パツィ クライン(Patsy Cline) 2 Her life and career
The legendary country singer

 

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パティ・ペイジの時代

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パツィ・クラインのレコーディングは2つの時期に分けられます。1955−1960年のフォースター・レコード(Four Star Record)での51曲、そして、1960−1963年のデッカ(Decca)での51曲です。2回を除いてその他のすべてのレコーディングがオーウェン・ブラドレイ(Owen Bradley)氏をプロデューサとしてナッシュビル(Nashville)で行なわれました。その例外となる2回分は1957年4月24、25日に行なわれ、場所はニューヨーク(New York)で、プロデューサはデッカのポール・コーエン(Paul Cohen)氏だったようです。

彼女が仕事を始めたときは完全にカントリ・ミュージックの歌手で、大体においてアップテンポな曲をレコーディングしていますが、ときにはヨーデルや叫ぶような声も見せたのでした。しかし、その後次第にスロー・バラッドに移り、カントリよりポップスを多く歌うようになりました。しかし、彼女は自分が心情的には本当はカントリ・ガールだということから、あまりに「アップタウン(uptown)」なポップスをレコーディングしないようにしていました。

最初の頃は、彼女にはまだその後の多くのレコードのヒットはなく、最初のヒットは1956年の11月8日にレコーディングした「Walkin' after midnight」でした。しかし、何らかの理由でレコード会社はそれをすぐにはリリースしませんでした。そこで、パツィはアーサー・ゴドフリー・タレント・ショー(Arthur Godfrey Talent Show)に出演し、そこでその歌を歌い、それが大成功でした!。アンコールを求められ、ハンク・ウィリアムス(Hank Williams)の名曲「Your cheating heart」を歌いました。ただし、この曲は1962年2月までレコードにされていません。(「Walkin' after midnight」のステレオ用新バージョンは1961年8月25日に出しました。)そして、ゴドフリー・ショーの成功の後、レコード会社は急いで「Walkin' after midnight」をリリースしたのでした。

ゴドフリー・ショーにパツィが最初に出演したことで変わっているのは、お母さんが彼女をそのショーに紹介したということです。親戚がアーチストを連れて行くことは許されていなかったにもかかわらずです。しかし、当然のことながら、パツィの大成功の後は、誰もそれを気にすることはなく、アーサー・ゴドフリーはもちろんのことですが、たぶん彼はそのことを知っていたと思われます。

ゴドフリー・ショーの成功にも拘わらず、彼女の次の大ヒット(おそらくは最大の)のレコーディング、「I fall to pieces」までには1960年11月までかかりました。しかし、その後は、出す曲は決まってヒットになりました、「Crazy」、「She's  got you」、「Leavin' on your mind」などです。面白いことに、そうしたヒットをレコードにする前には、彼女はその曲がまったく好きでないのが普通でした。彼女が言うには、それらが「あまりにポップ過ぎる」というのです。しかし、幸いにもプロデューサのオーウェン・ブラドレイ氏や他の人達が何とか彼女を説得してレコードにしたのでした。「ただ好きなように歌えばいいんんだ」と言って、そしてもちろん、パツィがその曲をレコーディングするまでには何年もかかるのでした。パツィの個人的に好きだった曲は、1つは「A poor man's roses(or a rich man's gold)」だったと思います。彼女はそのレコーディングを強く望み、2回もレコーディングしました。1回目は1956年で、もう1回は1961年です。そして、もう1つ、彼女の好きな曲はゴスペルの「Life's Railway to Heavens」でした。

彼女の大ヒット曲の1つ、「Crazy」は自動車事故に遭った直後に録音されました。その曲のためにスタジオに居たのは4時間、当時としては十分に長い時間、でしたが、肋骨を折っていて、その痛みのために高い音が出せませんでした。そこでミュージシャンたちは、そのまま彼女なしでレコーディングを終え、彼女は休むために家に帰ってしまい、2週間後に戻って来たとき、彼女は1回でその曲を採り終えました。

パツィには、その死後リリースされた大ヒット曲があります。「Faded love」、「Sweet dreams (of you)」などです。「Faded love」では、曲の終わりにところを注意して聞くと、特に、最後の言葉の前の息継ぎのところで、彼女が泣き出しそうにしているのが聞こえてきます。おそらく、その曲が彼女の実際の生活にとても近いものだったからだったのでしょうが、あるいは彼女の天性の感覚と情緒性によるものなのかもしれません。最初、そこにいた人達はそのレコーディング・テイクを捨て、採りなおすことも論議したのでしたが、幸いにもそのままにすることに決まったのです。「Faded love」は本当に珠玉の作品です。

もし、彼女の作品を聴く機会があれば、ぜひそうしてもらいたいのですが、彼女の歌は本当に、聴く人の中で成長していくのです。聴くたびにますます良くなります。パツィは数は少ないですがスタンダード曲もレコーディングしていて、あまりそうした曲(たとえば、「South of the boder」、「True love」、「Always」、「You made me love you」など)が好きでない場合でも、パツィの歌うものは好きになってしまいます。彼女のレコーディングはすべて何か特別なものだからです。彼女はカントリとポップスの境界線上にいます。彼女は実際にカントリ・ミュージックの流れを変え、女性のカントリ・ミュージック歌手の新時代を開いたのです。

パツィ・クラインは忘れがたい声を持つ、途方も泣く素晴らしい歌手でした。

 

 

 

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