初出日:

2021.8.11(水)

最終稿:

2021.8.11(水)

 

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       日本の文学 伊勢物語 (私補)

 伊勢物語マップ  伊勢物語(本稿現代語訳者 美艇)                         

 

  [11]☆一一八段  

 

 

☆ご案内

 この稿は、底本の「伊勢物語」の125段の本文を、いくつかの段を省き、私的に再構成した「伊勢物語(本稿現代語訳者 美艇)」に対して、その、いくつかの省かれた段の現代語訳(訳者 美艇)です。

 

本稿の「☆~段」は、底本の125段の内の該当段を示しています。

「☆~段」の前に置かれた[A1]~「A..」は、本稿の仲での順を表します。

 伊勢物語 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[A1]☆一二段

 

(本稿から省いた理由)「六段」と類似したストーリーで、和歌も、古今和歌集の有名歌(よみ人しらず)を引き、この段の終わり方も、そっけなく、つまらない。

 

 

昔、男がいました。人の娘を盗み出して、武蔵野の中を連れて行くのでしてが、盗人ではあるので、国の守に、追われ、捕まりそうになりました。そこで、女を草むらの中に置き、逃げたのでした。追い掛けて来た人たちは、「この野に盗人が居る」と、野に火を点けようとしました。女は、悲しくなり、

 

 武蔵野は今日はな焼きそ若草の

  夫も籠れり、我も籠れり

 

(武蔵野を、今日は焼かないで、若草の、若い私たち、夫も、自分も、その中に居るのに。)

 

と詠むのを聞き、女を取り、一緒に連れて逃げて行きました。

 

※美艇言う:この歌の状況に、合わせたストーリーも、少しちぐはぐで、「連れて逃げた」という解決も安易なものです。

 

[A2]☆一八段

 

(本稿から省いた理由)伊勢っぽい。

 

 

昔、少し、風情のあるものに心を懸ける女がいました。男が、親しくして、近くに、いました。女は、歌を詠む人だったので、男の気持ちを試そうとして、菊の花の、色の赤に移ろいだのを折り、それを、男の所に届けました。

 

 紅に匂うはいずら白雪の

  枝もとを々に降るかとも見ゆ

 

(紅に、鮮やかに輝くのはどこなのか、白い雪が枝もしなうほどに積もっているように見えるのに。)

 

男は、その、心を試そうとする意味を知らない振りで詠みました。

 

 紅に匂うが上の白菊は

  折りける人の袖かとも見ゆ

 

(紅に鮮やかに輝く、その上を覆うほどの白菊は、それを折った人の袖の色かと見える。)

 

※美艇言う:歌は悪くないです。こんなやりとりの思い出を、差し挟んで置きたかったのかな。

 

[A3]☆二四段

 

 

(本稿から省いた理由)伊勢っぽい。話が、女の側からの視点で語られている。男には、こうは書けない。

 

 

昔、男が、片田舎に住んでいました。男は、「宮仕えに出る」と言って、別れを惜しみ、出て行ったのですが、そのまま、三年の間、来ることはなくて、待ち侘びていたのですが、とても、心を込めて言ってくる人がいて、「今宵、逢う事にする」と約束していたところ、その昔の男が来たのでした。「この戸を開けて」と、叩くのですが、開けずに、歌だけを詠み、出しました。

 

 あらたまの年のみとせ(三年)を待ち侘びて

  ただ今宵こそ新枕すれ

 

(年が改まるのも三年もの間、待ち侘びていて、ちょうど、今夜にこそ、新枕をする、その日です。)

 

と、言い出して寄越したので、 

 

 あずさ弓真弓つき弓年を経て

  我がせしがごと麗うるわしみせよ

 

(あずさ弓真弓つき弓の、月、年を経て、今は、自分にしたように、大事に愛してあげて。)

 

と言い、帰ろうとしたので、女が、

 

 あずさ弓引けど引かねど昔より

  心は君に寄りにし物を

 

(あずさ弓の、引くも引かないもなくて、昔から、心は、あなたに寄せているのに。)

 

と言ったのですが、男は、帰りました。女は、とても悲しくて、その後を追い駆けたのですが、追付くことが出来ず、清水のある所に、倒れ込みました。そこにあった岩に、指の血で書き付けました。

 

 相思わで離れぬる人を止めかね

  我が身は今ぞ消えはてぬめる

 

(お互いに思い合うでなくて離れて行く人を、止められずに、自分の、この身は、今、消えてしまう。)

 

と書き、そのまま、空しくなりました。

 

※美艇言う:話の終わり方が、女が亡くなり終わるのは、悲し過ぎて、それが、実際にあった事でなくても、男を責める気持ちが、底にあるような感じがあります。

 

[A4]☆三二段

 

 

(本稿から省いた理由)この段の終わり方は不足過ぎで、この歌を入れたかっただけで、物語が思い付かなかったか、考えもしなかったようです。

 

 

昔に、言葉を交わした女に、何年かしてから、

 

 

 

 

 いにしえのしづのおだまき繰り返し

  昔を今になすよしも哉

 

