審に思う様にしては、申し訳ない事です。人の心は移ろい易いものなので、一人が褒めれば、そうかと思い、一人が誹れば、悪く思うものです。

 

また、どこそこでよい勤め先があると、ある人(−何某)が言われたという事を、先年、聞くことがありました。そういう時は、日頃の懇意への愛想も尽かして、きつく答えればよい所に、差し障りのない様に、よさそうに応対すれば、訝しく思われてしまうものです。そうした中で、味方に転ばされ、引き倒され、腐らされる事もあるものです。飢え死にしても御家来で居て、殿を立て外してしまう事は、仏神の勧めでも見向きもせずと心に決めて、最後まで居るように。」そう言われたそうです。

 

102  その場で論議になるような事は言わないものです。気を付けるべきことです。世の中の事で、何かと難しい事がある時、人はだれでも、落ち着かず、我知らず、その事だけを話題にする事があります。無用の事です。悪くすると、言い合いになり、そうでなくても、口から無用の敵を作り、気を悪くするような事になります。そうなったら、外出は止め、歌など詠み、考えていた方がよい、との事。

 

103  人の事を言うのは大きな誤りです。褒めるというのも身に似合わないことです。とにかく、自分の丈をよく知り、自分の修業に精を出し、口を慎むのがよいのです。

 

104  徳のある人は、気持にゆっくりした所があり、何かにつけて忙しいということがありません。小人は、静かな所がなく、当たり合い、がたつき廻ります。

 

105  夢の世とはよく言ったものです。悪夢などを見る時は、早く覚めてくれと思い、夢であってくれと思うことがあります。今日の日もそれと少しも違う事はありません、との事。

 

106  知恵のある人は、実も不実も、知恵で計画して、理を付けて、それで通ると思っているものです。知恵が害になる所です。何事も、実でなければ、何にもならないものです、との事。

 

107  公事の事、または、言い合いになる事で、早く負けて、見事な負けがあるものです。相撲の様なものです。勝ちたがり、きたなく勝てば、負けに劣るのです。たぶん、汚な負けになります。

 

上がり屋敷の事(口説あり)。

 

108  自分と他人と別に考えて、人を憎み、仲のよい振りをするのは、慈悲の心が少ないからです。一切をすべて慈悲の心で包み込むならば、人と衝突する事などありません。

 

109  少し知っている事は、知っている振りをするものです。初心者ですね。よく知っている事は、その、知っている振りは見えず、奥床しいものです。

 

110  権之丞殿へ話した事ですが、今時の若い者は女の様になりたがるようです。調子を合わせる者、人愛のある者、物を壊さない人、柔らかな人、というような者をよい人と持て囃す時代になったので、攻める手は伸びず、突っ切った事ができません。第一に、自分の事を護る考えが強いので、一大事だとのみ思い、心が縮まるものと見えます。あなた(権之丞)も、自分の得た知行ではなく、親が苦労して取り立てられてのものを、養子に来て、崩してはいけないと大事に思っているのでしょうが、それは、世の中一般のあり様です。自分らの考えは違います。

 

奉公する時分には、自分の身上の事は何とも思いませんでした。元から主人のものなので、大事がり、惜しむべきものではないものなのです。自分らはが世にある間に、奉公の上で浪人、切腹して見せるならば、本望至極です。奉公人の最後は、この二箇条に尽きます。その中での、きたな崩れは無念の事です。気後れ、考え違い、私欲、人の害になる事などは、あってはならない事です。それ以外でならば、崩すのを本望と思うべきです。こう考えが落ち着くと、そのまま、攻める手は伸び、働きとなり、勢いが際立ちます。

 

111  奉公の志が出来ないのは自慢があるからです。自分の事をよしとして、贔屓で理を付け、考えが悪固まりし、一家を構えてているからです。嘆かわしい事です。分別、芸能、大身、富貴、器量、発明、その何かの取柄に自慢して、自分はそれで何でも済ませられると思うので、心が暗く、人に尋ねる事もせず、一生を何にもならない事をして終わるのです。

 

慢心というのは、本当によくあることで、ある人(−何某)は、御家中の一番の愚か者ですが、その愚かさを自慢して、「自分は愚かなので、身の程に差支えがない。」と言ったと言う事です。

 

奉公の志は、他でもありません。あるべき事を思い、自慢を捨て、自分の非を知り、どうすればよくなるのかを追い求めて、一生成就せず、探し求めて死ぬ事です。自分の非を知り、探求しするのが、それが取りも直さず、道というものです。

 

112  どちらかに話などに行く時は、予め、向こうに伝えてから行くのがよいです。どういう、その場の用事があるかも知らずに、その家の主人の気掛かり事がある時に行くのでは、興醒めになります。大体は、呼ばれないならば行かないのに越した事はありません。心からの友というのは稀です。呼ばれた時は、その心持が要ります。稀に会うという事ならではの事があるのです。遊びの集まりでは、失敗もあるものです。また、問い尋ねて来た人に対して、たとえ、何か手間だとしても、挨拶なしで居るべきではありません。

