キーリー スミス(Keely Smith)1   mrlucky
KEELY SMITH IS UNDER OUR SKIN

 

キーリーの歌  ⇒最近の動き

他の多くの人と同様、私たちはキーリー・スミスの声に接したのは、彼女の夫のルイ・プリマ(Louis Prima)とのレコーディングを通してでした。1970年代の後半になって、私たちはキャピトルレコード(Capitol Records)の「greatest hits(ヒット曲集)」コレクションと出会い、そのまま捕まえられました。まず何よりも、そのレコードは面白くて、しかも、ルイの非常識な音楽性とキーリーのスモーキーな超自然的声は今の時代のポピュラー音楽とまったく違ったものだったのです。私たちは彼らのレコードを集め始め、聞きたい人に聞かせていました。

パティ・ペイジの時代

パティ・ペイジ(Patti Page

パツィ・クライン(Patsy Cline)

サラ・ボーン(Sarah Vaughan)

ダイナ・ワシントン(Dinah Wshington)

ローズマリー・クルーニ(Rosemary Clooney)

ダイナ・ショア(Dinah Shore)

ソフィ・タッカー(Sophie Tucker)

タミー・ワイネット(Tammy Wynette)

アネット・ハンショー(Annette Hanshaw)

 

 

ルイ・プリマの組織の一員であることがキーリーの財産だったとしても、それは同時に彼女の最大の祟りでもありました。レコードヒットや、ソロの業績はあっても、キーリーは何よりも、「ルイ&キーリー」の伝説の中にいるべく定められていたように思われます。残念なことです!ルイ&キーリーのレコードで最初に買ったものには、キーリーの2つのソロ、「I Wish You Love(愛して欲しい)」、「 It's Magic(それは魔法)」が入っていました。その当時、「I Wish You Love」はきれいなバラードそのものと思われましたが、「 It's Magic」はとても刺激的なところのあるものでした。それは甘さと情熱が交互にやって来るものでした。1コーラスがストレートに歌い上げられ、そして次にははじけるようなスウィングになり、それにオーケストラがキーリーの歌に答えるのでした。

このレコードは、その全体の枠の中でキーリーが単なる「共演者」でないことを確信させるものでした。彼女は本物でした。 声域は人の琴線に触れるものがあり、それ以外にはなすべきことはないわけです。私たちは少なくともキーリーを好きでもなく、楽しむことも出来ないという人にあったことはあまりありません。多くはすぐに取り憑かれてしまいます。よく言われる不満としては、おそらく、彼女の歌詞の歌い方に何か物足りない点があるということでしょう。それは彼女の欠点ではなく、彼女はお話の語り部ではないということです。一般的に言って、私たちは詞よりは曲に重きをおいているものです(確かに、よくない詞は曲をだめにしますが)。それでもやはり、この不満は検討の余地があると思います。彼女は抑制した性的魅力を滲み出させ、それは抗いがたいものがあり、物語を紡ぎだしています。それはブレヒト/ワイル(Brecht/Weil)のようなお話ではなく、もっと分かりやすいものです。

デビッド・リー・ロス(David Lee Roth)が「Just a Gigolo(ジゴロ)」や「I Ain't Got Nobody(有名になりたい) 」(そのほとんど一音一音が、基にしたルイ・プリマとキーリー・スミスから「借りてきた」もの)でヒットを飛ばしていたとき、キーリーはサンフランシスコ(San Francisco)のヴェネチアルーム(Venetian Room)で演奏していました。それに対する批評はどれも彼女の声を賞賛しながら、ステージでの存在感のなさに驚いているものでした。彼らの絶頂期にあって、ルイはねじ巻き式のおもちゃで、舞台を飛び回り、浮かれ騒いでいるとき、キーリーは無表情のタバコ屋のインディアンでした。思うにそれは、キーリーのステージ恐怖症と経験のなさに対する賢い対処法だったのでしょう。ルイ・プリマの最盛期に新入りがステージで自分自身でい続けることはできないので、彼らは、後でソニーとシェール(Sonny and Cher)がコピーした面白おかしい芸風を作り上げたのです。私たちは彼女を何度かヴェネチアルームに見に行きましたが、彼女は、うまく聴衆をあげたり下げたり、好きなように扱うことがでたジュディー・ガーランド(Judy Garland)でないのはその通りですが、彼女は立派でした。彼女の態度は、「私はよい声を持っているし、趣味のよい素晴らしい編曲もある。」というものでした。それで確かに、私たちには十分なのです。

私たちはキーリーの声に完全に参りました。彼女がどれほどハードな作業をこなしているのか分かりませんが、彼女は最高に力のある音階を楽々と歌います。「見て見て、できたわよ!」というお定まりの仕草はありません。他の歌手が出来そうもない音や声で腕をやたら振り回したり、苦しそうな顔つきしたりすることはありません。格好だけのゴスペルやジャズの振りをすることもありません。ただ歌うだけです、最高のセンスで。時には、今では彼女の子供の世代がするようなバージニア風アクセント、「heart」や「house」のような言葉で普通と違うアクセントの置き方、が入ることもあります。そして、スモーキーな感じがあります。クールな外見の下に、肉感的なものが沸きかえっているように感じられます。それが伝わってくるのです。

私たちがいつもよく思うのは、「彼女は、いったいどこにいるのか?」という問いです。彼女は見かけもよく、批評家の間でも評判がよく、その声は、もう少し何か欲しいとも言われますが、完全です。彼女より前の人達、ローズマリー・クルーニー(Rosemary Clooney)、トニー・ベネット(Tony Bennett)、アニタ・オデイ(Anita O'day)は、その売り物を町中にばら撒きましたが、キーリー・スミスは、短命だったネオ・スィング運動(neo-Swing movement)の中に、その絶頂時のものとしての足跡を残しただけでした。長く映画の中で語られ、記事になり、有名な衣料品メーカのギャップ(Gap)の、彼女の「Jump, Jive &wail(ジャンプして、踊って、泣いて)」を使ったコマーシャルがあり、そして、ブライアン・セッツァ(Brian Setzer)のようなロックスターが彼女の歌でヒットを飛ばしました。それなのに、彼女はどこにいるのでしょう?

キーリー・スミスと何度か会い、彼女の「チーム」と仕事をしましたが、それはまったく家族の行事みたいなものでした。私たちの考えでは、キーリーこそがその成功の最大の敵になっているとの結論になりました。そして、多くの人が彼女をスポットライトの下にカムバックさせるために懸命に働いているにもかかわらず、彼女は実際はそんなことを気にしていないと思いました。彼女は自分のことを話すのは、ルイと一緒の期間のことを除いては、楽しそうではありませんでした。それは彼女が何も考えずに答えるお決まりの答えなのか、本当に自分の重要性を、有名な「ルイ&キーリー」チームの一部分としか見ていないのか、それは分かりません。彼女は物事がすっかり用意できているか、あるいはまったくできていないかのどちらかであるのを好み、その結果として、彼女はツアーに行ったりトークショーに出たりするよりは、自分の家族(彼女の大好きな)と過ごす時間が多くなりました。非常に能力があり、ソロ歌手の実績もあるのに、自分のことを、遊歩道を歩いているところをルイに引き抜かれて何年かしてその思うような姿に作り上げられただけのただの少女のように思っているのは、私たちから見ると不思議に思えます。


 

 

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