(昔の倭文織(しずおり)の糸を巻くおだまき(苧環)から糸を繰り出す繰り返しで、昔のことを、今、また、始める事はできないかな。)

 

と言ったのですが、何も思わなかったようです。

 

※美艇言う:歌は悪くないです。後年、静御前の「しづやしづ...」で使われました。物語を考えると長くなりそうで、そこまでの才はなかった誰かは、早々に退却となりました。

  

[A5]☆四〇段

 

(本稿から省いた理由)物語の言葉に遊びと、奥行きがない。物語を似せただけのものに見える。原典最後に置かれたの一言のコメントも、この段の作者の筆の余りで、この話の底の浅さを露呈させている。

 

 

昔、若い男が、それなりの女に思いを掛けました。気を回す親が居て、「思いが付く」と、その女を、他所移そうとしていました。とは言え、まだ、そうもしていませんでした。まだ、親掛かりの子で、心の勢いもなくて、そうさせないという程の勢いはありませんでした。女も、身分はなくて、それに抗う力はありませんでした。そうしている間に、思いはつのるばかりでした。そひて、急に、親が、その女を追い出したのでした。男は、血の涙を流すのでしたが、それを止める事は出来ませんでした。女は人に連れられて、出て行きました。男は、泣きながら、詠みました。

 

 

 

 

 出でていなば誰か別れの難からん

  ありしに優る今日は悲しも

 

(自分から出て行くのならば、別れも仕方がないと思うが、人に連れられ、出て行った今の悲しさは、今までの比べ物にならない位、もっと悲しい。)

 

と詠み、気が絶え、倒れました。親は慌てました。ただ、その子の為にと言って、させた事なのに、こんなつもりではなかたっと思っても、本当に、気も絶えたので、どうしてよいか分からず、願を立てるのでした。今日の日の入りの頃に絶え入り、次の日の戌の時(午後八時頃)に、ようやく、息を吹き返しました。

 

※美艇言う:これで、生き返り終わるのも意気地がないと言えますし、別本で、最後に絶え入り、そのまま生き返らない事になるのも、この話の作者の、考えの浅い、不徹底が、この話を、気の抜けたビール、味の飛んだ残り物みたいにしています。

  

[A6]☆四八段

 

(本稿から省いた理由)この歌は、そうすべきだという、年長者のお説教じみている。

 

昔、男がいました。「人を送別の会をしよう」と、人を待つのに、来ないので、

 

 

 

 

 今ぞ知る苦しき物と人待たむ

  里をば離((か)れず問うべかりける

 

(今は、それが苦しいものと知った、だから、人が自分を待ってくれている所には、いつも、行っているべきなのだ。)

※美艇言う:こんなのも、この、物語集の中に入れてもいいかなと、ふと思った、人がいたのでしょう。

 

[A7]☆五四段

 

(本稿から省いた理由)歌が、つまらない。

 

 

昔、男が、つれなくする女に言い遣りました。

 

 行きやらぬ夢路を頼む袂には

  天つ空なる露や置くらん

 

(夢で見る路が、思う様に進めなくて、自分の袂に、心は上の空で、その空の露が置くのだ。)

※美艇言う:この歌を、よい出来と思う読者が一人いたのです。 

 

[A8]☆七三段

 

(本稿から省いた理由)歌は万葉集の湯原王の本歌ありで、何を思ってか、気の迷いで入れたようです。。

 

 

昔、「そこにいる」と聞いてはいても、便りを伝える事もできない女を思うのでした。

 

 目には見て手には取られぬ月の内の

  桂の如き君にぞありける

 

(月の中の桂のように、君は、目には見えても、手に取る事が出来ない。)

※美艇言う:この集を借りて読んで、ついでに、自分の好きなこの歌を入れて、そのまま、その人に、返したのかも知れません。 

 

[A9]☆七四段

 

(本稿から省いた理由)大した歌でなし。

 

 

昔、男が、女を、とても悲しく嘆いて、

 

 岩根踏み重なる山にあらねども

  逢わぬ日多く恋い渡るかな

 

(岩だらけの山ではないのに、行き尋ねる事も出来ず、逢えない日が多く、恋しく思い続けている。)

※美艇言う:逢えないのが、岩だらけの山のせいならば、見込みは全くないでしょう。。 

 

[A10]☆七七段

 

(本稿から省いた理由)話はよく整理され書かれているのに、歌を貶し、からかう様に話をまとめるのは、元の本文、これも、伊勢の手になる段かと、を写しながら、そのままでは置きたくない、さらに他の誰かの手がすべったのでしょう。

 

 

昔、田邑(たむら)の帝という帝がおられました。その時の女御で、たかきこと申される方がおいでになられました。その方が亡くなられて、安祥寺で、その御法要がありました。人々が、捧げものを上げられました。その上げられたものは、千捧げ程にもなるくらい多くありました。何がしかの捧げものを、木の枝に付けて、堂の前に立ててあるので、山さえもが、堂の前に動き出して来たかの様にも見えました。それを、右大将でいらっしゃった藤原常行と申される方が居られて、講の終わる頃に、歌を詠む人たちを召し集めて、今日の事を題にして、春の気持ちの感じられる歌を、作り捧げる様に言われました。右の馬頭でいた老人が、目に見間違えての様に、詠みました。