 

113  生駒隠岐守殿の家老、前野助左衛門の悪行を、生駒将監が公儀に訴え出て、糾明があり、助左衛門は成敗となり、生駒殿は領地を召し上げられ、一万石を下される事となりました。その聞書文書を読んでみたら、将監は、忠義ではありますが、主の家を崩したのです。訴えなければ、2、3年でも持ちこたえていたと思います。その間に、何か変事があったならば、それを支え防ぐ事も出来ただろうと思います。また、助左衛門を立て置いたままではならないと思うならば、諸事は他の家老に言い置き、真っ向から討ち果たすべき事です。そうすれば、家の疵にはならないはずです。こうした事で、牛の角を直そうとして、牛を殺すという事になるものです。

 

海音和尚が言うには、「先年、普周に尋ね聞いたのですが、御意見に付き僉議の時、一人だけ席を外されたのはどういう訳があったのですかと聞いたら、御意見するにはその仕方と言うものがあります。皆があれこれ言うなどというのは、悪事を看板を付けて世間に出すようなものです。偉い人は我儘に育てられ、曲のあるのに決まっています。大抵の曲ならば、国を失うほどの事はありません。多くは、し直すと言って、騒ぎになる時、世間に漏れ聞こえ、国を失うことがあります。先年の僉議の件はなしになりましたが、御国は少しも別条なしと言われた」との事です。

 

おおよそ、諫言というのは、佞臣が自分の手柄にする為か、または、後見役などが居て、する事です。忠義の諫言と言うのは、よくご理解頂ける筋から、秘かに申し上げるものです。もし、ご理解されない場合は、増々隠して、自分は増々御味方して、御名の立たない様にするものです。多くは、腕の見せ所とかして、ご理解が得られない時は、後ろを向いてしまう者が多いと思います。騒ぎ立てるのは、不忠の極みです。

 

また、この御家は根本が不思議の成り立ちによるからなのか、悪いように見えても、自然とよい様になってしまうのです、との事です。

 

114  よい事でも、それが過ぎると悪くなります。談義、説法、教訓なども、言い過ぎては害になる、との事。

 

115  心に不正のあるへつらう侫人で、気力が強く、邪な知恵のある者は、主人を騙し、自分の立身の事のみをするのです。主人の気に入るやり方を覚えた者は、少々のことでは、その邪な所が見えないものです。よくよく見えにくいものなので、権現様を弥四郎は騙し抜きました。こうした者は、多くは、新参の成り上がりの者にあるものです。譜代の大身の者では稀にあります。

 

116  前の神右衛門が言っていた事ですが、娘の子を育てるのは止めた方がよい。名字に傷を付け、親に恥をかかせる事がある。初めての子は別として、その他は捨てるべきだ、との事です。

 

117  恵方和尚の言われた事ですが、安芸殿が物語された話で、武辺は気違いにならなければ出来ない事と言われたそうです。

 

自分たちの覚悟と同じで不思議に思い、その後、増々、気違いになるのに決めたということです。

 

118  前の數馬が言った事ですが、茶の湯の本意は、六根を清くする為です。目に掛物、生花を見て、鼻に香を嗅ぎ、耳に湯の音を聞き、口に茶を味わい、手足の居住まいを正し、五根が清浄な時、意は、自ずから清浄になります。自分は、四六時中、いつも、茶の湯の心を離れず、それは、慰み事では、まったく、ありません。

 

また、その道具は、それぞれの身の丈相応にするものです。梅一字の詩に、「前村深雪裏 昨夜数枝開」とあったのを、この「数枝」が富貴になっているとして、「一枝」と直した、との事です。この「一枝」がわび好きなのです、と言ったそうです。

 

119  恩を受けた人、懇意の人、味方の人に対しては、たとえ悪事があっても、こっそり意見して、世間には、よい様に言って、悪名を防ぎ、褒めて、無二の味方、一騎当千になり、内々に、よく聞いてもらえるように意見すれば、その疵も治り、よい人になります。

 

褒め立てて行けば、それを聞いている人の心も変わり、自然と、悪い事も言われなくなるものです。すべて、慈悲の門に居て、よくするのだという念願なのです、との事。

 

120  ある人の言う話ですが、「意地は内あるのと、外にあるのと、二つあります。外にも内にもないのは役に立たないものです。たとえば、刀の刀身のように、切れ物を研ぎ上げて、鞘に納めて置き、何かの時には、抜いて、眉毛あたりに見て、拭ってから、また納めるのがよいです。外にばかりあって、白刃を、不断に振り回す者には、人は寄り付かず、一味する人はありません。内にばかり納めて置いては、錆びも付き、刃も鈍り、人が何かと思ってしまうものです、との事。

 

121  小利口などでは、物事は片付かないものです。大きな観点が必要です。是非の判断は、いい加減にはするべきではありません。また、あれこれ、思い迷ってもだめです。切れるところを早く据えて、突っ切って埒を明かすのでなければ、武士ではありませ、との事。

 

