昔の「義により死ぬ」ということは、情の働きにより、志が、そうするように強く求めるからなのです。今の時節では、これを禁じて、節操を立てることをよしとしなくなりました。そもそも、義士こそが国の根幹をなすものなのです。今後、このような時代となり、義士を失うことになれば、家の嗣子たる君主は、依るべきものがなくなってしまうことになります。
愁いや問題の多い時代に、いくばくかでも、君主を助けるのは、思いを三世に渡らせる義士なのであると思います。それが、禁止のことができて、殉死が行われなくなって、随分経ちました。
禁止に從えば、志は満たされず、禁止に從わなければ、それは害だということになってしまいます。その両端の間の一つの道を行きながら、そうした自分を、そのままに、着るものも住むところもなく、生きていないような、とはいえ、いないわけではない、影法師のように、山に分け入り、雲の中をさまよい、その千丈の雲を突き抜けて来てみれば、松林の中、寒さに夢も覚めるような仮住まいの庵があり、そこに過ごしている人を見れば、それが、常朝居士なのでした。
常朝居士は、その道を先に行かれた人であり、本当に、敬い申し上げる方なのです。
岩の崖を伝い登り、笹の茂る中を分け入り、こうして、訪ねて来たのは、3月、弥生の初め頃でした。
しら雲や只今花に尋ね合ひ
(*雲の中を通り抜けて、今、目の前に、桜が咲いているのです。)
訪れる人はなく、浮世の世間を離れて、遠い唐土の吉野山にでも来たのでしょうか。発句など、作りました。辺りに行き交うものがあるにしても、その跡だけが残っているばかりです。
世は花かこのごろおもき筧なり
(*花の季節になったのか、筧に落ちる雫も、ようやく重くなって来ました。)
静かな場所で、自分も閑に居られます。体というよりは、心が閑になり、松樹と槿花の気持ちの様も、思い寄せられます。
濡れてほす間に落ちたる椿かな
(*朝露に濡れ、それが日の光で乾く間に、椿の花が咲き、落ちました。)
呵々。小気味よいことです。
松盟軒主
(*田代陣基)
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