 

 山のみな移りて今日に逢う事は

  春の別れを弔うとなるべし

 

(山がすべて、今日、ここに移って来て、この日に逢うのは、春との別れを弔い、尋ね来たものなのだ。)

※美艇言う:この段の文は、事の経緯も、様子も、よく伝えているものですが、何か、素直になれない誰かは、こっそりと、書き入れたのでしょう。御法事の悲しみ偲ぶ中で、春の心映えという、一筋縄では行かないお題に、見事に応え切った歌を、他の誰にも追随できるはずはありません。 

 

[A11]☆七八段

 

(本稿から省いた理由)伊勢の文。藤原常行という人の話を書いているのは、前段(77段)と同じ。こちらには、誰かの、余計な一文の挿入はありません。

 

 

昔、たかきこと申される女御が居られました。お亡くなりになり、なな七日(四十九日)の御法要が安祥寺で行われました。右大将の藤原常行という人が居られました。この御法要に出られて、その帰りに、山科の禅師の親王のいらっしゃる、その山科の宮に、滝を落とし、水を走らせなどして、面白く作られている所に参られて、「この年頃は、離れた遠くでお仕えしてはいましたが、近くには、まだ、お仕えすることもしていませんでした。今夜は、ここに、お側にお仕えします」と言われました。親王は、喜ばれて、夜の御寝み場所の準備をさせれられました。そうしたところに、この大将は、そこから出て来られて、考えられての事で、「宮仕えの始めに、ただ、何もなくとはいられない。三条の大御幸のあった時に、紀の国の千里の浜にあった、とても面白い石が献上されました。大御幸の後に献上されたので、ある人の曹司の部屋のの前の溝に置き据えたものを、庭の嶋を好まれる方でいらっしゃる。この石を献上しよう」と言われて、頭随身や舎人に、それを取りに遣わされました。やがて、ほどなく、持って来ました。その石は、聞いていたよりは、ずっと、見た目の優れたものでした。「これを、ただ、献上と言うだけでは、つまらないぞ」と、人々に、歌を詠ませられました。右の馬頭でいた人のを、青い苔を刻み、蒔絵の様な具合に、岩に、この歌を付けて、献上されました。

 

 あかねども岩にぞ代ふる色見えぬ

  心を見せむ由のなければ

 

(十分とは思いませんが、この岩に代えさせる、姿形の見えず、見せる方法がないこの心を。)

 

そう、詠んだのでした。

※美艇言う:丁寧に語られるこの話は、それなりに長い一文で、その文筆の業は確かです。歌も、「..見えぬ..見せむ..」と、理詰めとも言える位の、畳みかける勢いが、人を納得させます。前段の歌の様には、この歌に、敢えて文句を言わせる隙も与えていないのです。

 

[A12]☆一一七段

 

(本稿から省いた理由)帝と住吉の神の歌は、私的物語にはそぐわないので。

 

 

昔、帝が住吉に行幸されました。

 

 

 我見ても久しくなりぬ住吉の

  岸の姫松幾代経ぬらん

 

(自分が見てからもずいぶんと時が経ったのに、この住吉の浜辺の岸の姫松は、どの位長く、ここにあるのか。)

 

大(おほん)御神が、姿を現されて、

 

 睦ましと君は白浪瑞垣の

  久しき世より斎い初めてき

 

(ずっと親しくして来たことを知らないのでしょう、この場所で、ずっと昔からお守りしている。)

 

※美艇言う:何を思ったのか、ある読者が、神さまを入れておかないと、後で文句が出るとかおもったのでしょう。 

 

[A13]☆一一八段

 

(本稿から省いた理由)話はつまらない。

 

 

昔、男が、長い事、音沙汰もなくてから、「忘れてはいない。これから行く」と言うので、

 

 

 玉かづら這う木数多になりぬれば

  絶えぬ心の嬉し気もなし

 

(葛の這う木が多くては、心が切れてはいないと言うのも、嬉しくも思わない。)

※美艇言う:嬉しくもないと言われて、それを、自分の集に載せる気持ちは分かりませんね。だから、誰かが、女ですね、ちょっと気の利いた歌かなと思って、入れたと思われます。歌は、それはそうでしょうが、これで終わりで、続きはなく、つまらない、と言うべきかと。 

 

[A14]☆一二二段

 

(本稿から省いた理由)つまらない失敗の話。よくある話で、歌も、たのむ(手飲む)の、よくある言い方でしょう。

 

 

昔、男が、約束を、守らなかった人に、

 

 山城の井手の玉水手に結び

  頼みし甲斐もなき世なりけり

 

(山城の国の井手の玉水を手に掬い飲む、たのむ(手飲む)の甲斐もない仲だった。)

 

と言い遣るのですが、答はありませんでした。

※美艇言う:ほとんど、その時代の誰もが口にした、よくある話では。

 

  外題解説
  底本は和泉書院「異本対照伊勢物語」片桐洋一編です。
  
  解説(本稿現代語訳者 美艇)

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