122  自分が若い時に、一鼎が言った事ですが、「あなたは、末頼もしい器量です。自分が死んだ後は、御家を、一重に、お頼みします。大変ですが、この御国を背負って行って上げて下さい。」と涙を流し、言い聞かされました。

 

その時、何かふと胸に応え、その一言が自分の荷物になり、今も忘れられません。そうした言葉は初めて聞いたのです。今時は流行らない事ですね。人に教訓するのも、身持ち、心持ち、嗜みよく、奉公して下さいというのが一番の事になっています。これは、自分の身の心配というだけです。随分、行き違いに、外れています。こうした一言は、今はもう、言う人はないでしょう。嘆かわしい事です、との事。

 

123  思う所や遺恨が出来て、公事裁判沙汰を起こす人は、扱い方によっては、何事もなく済むものです。一本橋で奴さんが出会い、互いに避けず、討ち果たすなどの事になった所へ、大根売りが間に入り、天秤棒の先に双方を取り付かせ、向きを変えて、通したという様なものです。やり様は、いくつもあります。それも主君への奉公です。大事の御家中の事ですから、めったに、死なせたり、不和にしたりは、してはいけない事です。

 

先年、京都で、江島正兵衛を、源蔵が酒に任せて意見しました。それが源蔵の酒癖です。翌朝、正兵衛が大小を差して、源蔵の長屋へ押し掛けた所を、木村武右衛門が聞き付けて、宥めすかして、長屋へ連れ帰ったということで、武右衛門がこっちの(山本常朝の)長屋へ来て、「どうしましょうか。」と言っている時に、源蔵が来て、「正兵衛は来ていませんか。先ほど、自分の方に、事々しくして、押しかけて来たそうですが、気の利かない家来どもは自分に知らせず、それで、今、聞き付けて、ここに来ました。」と言って、正兵衛の小屋へ行こうとするのを差し止めて、「まずは、一旦、帰って下さい。自分が、この話は引き受けますから、正兵衛の考えを聞いて、それでお知らせします。」などと言い聞かせて、帰しました。

 

そうして、正兵衛を呼び、聞いてみれば、「人の居る中で、誤りを数え立て、意見をするのは、意見とは思わず、何か思う所があって恥をかかせて来たものと思います。その思う所を、直に聞こうと、押し掛けて行ったのです。」そう言いました。それで、自分が言ったのですが、「分かりました。しかしながら、源蔵は遺恨があるはずはありません。意見が酒癖なのです。永山六郎は刀を抜くのが酒癖です。癖はいろいろとあるもので、酒の上で言った事を、実の事と取りなして、大事な御家来二人を討ち果たし、主人に損をさせては、どこに忠節があるものですか。あなたも、御重恩の人なのですから、どうか、御恩に報いる事をこそ考えるべきと思います。まったく、恥になる事ではありません。源蔵の気持ちは、自分が聞いてきて、そちらに伝えます。」そう言って、帰し、源蔵に、「これこれで。」と言うと、「先の夜に言った事は、まったく覚えていません。もとより、遺恨など少しもありません。」と、そう言うので、「では、正兵衛にその事を伝えて、上の者に向い、事々しく押し掛けて行ったのは不届きな所ですが、年も若いし、気の付かないところもあるでしょう。今後は気を付ける様にと言い聞かせましょう。」そう言って、帰ってから、正兵衛に言い聞かせ、それで何事もなくなりました。

 

その上で、正兵衛が納戸役を断る事になって、自分は、それを何度も止めていた所、密に、北島甚左衛門に頼んで、御国元へ、その断りを言い伝えたという事を、武右衛門から伝え聞いたので、武右衛門から言わせて、甚左衛門の手を差し止め、正兵衛へその様に言い伝えたところ、「いずれにしても、仲よくは出来ないので、代わります。」と言ったのです。

 

それで、「仲よくなる事は、自分たちが請合います。まずは、了解してみて下さい。途中での交代となると、源蔵と酒の事で遺恨が出来て止めたのだとの話になれば、そちらも酒は飲みますから、奉公の障りになり、源蔵の為にもならないのです。暫く、その時を待ってからにして下さい。」そう言い宥めて、折々に、「源蔵と無二の中になりなさい。」と言うと、「自分はそう思っても、源蔵の気持ちは解けないでしょう。」と言うのでした。

 

「その解かし様を教えましょう。相手の事には構わず、自分の気持ちの上だけでも、本当に痛み入った事で、よく考えてみれば、自分に誤りがあり、特に、上の人に無礼に押し掛け、不調法で、こうなったからは、その役の間は粉骨砕身で仕事をしようと、そう思うならば、その気持ちは、すぐに相手に感じられ伝わり、そのまま仲良くなります。あなたも酒癖があり、自分の非を知り、禁酒してみたらどうですか。」などと、折に触れ言っていたところ、ふと気が付いて、禁酒になりました。その後、正兵衛の気持ちを源蔵に話したところ、「それはそれは、感心しましたし、こちらも痛み入り、恥ずかしく、有難く思いますし、そうならば、自分が役に居る間は代える事はありません。」と、そうして無二の仲になり、源蔵が役を代わる事になった時に、源蔵から言わせて、正兵衛も代わりました。

 

やり方によって、こんな風になるものです。そして、また、その時々で、酒狂とか、わざとの言葉とかでも、耳に立つ事を言う人が居た時は、それなりの返答をしておけばよいのです。愚痴話で、それだけで、もう、気が塞がり、心が騒いで、即座の一言が出ず、これではもう仕様がないと、討ち果たしたりする事は、馬鹿げた死に様であり、馬鹿者と言い掛けられたら、たわけ者と返答すれば済む事です。正兵衛も、その場の時に、御意見は有難いですが、それは後で、二人の時お聞きします。人がいる中では恥をかかせている様に聞こえます。また、人の事を言い論うならば、御自分もある事でしょう。とかくに、酒の上での理屈は間違うものです。正気の時に聞いて、嗜む様にします。まずは、お酒を飲みましょうなどと、軽く取り扱えば、恥にもならず、腹も立たずで、それでも、なお、理不尽に言い募るならば、それはそれで、それなりの返答をして済む事です。また、こういう場合にも、少し、事情があって、普段から、しっかりとした所のある者には、酒狂人も、めったに言い掛けて来ないものです。

 

先年、御城で、ある人(−何某)が、ある人(−何某)へ、冗談で、「磔道具だ」と言ったのを憤り、討ち果たすべしとした所を、五郎左衛門と成富蔵人が泊り番に居て、聞き付け、その事を引受て、ある人(−何某)に夜中に、わざと出仕させ、断りを言わせて、それで済みました。これも、その場で、そっちこそ火炙り道具だとか言い返せば、何もないのです。始終黙っているのは腰抜けです。言葉の働き、当座の一言、心掛けて置くべき事です、との事。

 

124  源蔵が、その御問い質しの事を承り、ある人(−何某)の所へ行き、人払いを頼んでから言ったのですが、「何を御問い質しになるのでしょうか。幸いに、こちらに伺い来て、お聞きする所をすっかり聞かなくては、その御問い質しに参る事は出来ません。無遠慮千万ですが、自分の心から、黙っていられなくて、お聞き致します。教えて頂きたいのです。」と、他にし様なく問い掛けられたので、「御屋形道具を、自分で勝手に取扱い、時々は、御門外に持ち出し、野山の遊びに行き、また、下女を召し抱え、大酒を飲んだりする事を申し上げた。」と言ったところ、「それで、落ち着きました。何事もない事です。数年の留守居役で、好きな道具は事欠きません。そちらが当方に御越の時も、ご覧の通りだったと思います。留守居としての寄合で、30、40人の客で不足の物があれば、それは御道具をお借りする事になります。それはお役目の事です。また、御役人方が、高貴の筋の方への勤めに忙しく、他所での留守居して、銀子参会に、茶屋芝居に不参では、御用が勤まりません。下女を置いた事は、数年勤めている者は、足軽や下男まで、自分で召し使う事にしているのは、御存知の通りです。大酒を飲む事は、今に始まった事ではありませんが、酒狂した事は一度もありません。そういう訳で、すべて、御咎めになるような事はありません。不慣れな徒歩目付の御役で、見慣れない事で、御法に背いている様に思われて言上されたのは、そういう事もあると思います。留守居役と言うのは、この様にしなければ勤められないものなのです。安心しました。」そう言って帰りました。

 

とはいえ、今の時分、御赦しを得て、居付きで勤める訳は何かあるのです。物は言い様で、理が分かりやすく聞こえます。何かのその場で聞き取るという事もある、との事です。

 

125  ある和尚に、耳に口を近づ付けて、「追院の時にも言った様に、暫くは、行方も分からない様にされて、それには及ばずと御指図がある時に、佐賀へ出る様にすれば、今よりは光が射すと思います。今、佐賀に出ては、人が受け入れず、もしも、上からの御沙汰でもあれば、何事も捨ててしまう事になります。和尚が追院の後、高傳寺に居る事が御耳に届いており、内意ですが、二度も佐賀へ出られたのは、してはいけない事です。よくよく考えて下さい。」そう言い捨てて、別れました。自分では、見えない所があるものです、との由。

 

126  小小姓仲間が5、6人、同船して、江戸へ上った時、夜中に、その船が廻船に突き当たってしまいました。その船の舵取り舟子5、6人が飛び乗って来て、船作法に從い、碇を取り上げると集まり騒ぐのを聞いて、走り立って、作法と言うのは、その方らの事で、武士の乗る船の道具を取らせはしない、一人一人切って海に捨ててしまえと勢いを鳴らしすると、すべて、逃げ帰ってしまいました。こうした時、武士の仕事を見せる振りが要るものです。軽い事は、勢いを鳴らし回りして済ますのがよいです。軽い事に、重く対応して、事が延びて、その末に、事が終わらず、不出来になる事があるものです、との事。

 

127  ある人(−何某)が、帳納めの時、銀子不足で、寄親に報告し、「金銀の事で腹を切らせては、申し訳ない事です。寄親という事で、銀子を出して貰えませんか。」と言うので、それもそうだとなり、協力し、事は済みました。悪事も、事がばれないやり方があるものです、との由。

 

128  将監がいつも言っていた事ですが、「諫」という詞は、既に「私」です。「諫」などというものはありません、と言っていました。その一生に、御意見をされたという事を知る人はいません。また、一度も、理詰めでものを申し上げたという事もありません。秘かに、御納得が得られる様に申し上げていた、ということです。前の前の數馬も、最後まで、御用を言って出仕し、御意見を申し上げたという事はありません。何かの序でに、こっそり申し上げるので、よく了解を頂けたのです。他には、その事を知る人はないので、御誤りも、知られる事なく終わります。理詰めにて申し上げるのは、すべて、自分の忠節を立て、主君の悪名を顕すことになるので、大不忠です。ご了解頂けない時は、ますますの御悪名になり、申し上げないのにも劣ります。自分だけが忠節な者と人に知られるというだけの事です。秘かに申し上げ、ご了解頂けない時は、力及ばずと思い切り、ますます秘密にして、色々工夫し、また、申し上げすれば、一度は御了解されるものです。ご了解されず、御悪事が猶もある時は、ますます御味方となり、何とか、世間に知られない様にとするべきです、との事。

 

129  上下万民の心入れを直し、不忠不義の者が一人もなく、皆がすべて、御用に立つようにさせ、皆が安心して居られる様にするのだとの大誓願を起こす事です。伊尹の志の如く、です。大忠節、大慈悲です。

 

人の癖を直すのは、自分の癖を直すよりも難しいものです。まず、一人も偽りの仲をせず、近くの人は素より、知り合いでない人からも、思い、慕われるようにする事が基です。自分でも覚えがあります。話の合う人から言われる意見は入れ易いのです。

 

そして、意見の仕方としては、臨機応変に、人の性格次第で、その人の好きな事などから入って言うなど、様々なやり方があるのです。非があるという事で言うのでは、受け入れられないでしょう。自分はよい人で、人は悪い者の様に言っては、喜ぶはずはありません。まず、自分の悪い点を言って、「どうしても直せないので、願掛けまでしています。あなたとは親しくさせて頂いているので、ここだけで、意見をして頂きたいものです。」などと言えば、「それは自分もそういう事があります。」と言う時に、「それなら、二人で一緒に直しましょう。」と言って、相手の言う事をよく理解して聞けば、やがて直るものです。

 

一念発起すれば過去久遠の劫罪を滅するというのも、こういう事です。どんな悪人でも、直さずにはいないと思う事です。了見の不足な者ほど、可哀想なものです。色々工夫して直せば、直らないという事はありません。できないというのは、する事が足りないからなのです。ある人(−何某)の子を、人は嫌いして、それはどうともならない生れつきですが、その祖父以来、頼むと言われた一言があり、今も捨てずに居て、毎朝、仏神にお祈りしています。真の事は天地に通じるものなのですから、それは通じ、分かる事でしょう。これは自分の一生の願いです。人の嫌う悪人程、懇意にして来ました。誰も、人が受け入れない人たちですが、自分一人は贔屓にして、その人に会う毎に、「さても、一癖ある秘蔵の者どもで、まずは、御為です。」と褒め立てていれば、人の心も思い直します。人には、少しずつの取柄があるものです。悪い所があっても、取柄の所を持てば、役に立つのです。

 

普段、そういう人たちと、お互いに話していたことは、「殿は、近年中に御他界と思います。その時は、私は追腹の覚悟で髪を剃り、五、六十人の御側の人たちの目を覚まさせます。普段、お叱りにばかり会い、大事の時は身を捨てて、損な事ですが、それこそが本当の御役たる者です。日陰奉公の小身の者が、歴々の方々を追い越して、御外聞を取るという、それだけのことです。とにかく、励み、勤める事です。」そう話しをしていました。「新参者が大きい顔で、頭ごなしに、乱暴なことを言う時には、討ち果たすまで。」と言う者もいましたが、「いやいや、それは、取り違えで、あれは殿の尻拭き役です。いずれ、潰れる奴です。それが目に入りませんか。4、5年の内に、殿の御外聞を取り申し上げる程の大事の御役たる者が、今、乞食者と棒の打ち合いなどしますか。」と言い、差し止めました。

 

殿の御為に、仲間が皆親しくし、人がよくなる様に、その為になる様にとの大誓願を起こしています。有難い事に、自分が言う事は、誰もがよく聞いてくれます。また、御為と思い、位のある人から、足軽の下の者まで、強くしっかりした者を数十人、親しく馴染み、自分の一言で、即座に、御国の為に一命を捨てる事を構わないまでに、して置いてあります。

 

また、人々の心入れが、少しでも直るような時は、それを育て、随分と褒めて、嬉しがらせ、一層よくなる様にして下さいと言って置けば、さらに進み、直るものです、との事。

 

130  誰でも、人は、短気故に、大事がならず、失敗することがあります。いつかは、いつかは、とさえ思っていれば、それが、早くできるものです。その時が、いきなり来るのです。今の、15年先を考えてみてください。それは、世の中は変わっているでしょう。未来記などといっても、そこに、あまり変わった事はないでしょう。今時の御用に立つ人々も、15年過ぎれば、一人もいません。今の若い者が出て来ても、半分もいないでしょう。段々、品が下り、金が足りなくなれば銀が宝となり、銀が足りなくなれば銅が宝となる様なものです。時相応に、人の器量も下がって行く事ですから、少し精を出したら、ちょうどそれで御用に立つのです。15年は夢の間です。自分の身を養生しさえして居れば、やがて、本意の通り、御用に立つのです。名人が多い時ならば、骨折りな事です。世の中、一般に、下り行く時代ですから、そこで、人に飛び抜けるのは簡単な事です。

 

131  一生懸命に人の癖を直すなら、直るはずです。じがばち(似我蜂)の様なものです。養子などでも、自分に似る様に、似る様にと言い、教えれば、似るのです、との事。

 

132  諂う侫人が来る勤め先とか、上の方で悪事がある時、おそらく、関係ない者まで、やる気がなくなり、欠伸の出るような気分になり、奉公に務める気にならず、人の事や、噂さ話ばかりする様になります。こうしたときは、まず、口を慎むことです。ここに、目を配り、気を付けなければならない事があります。その様にした時には、殿はどうするでしょう。こうした、仕事のし難い時こそ、一層、精を出し、よくして差し上げるものです。古からの家は、侫人が何人出て来ても、上の方で悪事が、どれ程あっても、十年かそこいらで崩れるものではありません。二十年も続けば、危うい事もあるでしょう。ここを理解して、そうした時には、十年以内に、直して、御家を抱き留めて差し上げるものと考えるべき事です。

 

自分の身には関わりのない者までも、早く、気持が草臥れてよろしくないと、ひそひそ話をして回り、御家中が籠のようになり、底が抜けてしまうので、世間にも漏れ聞こえ、十年を俟たずに崩れもするのです。悪事は、内輪から、多くは、言い出し、崩すものです。凡そ、人の上の悪事を憎まない方がよいのです。要らない所に敵を持ち、害になる事があります。悪人も、自分の方を当てにする様にして、折り合いよくして上げるものです、との事。

 

133  気力さえ強ければ、言葉も、身の行いも、道に叶う様になるものです。それを、側から褒められます。けれども、心に問う時、一言も出ないものです。「心の問わば」の下の句は、いろいろな道で、その極意ともいうべきものです。よい目付け役なのです、との事。

 

134  その道の巧者の話を聞く時、たとえ自分が知っている事でも、深く、その言う事を信じて聴くべきです。同じ事を、10回も20回も聞く時、ふと胸に響く時節があります。その時、その話は格別の事になります。老の繰り言というのも、巧者だからこその事です。

 

135  場合によっては、主君のご命令も、人が呆れるのも構わず。だだ捏ねして、踏み破ってしまわなければならない事があります。つまりは、御為だけという事の心入れが出来て居れば、分かる事なのです。

 

ある人(−何某)ですが、御前様付きでいて、その御死去の時、上から止められているという事で、髪を剃らなかったのですが、表での役に付けられていた人さえ剃髪していて、人の気を削ぐ有様で、その他の付き役の方々が剃髪しました。

 

こうした時などは、御意でも指図でも聞き入れずに居て、上の方も御家老衆も御存知ない事です。伝光院様付きの男女6人が追腹され、昔には、八並武蔵は覚悟しました。上の方の御外聞になりますから、承知致しかねますと言い切ったはずです、との事。

 

136  山の奥に居て、静かに生きていて、たまに来る人に、世間の事を聞くと、殿様と御公儀とはうまく行っており、御慈悲の御指示の事ばかりを聞き、御家は目出度く、日本で並ぶものはないと思います。今後、よろしくない事があるかも知れませんが、自然とよい方向に行くもので、それは不思議の御家で、御先祖様方の御加護があってのやり方になっているのだろうと思っています、との由。

 

137  ある浪人の方が言っていた事ですが、「他国に出るのを赦されず、浪人者に飯料も下されないのは御無理な事で、他国にでも出られれば、世を過ごす術も何かあります。そのままではその内に、悪事が起きてしまいます。」と言うので、「他国行きを赦されないのが有難い事なのです。浪人させるのは御意見なのです。大切に思われるので、他国へは出されないのです。この様な、主従の契りの深い御家は、他にはないのです。懲らしめて、それで、その内に、出仕を赦されるのです。悪事になるというのは、数年後のその後の事です。それぞれが、苦しくて、上を恨んで言う拵え毎と見えます。せっかくの御罰も、その受取が危うくなります。」と言ったところ、それに、「今、佐賀の士は、朝は昼まで休み、その役目の於いては仮病を言い、自堕落千万のあり様です。」と言うので、「それが御家の強みです。利口にして、上手に立ち回る者は、他所では大身にもなり、出世するのに、御褒美さえもないなどと思い、二心が出て来るようになります。御譜代の代々の侍であれば、そもそも、二心など起こさず、誰が教えるでなくても、ここに生まれここに死ぬと落ち着き、自分の住み家と思えばこそ、悠々と朝寝もするのです。これ程の強みが他のどこにあるでしょうか。」と言うと、また、「御家の槍先云々と、武の国というのは、自分がそう言っているだけで、他所では知らない事ではないですか。書物にも書いてありません。」と言うので、「御槍先の事は、記録に見えています。島原での戦死が四百にも及び、鎌倉崩れよりに優っていると思います。これを武の国と言わない事は出来ません。他に知る人としては、太閤様、権現様などからの御褒美の事もあり、それは、最近の事で、見る目がないなどと言う事の出来ない、よい証人です。」そう答えました。長く浪人する者は、退屈して、恨む気持ちになり、悪口を言います。それだから、運も尽きて、帰参もできないのです、との事。

 

138  捨てて、捨て尽くした者でなければ役に立たず、丈夫に窮屈なだけでは、使い様がないものです、との事。

 

139  愚見集に書いた様に、奉公の極めは、家老の座に着き、御意見を申し上げる事にあります。この眼の付け所さえあれば、他の事、捨て事などは許します。とにかく、人がいないものです。こうした事に眼の付けられる人は一人もいません。たまたまに、私欲から立身を望み、追従する者はいますが、それは小慾で、家老までの望みは持ち得ないのです。少し、魂のある者は、利欲を離れる事と思い、踏み込んで奉公をせず、徒然草、和歌の選集などを楽しみます。兼好、西行などは腰抜け、役立たず、です。武士の業ができないので、抜け道をこしらえた者です。今にも出家しそうな、ごく老いた方は、それに学んでもよいでしょう。侍たる者は、名利の真っただ中、地獄の中へも駆け入りさえもして、主君の御用にたつべきです、との事。

 

140  自分は親が70歳の子で、塩売りの者にでも呉れてやろうと言っていたところ、多久圖書殿が、「神右衛門は隠れた奉公をすると、勝茂公がいつも言っておられたので、たぶん、その子孫に芽の出る者が出て、御用に立つはず。」と、それを止め、松龜と名を付け、枝吉利左衛門に袴着をさせ、9歳から光茂公の小僧として召し使われ、不携という名でした。

 

綱茂様からも御雇いを受け、炬燵の上で、わるさをして背負ったりして、遊び、その当時は、どうにもならないわるさ者と思われていました。13歳の時、髪を立てる様にと、光茂さまが仰せられ、それから1年間、引き下がり、翌年5月1日に出て、市十と名を改め、御小姓役を勤めました。そうして居たところ、倉永利兵衛の引き入れで元服し、御書物役手伝を仰せ付けられ、その時の取り成しの中で、権之丞は歌も読みますので、若殿様から、時々召し出されていますと申し上げて、それが差支えになり、しばらく御用がなくなりました。利兵衛の引きは、自分の代わりに仕立て上げようとの事だったのだと、後で気が付きました。

 

その後、江戸への御共もなく、ぶらぶらしていたところ、変に、体調が落ち、その頃、松瀬に、湛然和尚が居られました。親が頼みますと言って置いてくれた事もあり、懇意にしていたので、時々、行っていて、出家しようかとも思っていました。その様子を五郎左衛門が見て取り、前の新右衛門の加増地を分け与えたらよいと、數馬に内々の話をされたと聞いています。弓矢八幡に懸けて、受け取るまいと思っていたのですが、請役所に呼び出され、新たに御切米の仰せを頂きました(他に両人あり)。それならば、小身者と、人から見くだされるのは面白くありません。どうしたら、快く奉公できるかと、昼夜、工夫をしました。

 

その頃、毎夜、五郎左衛門のの話を聞きに行っていたのですが、古老の話として、「名利を思うのは奉公人ではなく、名利を思わないのも奉公人ではない。」というのがあると言っていました。この辺りの事を工夫してみるようにと言うので、一層、工夫に励み、ふと気が付いたのです。奉公の最高の忠節は、主に諫言して、国家を治める事です。下の方でうろうろして居ては役に立ちません。そうならば、家老になるのが奉公の極みです。自分の名利を思うのではなく、奉公の名利を思うのだと、深く胸に落ち、では、一度は家老になってみようと覚悟を決めました。ただし、早出世は役に立たないものと言うので、50歳位から出来上がらせて行こうと、心に呑み込み、四六時中、工夫、修業に骨を折り、紅涙まではなくても、黄色のような涙が出る程までにはなりました。その工夫、修行は、つまり、角蔵流です。

 

そうしていた所、御主人に遅れ、それまで出世していた人は、気後れし、御外聞を失いで、自分がこんな風になってしまいました。本意を遂げる事にはなりませんでしたが、その中での本意を遂げて来た事は、その次第をここに話して来た通りです。思い立てば、本望を遂げるものです。また、御用に立っていた者が罰を受けるのは、自慢からの天罰なのです。その事は愚見集に書いた通りです。本当に、こうした身の上話は、高慢の様に思いますが、奥底まで何もなく、不思議な因縁で、山住まいでの閑談で、有体に、そのまま、お話しました、との事。

 

翌朝、

 

手ごなしの粥に極めよ冬籠り 期粋    [注記:俳句解釈]お手製の粥に冬籠りを感じます。

 

朝顔の枯蔓もゆる庵かな   古丸    [注記:俳句解釈]朝顔の枯れ蔓を焚いてこの庵の暖を取ります。

 

 

*4 何某 →ある人(−何某) 実名のところを伏せる表記(*165、*166「何和尚 →ある和尚」)

*8 前の神右衛門 山本常朝の父、山本神右衛門重澄

*9 成瀬小吉 →成瀬 正成は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。通称は小吉。

*10 前の數馬 中野利明(前の前の數馬 中野政利)

*12 求馬 →相良求馬、吉右衛門 →原田吉右衛門

*12 信方 →板垣信方(武田信玄の重臣)

*12 喬朝 →秋山喬朝(5代将軍・徳川綱吉、6代将軍・家宣の2代にわたって仕え、若年寄、老中を歴任)

*23 勝茂公 鍋島勝茂

*26 直茂公 鍋島直茂

*34 照庵 原田吉右衛門

*34 素方 中島善太夫

*47 権之丞殿 山本常朝の養子

*48 善忠様 山本常朝の父、山本神右衛門(法名 孝白善忠)

*52 義貞 新田義貞

*59 加賀守殿 肥前小城藩主 鍋島直能

*61 宗祇 室町時代の連歌師

*67 丹州様 鍋島光茂

*72 左仲 連歌宗匠

*72 正珍 連歌師

*76 若殿様 鍋島光茂

*78  一鼎 石田一鼎(山本常朝の師)

*80  日峯様 鍋島直茂

*80  前神右衛門 山本神右衛門(山本常朝の父)

*84  権之丞 山本常朝の養子、常俊

*91 五郎左衛門 山本常治(山本常朝の二十歳年長の甥)

*96 春岳 春岳明熙和尚

*101 和尚 →ある和尚(−何和尚)

*113 普周 鍋島種世

*115 権現様 徳川家康

*115 弥四郎 大賀弥四郎

*117 安芸殿 鍋島茂賢

*123 源蔵 牛島源蔵

*123 五郎左衛門 山本常治

*128 将監 中野将監正包

*129 伊尹 夏末期から殷 (商) 初期にかけての伝説的な政治家

*135 八並武蔵 松浦党波多氏の臣

*140 権之丞 山本常朝(市十を改名後の名前)

*140 若殿様 鍋島綱茂

*140 五郎左衛門 山本常朝の甥

*140 期粋 田代陣基の俳号

*140 古丸 山本常朝の俳号

注記 5:加州 加賀の国 

注記 5:上堂 禅寺座敷の上段の間

注記 9:足半 →小さな形のわら草履。大きさが足裏のなかばほどしかない。

注記 10:早打ち 早馬

注記 24:長崎仕組 →長崎赴任の準備

注記 24:夫丸荷付馬 →人夫や荷役馬

注記 28:陣立 →戦の布陣、実戦

注記 36:有相 →(仏教用語)相対、差別においてとらえられるもの

注記 48:横座の槍 →不慮の出来事に際しての対応の事

注記 56:(原文)笑止 →佐賀地方での「気の毒」などの意味がある

注記 57:弁財御下り →弁財天像を彫刻し、持ち帰った話

注記 57:袋酒盛 →ある時の酒盛りの話

注記 57:二法師江戸頭人断り →不詳

注記 64:帰り新参 →一度勤めを去った者が、再び同じ所に勤めること。

注記 64:写し紅粉 →紅粉(顔写りのための用途の)

注記 68:有馬の軍 島津・有馬と龍造寺・鍋島との戦さ

注記 68:式台 玄関先の板敷の場

注記 68:乗口 一番乗りの場所

注記 69:笄 →こうがい(髪の道具)

注記 71:二法師

注記 75:剛億 →剛毅と臆病

注記 78:出家の話 出家がするような面白すぎる話

注記 93:唐人町出橋 今の佐賀県唐人町

注記 96:「そこを引くなと言うままに、そこに二人張る」 →居る引かずにと心に決めると、二人力になる

注記 122:銀子参会 →会費制の集まり

注記 122:居付き →役宅に住み込み

注記 125:追院 →寺を追われる事

注記 126:小小姓 →元服前の小姓

注記 126:廻船 →定期航路船

注記 131:じがばち(似我蜂)の様なもの

注記 133:「心の問わば」 心の問わばいかが答えん (後選和歌集 恋歌 読人しらず)

注記 135:御前様 奥方

注記 137:鎌倉崩れ 北条高時の最後

注記 139:愚見集 山本常朝が養子の山本吉三郎(常俊・権之丞)に与えた、教訓書。

注記 140:角蔵流 →前出「2」参照

 
 岩波文庫「葉隠」上巻

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